第十三章 ライカントロープ
『助けてくれ! 狙われてるんだ! ずっとワタシの声が聞こえる者を待っていた!』
飛び出してきたそれは、獣の姿をした少女――とでも形容すればいいのだろうか。
年の頃は人間でいう十四、五歳くらいで、パッと見は人間とよく似た姿をしているが、ドラグナーの鱗のように身体の一部が獣毛に覆われている。
さらに頭頂部には獣の耳が、腰の付け根からは太い尻尾が生えていた。かつて俺がいた世界でいう漫画やアニメによく出てくる獣人といった風情である。
ただ、俺が知るかぎり、この世界に獣人と呼ばれる種族はいなかったはずだ。
「ライカントロープ!」
ラシェルが驚きの声を上げた。なるほど、そういう生き物なのか。
「狙われているというのは、あの白い杖を持った男にか?」
息を切らせてその場にうずくまる獣娘に歩み寄りながら、俺が訊いた。
『そうだ。ずっと追われていた。不思議な力でこの森に閉じ込められてから、もう一週間近く逃げ回ってる。ずっと助けを求めていた。やっとワタシの声が届いた!』
獣娘は一気にまくしたて、すがるように俺の手をとった。
その手はボロボロに傷ついていて、少女の顔も体も随分痩せ細っているように見える。
この少女は魔族なのだろうか。
しかし、少なくとも今の段階ではヒトに仇をなす存在とは思えない。
「ちょ、ちょっとキョウスケ!」
後ろからラシェルに腕を掴まれた。
振り返ると、ラシェルとソフィアが驚愕の表情を浮かべてこちらを見ている。
「どうかしたか?」
「どうかしたって……」
二人は顔を一度見合わせ、それから言った。
「あんた、ひょっとして今、この子と会話してる?」
ん? 何を言っているんだ?
「いや、わたしにはこの子の言葉が獣の鳴き声にしか聞こえないんだけど……」
なんだと。
ソフィアのほうを見やると、彼女も困ったような顔をしている。
「わたしぃ……いちおう魔族語は多少理解できますけどぉ……この子の言語は獣語訛りがひどくてほとんど理解できないですぅ……たぶん、助けてって言ってるのかなぁとは思うんですけどぉ……」
そう言われて、俺は急に自分の能力について思い出した。
そうだ。俺にはこの世界のあらゆる人種と会話できる言語能力があった。
まさかこんなところで役に立とうとは……。
『頼む、助けてくれ。ワタシは別に力が欲しかったわけでも、こんな姿になりたかったわけでもないんだ。ただ、静かに暮らしたかっただけなんだ』
「どうやらこの子はあの男に命を狙われていて、助けを求めていたらしい」
獣娘の言葉を、俺が二人に通訳する。
しかし、あの男はどうしてそこまで執拗にこの少女の命を狙うのだろう。
やはり魔族として人に仇をなす危険性があるからだろうか。
「なるほどね……」
何故か得心がいったという様子でラシェルが頷いた。
「ライカントロープの素材は高値で売れますからねぇ……」
ソフィアもうんうんと頷いている。
「どういうことだ?」
「そのまんまの意味よ」
ラシェルがやれやれといったように肩をすくめた。
「ライカントロープって、もともとはダイアウルフやウォーグみたいな狼系の魔物が魔族化したものなんだけど、死ぬと元の獣の姿に戻るの。で、その毛皮や骨や牙ってのは、普通の魔獣素材よりもめちゃくちゃ高値で取引されてるってわけ。それこそ魔法銀なみにね」
「ライカントロープ専門のハンターもいるくらいですからねぇ……ひょっとしたら、先ほどの方もそういったことを生業にしている方なのかもしれないですぅ……」
『た、助けに来てくれたわけはないのか……!?』
俺たちの会話が理解できているのかいないのか、獣娘がすがるように俺の腕にまとわりついてくる。
うーむ……。
もとはと言えば牛たちの心の安寧のために狼的な何かを退治しようというのが俺たちの目的なのだから、彼女を助けるというのは本末転倒な気もしなくはない。
とはいえ、別に彼女を退治せずとも遠吠えをやめてもらえれば良いわけだから、わざわざ命をとる必要まではないともいえる。
「ちょっと! あんましベタベタしてんじゃないわよ!」
ラシェルが苛立たしそうに俺と獣娘を引き剥がしてくる。
彼女の前で別の女性と関わるときは、何かしら不興を買う宿命にあるのかもしれない。
『待ってくれ! オマエ、魔物使いなんだろう!? ワタシの声を聞いて助けに来てくれたんじゃないのか!?』
獣娘が負けじと飛びついてきた。
というか、魔物使いとな。何を持ってそのような判断をしたのだろうか。
そんな俺の疑問を察してか、獣娘がソフィアを指さして言った。
『だって、オークを引き連れているじゃないか!』
その瞬間、何かを察したのかソフィアの目つきが凶悪なものに変わる。
「始末しましょう……この魔族は生かしておいてはいけない気がしますぅ……」
「待て待て」
魔術の詠唱をはじめようとするソフィアを慌てて制止する。
というか、こんな茶番のようなやりとりをしている場合ではない。
すぐにでもあの痩身の男が追いついてくることだろう。
この獣娘の処遇をどうするか次第では、彼と対峙することになる可能性がある。
はたして、どうするべきか。
俺たちの本来の目的を考えれば、別にこの獣娘を男に突き出してしまえばそれで解決する話ではある。
だが、それは同時に彼女を見捨てるということでもあった。
言うなれば、ここまで必死に助けを求めている少女を見殺しにして、己だけ利を得ようということである。
それは、正しきボディビルと言えるのだろうか。
そんな形で得られたもので筋肉を育てて、俺は己を誇ることができるだろうか。
否――少なくとも、それは俺の望むボディビルではない。
「ご協力に感謝します。ようやく彼女を追い詰めることができました」
闇の中から、あの男の声が聞こえてくる。
慌てて声のするほうを見やるが、姿は見えない。
ラシェルも気配に気づいていなかったようで、忌々しげに周囲を警戒している。
「人里近くに追い込んだのは、やはり正解でしたね。あなた方のようなお人好しがきっと来てくれると思っていました」
唐突に、男がソフィアの生み出した光源の中に姿を現した。
森の奥から歩いてきたというよりは、本当にその場にすっと現れたような感じだ。
ラシェルも言っていたが、やはり姿や気配を消す技法を使用しているのだろう。
「随分と含みのある言いかたをするじゃない」
身構えながら、ラシェルが言った。
男はラシェルのほうを見てにっこりと笑う。
「あなたたちは、自分たちに選択肢があると思っている」
言いながら、ゆっくりと俺たち全員を見渡すように首をめぐらせた。
「この獣を私に渡すか、あるいは自分たちで守るか。ですが、悩む必要はありません」
男がゆっくりとその場で杖を掲げた。
それと同時にソフィアが生み出していたはずの光源が消え、辺りが闇に包まれる。
そして、辺りに瘴気にも似た重苦しい空気が満ちたかと思うと、男の掲げた杖の先端から赤黒い光のようなものが放たれた。
『まずい! 囲まれた! もう逃げられない!』
獣娘が怯えたように俺の体にすがりついてくる。
次の瞬間、次々と周囲の地面に魔法陣が浮かび上がり、その中から剣や弓を持ったスケルトンたちが続々と姿を現した。
死霊召喚とでもいうのだろうか。その数たるや、十や二十どころではない。まさに軍勢といった様相である。
「どういうつもり?」
ラシェルがソフィアをかばうように位置どりながら、男を睨む。
「あなたがたに、最初から選択肢などはありません」
男はにっこり笑って、掲げた杖を俺たちのほうへ向けた。
「そこの獣も、あなたがたも、ここで死ぬのですから」
「走るわよ!」
スケルトンたちが武器を構えるより早く、ラシェルが荷袋から閃光玉をとりだして地面に投げつけた。
破裂した閃光玉が辺りを真っ白に染め上げ、スケルトンたちの動きが一瞬とまる。
その隙を突いて、俺とラシェルはソフィアを担ぎあげながらその場を遁走した。
『ま、待ってくれ! ワタシも連れて行ってくれ!』
「すまない! 勝手についてきてくれ! さすがに君までは担げない!」
「とにかく包囲網を抜けるわ! ソフィア、何でもいいから前に向かって魔術を使って!」
「あわわわぁ……!」
俺たちに担がれたまま、ソフィアが呪文を詠唱する。
刹那、杖の先端から純白の光が迸り、前方を強く照らし出した。
進路をふさぐスケルトンたちがその光に触れるや否や、一瞬にして灰燼に帰していく。
浄化法術だ。驚いたことに、ソフィアは法術まで使えるらしい。
「どうする!? このまま森の外まで逃げる!?」
走りながら、ラシェルが訊いてくる。
「いや、ダメだ! 結界がある以上、彼女は森の外に出られない!」
「あの子を守るっての!?」
「そうだ! それに、あの男は最初から俺たちを殺すつもりだった! そんな危険人物を野放しにはできない!」
「確かに、なめられっぱなしってのも癪に触るわね!」
俺たちは足をとめ、ソフィアをその場にドスンと下ろした。
振り返ると、必死の形相であとをついてくる獣娘の姿があり、そのさらに後方から追跡してくるスケルトンの足音が無数に響いてくる。
「とはいえ、多勢に無勢ではあるわよ。どうするの?」
「ソフィアの浄化法術で一掃できないか?」
「いや、いくらなんでもあれだけの数は無理でしょ」
確かに、言ってはみたものの、現実的ではないか。
それなら、敵の攻撃を凌ぎつつ少しずつ数を減らしていくしか――。
「ええとぉ……」
――と、俺たちの間を割るようにして、恐る恐るといった様子でソフィアが言った。
「あれくらいなら別に大丈夫ですよぉ……準備に時間をもらえればですけどぉ……」
「ほんと? あんた、どこまで万能なのよ」
ラシェルが驚愕もあらわに目を丸くする。
言い出した俺からしても、ちょっと驚きだ。ソフィアのスペックの高さには筋肉的な部分以外でも本当に驚かされる。
「それならば、時間は俺が稼ぐ!」
俺は集結しつつあるスケルトンたちに向き合いながら、大急ぎで鎧と上衣を脱ぎ捨てた。
「まさか、ここでアレを使う気?」
「こんな時のためのスキルだ!」
何故か信用なさそうな目つきでラシェルがこちらを見ていたが、俺は構わず大地を踏みしめると、頭の後ろで両手を組みながら骨盤を後傾させ、腹筋を最大限に収縮させた。
「《アブドミナル・アンド・サイ》!」
ノティラスの宿であったように、神聖な空気が辺りを包んだ。
傍らにいた獣娘が、まるで何かに心を奪われたように恍惚な表情を浮かべている。
――が、スケルトンたちはまったく動きをとめず、軍勢の後方で弓をつがえていたスケルトンが一斉にその矢を放ってきた。
「ちょちょちょ!? 全然効いてないじゃない!」
即座に危険を察知したラシェルが前方に飛び出してきて、ウーツ鋼の短剣で俺や獣娘に迫っていた矢を払いのける。
あ、危なかった。ラシェルの機転がなければ、今頃は俺も獣娘もスケルトンの矢によってウニのようになっていただろう。
しかし、何故だ。
スキルとしての《アブドミナル・アンド・サイ》には相手の行動を阻害する効果があるのではなかったのか。
「筋肉で魅了できる相手限定ってことなんじゃないの?」
半眼でラシェルが言う。
確かに、スキル効果には『腹筋で魅了する』という表記があった。
つまり、筋肉を持たないスケルトンは魅了しようがないということか。
盲点だった。こうなると、俺にはもはや時間を稼ぐすべがない。
「もう! 諦めて
ラシェルが短剣を鞘にしまい、弓を構えながら俺の背中を叩く。
くそ、こんなことなら鎧を脱がなければよかった。
俺は盾と剣を構えると、己の判断の甘さを呪いながら今一度スケルトンたちに向き合った。
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