第十五章 超絶万能ハイエルフさん

「なに……?」


 男のソフィアを見る目が訝しむように変わる。


 おや? なんだか様子がおかしい。


「だってぇ……あなた、所詮は人間でしょう? 呪霊の強さは魂と魔力、そして恨みの強さによって強さが決まるんですけどぉ……実は一番重要なのって、どれだけ長く生きたかなんですよぉ……長く生きれば生きるほど、魂の大きさも蓄積された恨みの念も大きくなるのでぇ……だから、あなたがどれだけ高位の死霊使いだったとしても、人間である以上はわたしの敵ではないと思うんですぅ……」

「くっ……はっはっは! これは面白い、それならば実際にやってみせるがいい!」


 男は急に狂ったように笑い出し、懐から短剣をとりだすと、それを躊躇いもなく自分の心臓に突き立てた。

 そして、血を吐きながらその場に頽れたかと思うと、その背中から黒い霧のようなものが立ち上り始める。

 あたりを重苦しい瘴気が覆いつくし、やがて血に伏した男の体が赤黒く溶解しはじめたかと思うと、そこから人の形をした骨だけがふわりと浮かび上がり、こちらを見下ろす髑髏の眼窩に赤い光が灯る。


『さあ、狂乱の宴のはじまりだ……』


 その言葉と同時に、人形の骨を包むように闇の衣が現出する。その手には先ほどまで男が握っていたギガンテスの肋骨が携えられており、その先端が禍々しく光っている。


 死神――そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


「ちょ、ソフィア、ほんとに大丈夫なの!?」


 焦ったラシェルが大慌てで呪霊となった男に弓を射るが、実体ではないのか放たれた矢はそのまま向こう側へと突き抜けていってしまう。


「大丈夫ですぅ……」


 ソフィアは慌てる様子もなく、木の杖をゆらゆらと揺らしながら呪文を詠唱している。

 俺はまたいつでも彼女を守れるように身構えた。


『死ぬがいい!』


 呪霊が叫びながら杖を振り下ろす。

 その先端から闇の奔流が放たれ、すぐにでも俺たちを飲み込もうとしていた。


 《ラットスプレッド》――俺が叫ぼうとした、その瞬間だった。


「《ホーリー・ライト》ぉ!」


 力強い声――初めてソフィアがちゃんと法術の名を唱えた気がする。

 それと同時に、闇の奔流が俺たちに到達するより早く、ソフィアの掲げた杖から放たれた光の刃が闇の奔流ごと一直線に呪霊の身体を貫いた。

 さらにソフィアが杖を天に掲げると、今度は呪霊の真上から光の柱が落ちてくる。


『ごあああああああぁあぁああっ!』


 闇夜にとどろく怨嗟の声――。


 そして、恐ろしくあっさりと、呪霊は姿も形もなく浄化されてしまった。


「……え? これで終わり?」


 ラシェルがきょとんとしている。

 あたりを覆っていた重苦しい気配はすっかり消え失せ、元の静かな森に戻っている。


「はいぃ……相性の良い相手でしたねぇ……」


 杖を下したソフィアは、まったくもって余裕の表情だった。

 今さらかもしれないが、実は本当にとんでもない術師なのではなかろうか。

 傍らに近寄ってたラシェルが、小声で語りかけてくる。


「ねえ、ちょっと、この子、イルヴァとロナンの二人分より強くない……?」

「うむ……」


 実はそれは俺も思っていたことだった。

 すでに筋肉どうこうの話ではない。単純に常軌を逸した能力だと言わざるを得ない。

 ここまで有能な術師を足が遅いからという理由だけで追放したパーティとは、いったいどんなパーティだったのだろう。


『た、助かったのか……』


 足もとで、獣娘が力なくへたり込んでいる。

 これで狼の遠吠え問題も解決するだろう。

 そして、牧場の牛たちはまた元気に乳を出すようになり、俺は念願かなって牛乳を得ることができるというわけだ。


「まあ、一件落着……なのかしらね?」

「お腹が空きましたぁ……村に戻って晩御飯にしましょう……」


 ラシェルとソフィアが森の出口に向かって歩き出し、俺も脱ぎ捨てた衣服や投げ捨てた武具を回収しながらその後を追う。


『ま、待ってくれ! ワタシも連れて行ってくれ!』


 ――と、後ろから獣娘が追いかけてきた。

 そういえば、結界を解いてあげないと彼女もこの森からは出られないのだったな。

 まあ、そのあたりはソフィアに任せればうまくやってくれそうではあるが。


『そうじゃない! ワタシもオマエの仲間に入れてくれ! 一人は怖いんだ!』


 なんと。そういう意味での連れて行ってくれか。


「ダメよ!」


 何を察したのか、先を歩いていたラシェルがものすごい勢いで戻ってきた。


「ダメに決まってんでしょ!? ていうか、なんで!? なんであんたの周りは女ばっかり増えるの!? なんかそういうスキルでも持ってんの!?」


 胸ぐらをつかまれて詰め寄られる。

 完全に言いがかりだが、少なくともそういうスキルや特性はなかったと思う。


「コーチはぁ……たぶん、女難の星のもとに生まれてるんですぅ……」


 離れたところで、他人事のようにソフィアが言った。


「何それ!? ソフィア、あんた占い師のスキルも持ってんの!?」

「いえ、ただの勘ですぅ……」


 ソフィアが適当そうに答えて、そのまま俺たちをおいて先に行ってしまう。たぶん、とにかく早く帰って何か食事をしたいのだろう。そういうオーラを感じる。


『頼む! ちゃんということを聞くから連れて行ってくれ!』

「ちょ、あたしにくっつかないでよ!」


 今度は俺ではなくラシェルにすがりつきながら獣娘が言う。

 俺はいちおう念のため、彼女の言葉をラシェルに通訳して伝える。 


「そういう問題じゃないの! あたしはね、あんたの周りに女が増えるのが嫌なのよ!」


 いつものちょっとヒステリックな調子でラシェルが怒鳴る。

 この状態の彼女は、たぶん自分で自分の言っている言葉の意味を理解できていない。


「じゃあ、俺ではなく君が連れていくというのはどうだろう」

「はぁ?」


 ふと思い立って、提案してみた。


 従魔契約というものがある。

 魔術的な盟約を持って、ヒトと魔物の間で主従関係を結ぶのだ。

 主に魔物使いという職がその能力に特化しているのだが、従魔契約自体は別に職業に関係なく可能だったと記憶している。

 狩人は猛禽類であったり犬であったりを従えている印象があるから、そういった意味でもライカントロープと従魔契約を結ぶのはありなんじゃないかと思うのだが。


「んー……まあ、百歩譲ってそれなら……」


 意外にもラシェルにそこまで拒絶反応はないようだ。


「あたしだって、命だけ助けておいてハイサヨナラはあんまし後味が良くないなって思ってはいたのよ。でも、魔族を村に入れたら怖がるヒトもいるんじゃない?」

「従魔契約を結んでいると分かれば、村人たちもきっと安心してくれるさ」

「まあ、それはそうかもしれないけどさ」


 急速に冷静さを取り戻したラシェルが、すがりついてくる獣娘の頭をそっとなでる。


「この子、名前はなんていうの?」


 俺がラシェルの代わりに獣娘に訊くと、名前はまだないという答えが返ってきた。


「ふーん。じゃあ、あたしがつけてあげるわ。あんたは今からシエラよ」

『シエラか! いい名前だ!』


 獣娘――改めシエラは、喜びを体現するようにその場で飛び跳ねた。


「でも、従魔契約なんてどうやって結ぶの? あたし、よく知らないんだけど」

「そのあたりはきっとソフィアが何とかしてくれる。たぶん」


 根拠はないが、きっとソフィアならその辺も詳しいだろう。

 もうすっかり姿は見えなくなっているが、彼女の歩く速度なら今から追いかけても十分に間に合うはずである。


「まあいいわ。もう、ここまで来たらなるようになれよ」


 再び森の外に向かって歩き出しながら、投げやりな調子でラシェルが言った。

 しかし、その表情は発した言葉ほど不満そうな感じではなかった。

 

 また明日から、もっと賑やかになる。

 ノースワーパウスで勇者パーティを追放されたときはどうなるかと思ったが、かつて冒険者だったころとはまた違う新たな充実感を俺は感じはじめていた。

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