第十四章 広背筋の力で打開せよ

 ガンガン!――と、剣と盾が打ち合わされる音が当たりに響き渡る。

 盾戦士の最も基本的な挑発スキル《シールドタウント》である。

 対人戦においてはほとんど役に立たないが、知性の低い魔物には効果的だ。


 スケルトンたちの注視が一気にこちらに向き、剣や斧を構えたスケルトンたちがゾロゾロとこちらに向かって大挙して押し寄せてくる。

 そして、そのスケルトンたちを後押しするように、後方で弓をつがえていたスケルトンたちが再び矢の雨を振らせてきた。


 いや、ちょっと待て。これを凌げって、無理じゃないか?


 ソフィアは浄化法術の詠唱に集中していて、回復や防御支援を期待することはできない。

 あるいは一旦そちらを優先してもらうとしても、今度は攻撃手段がなくなってしまう。

 ラシェルの弓の一撃は確かに強力だし、彼女なら複数の敵を同時に狙うことだってお手のものだろうが、いかんせん数が多すぎる。

 それに、そもそもスケルトンに物理攻撃はあまり有効ではないのだ。


 冷静になるべきだった。

 ひょっとしたら、もう俺たちにこの状況を打開する能力はないのではないだろうか。


 当初はソフィアがいるから何とかなるという目算があった。

 しかし、それも《アブドミナル・アンド・サイ》によって相手を足どめできるという根拠のない自信があったからである。

 その前提が崩れた今、俺にいったい何ができるというのか。


 ラシェルは優れた狩人だ。自分の身くらいは自分で守れるだろう。

 だが、足の遅いソフィアや戦う術を持たない獣娘はそのかぎりではない。


 では、どうする? いや、どうするもこうするもない。

 せめて、誤った決断をした者の責務として、彼女たちだけでも守るのだ。

 たとえ、この命に代えても。


 そう覚悟を決めた瞬間、時間の流れが急に遅くなったような感覚に陥った。

 眼前まで迫るスケルトンたちが振り下ろす刃も、降り注ぐ雨の矢も、すべてがスローモーションのようにゆっくりと動いて見える。


 死に瀕する状況にあって、極限まで集中力が高まっているのだろうか。

 だからといって今の俺に何ができる?

 この一瞬において、俺に起死回生の手段など残されては――。


 刹那、俺の脳裏に閃光のようなものが走った。

 背中に神が宿ったような気がした。


 俺は無我夢中で手に持った剣と盾を眼前のスケルトンに投げつけると、そのまま両手を腰に当てて両肘を外に張り出し、力強く胸を張りながら翼のように広背筋を広げた。


「《ラットスプレッド》!」


 無我夢中で叫ぶ。


 刹那、目の前に鎖で繋がれた光輪のような障壁が現れ、迫りくるスケルトンの軍勢も降り注ぐ矢の雨もまとめて弾き飛ばした。

 

「ちょ!? 今度はいったい何よ!? まあ何でもいいけど!」


 言葉とは裏腹に、ラシェルが興奮したように鼻息を荒くしている。

 彼女はそのまま矢筒に入った矢をまとめて三本とりだすと、器用に三本すべての矢筈を弦につがえて一斉に掃射した。

 放たれた矢は障壁をすり抜けてスケルトンの頭蓋を突き破り、そのさらに後方にいるスケルトンの肋骨に穴をあける。ただの一射で五体以上は射貫いているだろう。


 やはり、ラシェルの本領は弓術でこそ発揮される。

 とくに今宵は調子がいいようだ。


「何か分かんないけど、めちゃくちゃ力が湧いてくる! あんた、なんかしてる!?」


 炯々と瞳を輝かせながら、ラシェルがさらに二射、三射と矢を放ち、スケルトンを撃ち抜いていく。もはや彼女一人でも状況を打開してしまいそうな勢いだ。


「お待たせしましたぁ……」


 そして、その勢いを後押しするように後方からソフィアの声が聞こえてくる。

 振り返ると、彼女の頭上に掲げられた杖の先端に小さな太陽を思わせるような光の球が浮かび上がっていた。

 そして、それが破裂するように眩い光を放ったかと思うと、濁流のような光の奔流が辺り一面を一瞬にして純白に染め上げる。


「あわわわぁ……!」


 とんでもない光量だ。何故かソフィア本人も慌てたような声を上げている。


 やがて、光が落ち着いてきたころには辺りを埋めつくしていたスケルトンの軍勢も完全にその姿を消していた。


『や、や、やったのか!?』


 状況があまり飲み込めていないらしい獣娘が怯えたように身を寄せてくる。


「いや……」


 やったかやってないのかで言えば、まだやってはいないだろう。

 何故なら、俺たちはまだスケルトンの軍勢を退けただけに過ぎないからだ。


「……そこっ!」


 唐突に、ラシェルが何もない空間に目がけて矢を放った。


「ぐうっ!?」


 瞬間、呻き声とともに衝撃によって後方へと吹き飛ぶ男の姿が現れる。

 あの痩身の男だ。矢は左の肩を射貫いたようで、だらんとぶら下がった左腕を己の血で染めながら、忌々しげにこちらを睨みつけている。


「あたしをなめてんの? 三度も見逃すはずないでしょ」


 さらに次の矢をつがえながら、吐き捨てるようにラシェルが言う。


「オレイカルコスの弓……まさか、こんなところで《精霊の射手》とまみえるとは……」


 口の端から絞り出すように、男が呻いた。

 《精霊の射手》とは、ラシェルの冒険者としての二つ名である。

 かつて俺が所属していたパーティは、俺以外のメンバーは全員が何かしらの二つ名を持っていた。それくらい、大陸中に名の知れる実力者となっていたのだ。


「どうやら、判断を見誤ったようですね……その犬はあなたたちに差し上げましょう。命をかけるほどのものではありません」


 男は肩から無理やり矢を引き抜くと、そのまま呪文を詠唱し、即座に傷を癒した。

 死霊使いのくせに回復法術も使えるのか。

 何となく法術と死霊術は相反するようなイメージがあるが、あるいはそれほどの使い手ということかもしれない。

 

「ただで帰れると思ってんの? あんた、自分がやったこと分かってる?」


 ラシェルが不愉快さを隠そうともせずに弓を構える。


「ただとは言いません。その犬で手打ちにしようと言っているのです。それとも、私を殺せば満足できますか?」


 男が口の端を不気味に歪める。


「死霊使いの死が何を意味するか、そこのお嬢さんならお分かりになるでしょう」


 言いながら、ソフィアのほうを見やった。

 普通の女性扱いをされたことが久々だったからか、ソフィアは一瞬だけ嬉しそうな顔をしたが、すぐに真面目な顔に戻って答える。


「呪霊化……あなた、自分の魂にも呪いをかけているんですねぇ……」

「察しが良くて助かります。私が死ねば、あなたがたもただでは済まないでしょう」


 呪霊化とな。

 よくは分からないが、とにかくこの男が死ぬと大変なことになるらしい。

 少なくとも、そう告げる男の表情には幾分か余裕が見てとれる。


「でもぉ……」


 ソフィアが困ったように眉根を寄せ、それから少し言いにくそうに告げた。


「あなたが呪霊化したところでぇ……別にわたしの敵ではないと思いますけどぉ……」

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