第二十章 《トレーナー》の真価
ゴールジ村に移住してから早くも一週間が経とうとしていた。
そして、この一週間の中で俺の周りでは大きな変化が二つあった。
まず一つは、ソフィアの体型の変化だ。
これはもう奇跡というより他ない。もはや、完全に別人になっている。
丸太のようだった手足は女性らしい丸みを残しながらも筋肉のはりをしっかりと感じさせるしなやかなものに変貌し、浮き輪のようだった胴回りも今やしっかりくびれて腹筋の縦筋がうっすらと見えている。
風船のようにパンパンに膨らんでいた顔も今やハイエルフらしい美貌を誇っており、そのあまりに美しさに最近では村の男から何度か求婚されたとのことである。
普通に考えたら、ありえないことだ。
ただ、これについてはラシェルがこんな考察をしていた。
「あんたの《トレーナー》スキル、実はダイエットにも効果があるんじゃない?」
そう、俺の《トレーナー》スキルにある成長促進効果が、ダイエットの効果を高めているのではないかという説だ。
本来的に減量という意味でいえば、体重の減少は成長ではない。
ただ、以前にも述べたように、ダイエットとは『生活』という言葉を語源としている。また、ダイエットの本来の意味は『食事療法』でもある。
この療法という部分には痩せるということはもちろんだが、実は太ることも場合によっては療法として捉えられることがある。
さらにソフィアは、この村に来てから早朝の散歩やストレッチ運動、加えてここ数日は腕立て伏せやスクワットなどの軽い筋トレもはじめていた。
つまり、ダイエットの本来の意味である『食事療法』としてのあるべき正しい姿に戻ろうとする作用、有酸素運動や筋トレによる除脂肪と筋肉の成長、それらすべての効果が俺の《トレーナー》スキルによって促進され、圧倒的なスピードでソフィアの肉体を変容させていったのではないかということだ。
「コーチ、今日のトレーニングはすべて終わりました!」
喋りかたまですっかり変わっている。
何だかちょっと寂しい感じもするが、これが本来の彼女の姿なのだろう。
ちなみにソフィアの変貌に触発されてか、最近はラシェルも自ら進んで筋トレをはじめていた。シエラがこっそり教えてくれたが、何か危機感的なものを感じているらしい。
「マスターは独占欲が強いからな! その点、ワタシは気にしないから大丈夫だぞ!」
何が大丈夫なのかはさっぱり分からないが、気にしないでおくことにする。
そして、もう一つの変化はこの村の近くにダンジョンが現れたことだ。
ダンジョンというのは主に魔物が発生、生息する洞窟や遺跡のことで、不思議なことにこの世界ではこういったものが自然発生する。
分類としては、魔王の魔力によって生み出された魔物の巣窟が洞窟型、同様に魔王の魔力によって時空が歪められて太古の建造物が現出してしまったものが遺跡型となるらしい。
ダンジョンは最奥にコアと呼ばれる魔力の結晶があり、これを破壊することでダンジョンが現出する前のもとあった状態に戻すことができる。
そして、これまた不思議なことだが、コアを破壊するとその中から何かしらの古代遺物と呼ばれるものが出現するのだ。
それら古代遺物は有用なものからただの置物にしかならないものまで様々だが、この村で雑貨屋をやっているシンシアのように古代遺物を集めている好事家は多いので、どんなものであれそれなりに値段はつく。
俺たち――といっても、俺はもう引退した身だが、冒険者と呼ばれる者たちが世の中に溢れているのも、ダンジョン攻略による一攫千金を狙う者たちが後を絶たないからである。
「筋トレばっかりじゃ飽きちゃうし、たまにはダンジョン攻略も悪くないわね」
シエラを背中に乗せて腕立て伏せをしながら、ラシェルが言う。麻のノースリーブに綾織布のショートパンツという格好で、すっかりトレーニングが板についている。
というか、シエラは小柄なほうではあるが、それでも尻尾のことを考えると体重40kg程度はあるだろう。
それを背中に乗せて普通に会話しながら腕立て伏せを続けるラシェルは、控えめにいっても化け物である。
「ダンジョンに行っても、ワタシは戦えないぞ」
ラシェルの背中に行儀よく座りながら、シエラが言う。
「なんで? あんた、ライカントロープでしょ」
「ライカントロープだからって戦えるわけじゃないぞ。ワタシはそもそもこうなる前から戦ったことなんてないしな」
シエラが唇を尖らせる。
そもそも俺はライカントロープというものが何なのかあまり理解していないのだが、森で出会ったときもひたすら逃げまわっていただけのようだし、シエラが戦う姿というのは確かに想像できない。
「そういえば、シエラさんはおいくつくらいなんですか?」
オレンジ果汁とハチミツを混ぜたホエードリンクを飲みながら、ソフィアが訊く。
ソフィアも今は麻のティーシャツに木綿のハーフパンツという動きやすい格好だ。
以前まではあのビキニ水着みたいな魔装具の格好でも何も思わなかったが、今の体型だと明らかに男性諸氏にとって目に毒なので、最近はできるだけ一般的な服装をしてもらうようにお願いしている。
「あんまり覚えてないが、たぶん一歳くらいだな」
「一歳!?」
驚いたようにラシェルが体を起こして、乗っていたシエラが後ろに落ちた。
「マスター! 急に立たないでくれ!」
「あ、ごめん。ていうか、一歳ってマジで言ってる?」
「嘘ついてどうするんだ?」
シエラはきょとんとしている。
まあ、犬の一歳は人間でいう十五歳くらいというから、何となく見た目の年齢とは符合する。
「まあ、何となくそんな気はしてました」
飲み終わったコップをテーブルの上に戻しながら、ソフィアが口を開く。
「ライカントロープは魔族の一種ですから、本来であれば魔物と同様にヒトに対する敵愾心が刷り込まれているはずです。でも、獣系の魔物は成体になるまでそれが芽生えないことも多いので、きっとシエラさんもまだヒトに対する敵愾心がないタイミングで魔族化してしまったんでしょうね」
実に丁寧に解説してくれる。
ソフィアいわく、獣系の魔物が従魔として定番なのも、幼体のうちであれば容易に従魔化を行うことができるからであるらしい。相変わらず歩く辞書のような女性だ。
「生まれてすぐに魔族になるなんて、あんたも運が良いんだか悪いんだか」
「あの痩せた男は珍しいから価値があるって言ってたぞ!」
何故か得意げにシエラが薄い胸をはる。
シエラも出会ったばかりのころは基本的にすっぽんぽんだったが、最近は服を着るということに慣れてきたようだ。今日は袖のない羊毛のワンピースを羽織っている。
「穢れを知らない無垢なライカントロープの素材……確かに価値は高そうです……」
ソフィアの目に暗い光が宿る。
歩く辞書さんは、時々マッドサイエンティストな一面を覗かせることがある。
何かを感じとったのか、シエラがラシェルの後ろにすっと身を隠した。
「あたし、従魔のことってあんまり詳しくないんだけど、自然と戦えるようになったりするもんなの?」
その場に立ち上がってシエラの頭を撫でながら、ラシェルが訊く。
「ステータスボードを見てみてはいかがでしょう? 従魔化したことで何かスキルが身についてるかもしれません」
「なるほど。シエラ、ステータスボード出して」
ソフィアの提案に、ラシェルは二つ返事で傍らのシエラに命じる。
しかし、シエラは困ったように眉を顰めるだけで、ステータスボードが表示される様子はない。
以前に聞いたとおり知識の共有がなされているのであれば、ステータスボードの出しかたは感覚で分かるはずだが――。
「どうしたのよ? ステータスボードの出しかたが分からないの?」
「いや……」
「ほら、こうやって頭の中でちょっとイメージするだけよ。こんな感じに」
そう言って、ラシェルが自分のステータスボードを表示する。
そして――。
「……ぅええ!? 何これ!?」
自分のステータスボードを見ながら、ラシェルが声を上げた。
何があったのかと宙空に表示されたボードを覗き込み、俺も思わず目を丸くする。
STRの数値が異常なことになっている。
エルフの種族限界値は俺の知るかぎり60程度のはずだが、ラシェルのSTRは86となっていた。しかも、その横に表示されている補正値が(+25)となっているのだ。
「待って待って! あたしのSTR、この前まで55とかだったわよ!?」
「わ、わたしもです! 見てください!」
今度はソフィアが自分のステータスボードを表示させた。
こちらのSTRはさらに高い。なんと92だ。しかも補正値が(+30)となっている。
「は、ハイエルフのSTRの種族限界値は個人差が大きいですが、それにしてもこの数値は異常です! それに、VITの値もおかしいです! どう考えても普通じゃないです!」
二人とも、物理ステータスの値がおかしなことになっていた。
ラシェルはともかくソフィアについてはもともとかなり怪力の気配はあったが、まあ本人がこの値は異常だというのだから異常なのだろう。
VITの値も確かに双方ともに80を超える値となっており、エルフということや女性という性別的な要素を鑑みても明らかに高すぎる気がした。
「まさか、筋トレの効果ってこと……?」
「そんな……ありえません……」
ラシェルとソフィアが目を丸くしながら顔を見合わせている。
この世界の理屈は俺にもまだ分からないことが多いが、確かに基礎ステータスについては筋トレをしたところで成長するというイメージはない。
どちらかというと魔物を倒したときや、ダンジョンの最奥にあるコアを破壊したときなどに少しずつ成長していくイメージだ。
「そうです。運動でわたしたちのステータスが上がることはありません」
ソフィアが神妙な顔で言った。
「何故なら、わたしたちの基礎ステータスというのは、神からの加護だからです」
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