第十八章 魔王の血涙
「おや、みんなお揃いでどうしたんだい?」
唐突な団体客の登場に、カウンターの奥でシンシアが目を丸くしている。
彼女の雑貨屋は魔道具や古代遺物といった魔術関連の商品をメインに取り扱っているとのことだったが、さすがに塩やハチミツくらいはおいているだろうとの算段である。
「まあ、塩やハチミツは魔法薬づくりの基本だからねぇ」
いや、そういう想定だったわけではないのだが。
「あ、あ、あぁ……」
――と、カウンター奥のショーケースを指さしながら、ソフィアが何かとんでもないものを見つけたように驚愕の表情を浮かべている。
その指先が指し示す位置には、涙型の赤い宝石のようなものが飾られている。
「ま、魔王の血涙……! こ、こんなところで実物を見るなんて……!」
よほど衝撃だったのだろう。喋りかたまでいつもより随分とはっきりしている。
「ほー、さすがはハイエルフのお姉さん。これの価値に気づくなんて、お目が高いね」
シンシアが関心したように口の端を吊り上げた。
「やっぱり、こういう店をやる以上は何かしら『箔』をつけておきたいからね。知人の伝手をたどっていくつか譲ってもらったんだよ」
「いくつか!? 何個もあるってことですか!?」
「ソフィアって、実はちゃんと喋れるのね……」
耳元でラシェルが囁いてくる。
まあ、普段の喋りかたがキャラづくりとは思わないが、ひょっとしたら今の体型になる前はもともとこういった普通の喋りかたができる女性だったのかもしれない。
「何個もってことはないよ。三つだけだね。そんなに価値のあるものなのかい?」
「価値があるなんてレベルじゃありません! これは魔王の血を分け与えられた魔族が死滅したときに残す、魔王の力の残滓と言われるものなんですよ!」
なんと。それが本当だしたら確かにとんでもない代物だが、逆にそこまで貴重な代物がこんなところに三つもあるなんて、眉唾ものもいいところではある。
こんなことは言いたくないが、ペテンにでもかけられているのではなかろうか。
「いえ、この信じられないほど禍々しい魔力……本物です! それが三個も!? いくらですか!? いくら出せば譲っていただけますか!?」
興奮したソフィアが唾を飛ばしながらカウンターに駆け寄っていく。
その巨躯に見合わぬものすごいスピード感だ。あまりにも鬼気迫る様子にシンシアはもう明らかにドン引きしており、その顔は率直に言ってかなり引きつっている。
「い、いや、正直、これがそんなに価値のあるものだとは知らなかったから、値段とか考えてなくてさ。ちょっと時間をもらってもいいかい?」
「もちろんです! いつまでも待ちます! ああ、奇跡です……」
ソフィアがその場で天に祈りを捧げるように両手を組み合わせながら感極まっている。
いったい、この魔王の血涙とやらが彼女にとってどのような価値があるのかは分からないが、どうにも嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
ともあれ、俺は当初の目的であった塩とハチミツと、それから少し大き目のボウルを三つと濾し布、さらに大き目のくるみ割り器を購入した。
鍋についてはもともと借家の釜戸にあったものがそのまま使えるだろう。
俺たちはそれから雑貨屋を出て借家に戻ろうとしたが、今度こそ何処かでご飯を食べるまで絶対に帰らないとソフィアが譲らなかったので、先に《水蝶》で朝食をとることにした。
今度は何か魔術でも使っているのか、三人がかりで押しても引いても動かなかった。
「食べても食べても太らない身体になりたいですぅ……」
モーニングセットを味わうようにゆっくりと噛みしめながら、ソフィアが悲し気に呟く。
ソフィアにはこういった場でとくに食べるものを制限させるようなことはしていないが、おかわりは厳禁としていた。
すると、不思議なことに彼女は誰に言われたわけでもないのに一回の食事をゆっくり時間をかけて食べるようになったのだ。
これは実は健康面だけでなく、ダイエットにとってもとても効果的な方法だ。
ゆっくり食べることで脳にある満腹中枢が刺激されやすくなり、より少量の食事で満腹感を得られやすくなるのだ。
こういったことを無意識にできるあたり、やはりソフィアにはボディメイクに関して天賦の才があると言わざるを得ないだろう。
「食べた分だけ動けば太らないんじゃないの」
おそらく実際にそれを体現しているのであろうラシェルが言う。
彼女もエルフにしてはよく食べるほうだと思うが、ともに行動するようになってからこれまでの約一年間で体型の変化を感じたことはなかった。
とはいえ、これまでは常に冒険に次ぐ冒険の日々だったわけだから、ほぼ引退状態とも言えるこれから先の生活で同じ状態を維持できるかどうかは分からない。
「え? じゃあ、このままの生活してたらあたしもソフィアみたいになるってこと?」
「わたしみたいって言いかたはぁ……失礼だと思いますけどぉ……」
ソフィアが半眼でラシェルを睨む。
実際、今の生活は冒険者時代に比べるとかなり運動量が少ないのは事実だ。
これまでとまったく変わらない食事量を続けていれば、ソフィアまでとは言わずとも多少は体型に影響が出てくる可能性は十分あるだろう。
「ワタシはソフィアの体つきは良いと思うぞ!」
青豆のバター炒めを器用にフォークで口に運びながら、シエラが言う。
従魔契約によって経験の共有がなされているためか、意外にもカトラリーの扱いかたや食事マナーについては最初から何の問題もなさそうだった。
「そ、そうですかぁ……!?」
フォローされたのが嬉しかったのか、ソフィアの表情がパッと明るくなった。
「ああ! 焼いて食べたらおいしそうだからな!」
「やはり森で始末しておくべきでしたねぇ……」
殺意の波動を感じる。
暗い笑みを浮かべながら傍らの杖を手にとろうとするソフィアを、俺とラシェルが慌てて制止した。
だが、こんなやりとりもきっともうすぐできなくなる。
何故なら、ソフィアの身体は日々確実に変化してきているからだ。
というか、このままだとソフィアとラシェルの体型が逆転するという状況も起こり得るかもしれない。
そうならないためにも、ラシェルにもしっかり運動習慣を身に着けてもらったほうが良いだろう。彼女が引退したアスリートのように太っていく姿を見るのはさすがに忍びない。
「……なんか失礼な想像してない?」
視線に気づいたのか、ラシェルが訝しむようにいこちらを睨んでくる。
俺は慌てて首を振る。頭の中でオークのように太ったラシェルを思い描いたなどと彼女に知れたら、ナイフかフォークがとんできてもおかしくない。
――と、油断していたらテーブルの下で足を蹴られた。たぶん、彼女の探知スキルはヒトの心を読む能力も備えている。
それから俺たちは《水蝶》での朝食を終えると、借家に戻っていよいよホエー作りの準備をはじめた。
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