第十二章 狼退治と死霊使い
俺たちが村を出て森にたどり着くころには、日もだいぶ傾いて森全体が茜色に染まりつつあった。
森はゴールジ村を出てすぐの街道沿いに広がっており、ラシェルの話だと、広さとしては村の敷地とほぼ同等くらいあるらしい。
「食べられる木の実や野草の気配をたくさん感じるわ。村の人は知ってるのかしら」
「どうだろうな。魔物や野獣の心配がないなら、今度紹介してみるか」
鞘に入れたまま剣で茂みをかき分けながら、俺たちはゆっくりと森の奥へ進んでいく。
ゆっくりと――なのは、もちろんソフィアに足並みを合わせているからである。
「はぁ……はぁ……森の中は歩きづらいですねぇ……」
相変わらずペースは遅いが、いつの間にか杖に頼らずに歩けるようになっている。
しかも、舗装されていない上に茂みのせいで歩きにくいこの状態でだ。
まだ俺たちがともに行動するようになって二日足らずというのに、この成長速度は驚嘆に値する。
もちろん、ソフィアにはノティラスを出る前、筋肉を正しく使う歩きかたについて軽く指導はしていた。
ただ漫然と歩くのではなく、歩いているときも筋肉に意識を向けさせるためである。
マインドマッスルコネクションという言葉があるように、意識するだけでも筋肉の賦活率に大きな差が出てくるのだ。
だが、そうはいってもそんなにすぐに身につくものではないし、ましてや一日二日で効果が出てくるようなものでもない。
やはり、彼女には相当なポテンシャルがあるのだろう。
この出会いを神に感謝しなければ。
「暗くなってきたわね……」
先を歩くラシェルが空を見上げながら呟いた。
少しずつ日没が近づいてきているのだ。
「さっき言っていた何かの気配というのは、近づいてきているのか?」
「うーん……向こうこっちに気づいてるかもしれないわね。どうにも距離が縮まらないわ」
ラシェルが足をとめ、それから急に顔を横に向ける。
「……誰?」
つられて見やると、ラシェルの視線の先にいつの間にか一人の男が立っていた。
森の闇に溶け込むような黒い外套を身にまとった痩身の男である。
「こんばんは。良い夜ですね」
男がにっこりと笑いながら挨拶をしてきた。
不気味な笑顔だ。歳のころは四十代半ばほどだろうか。暗がりでも分かるほど落ち窪んだ眼をしており、あまり健康そうには見えない。
上背があり、その手には何かの骨を思わせるような乳白色の杖を携えている。
「まだ夜には早いわよ」
何処か警戒するような面持ちでラシェルが答える。
この反応から察するに、少なくとも安易に心を許して良い相手ではなさそうだ。
「そうですね。ですが、時期に暮れます。あなた方も何かをお探しですか?」
笑顔は崩さぬまま、男が訊いてくる。
ラシェルは腰の短剣に手を伸ばすと、身構えながら聞き返した。
「どうしてそう思うわけ?」
「私もこの森で探しものをしているのです。どうかそう警戒なさらず」
男が顔を横に向けた。
俺たちが先ほどまで向かっていた方向だった。
「協力しませんか?」
「協力……?」
「私が向こう側に回ります。あなた方はこのまま先に進んでくれるだけでいい」
「挟み撃ちをしようってわけ?」
「そうです。察しがよくて助かります」
男が慇懃な素振りで頭を下げ、くるりとこちらに背を向ける。
「では、頼みましたよ」
こちらの了承は待たず、男はそのまま森の闇に溶けるように姿を消した。
何者だったのだろう。かなり不気味な人物だったが。
「あの位置まで気配に気づかなかった。たぶんそういうスキルか魔術を使ってたんだわ」
ラシェルが構えを解きながらふーっと息を吐く。
どうやら相当な緊張感だったようだ。
あるいは俺がノホホンとしすぎているだけか。
「今のヒトぉ……珍しい杖を持ってましたねぇ……」
俺の横までのそりのそりと歩いてきたソフィアが、消えていった男のほうを見やりながら言った。
「珍しい杖?」
「ギガンテスの肋骨ですぅ……死霊使いが好んで使う杖ですねぇ……」
「死霊使い……どうりで不気味な感じなわけね」
なるほど。よく分からんが、この世界にはそういった職もあるのか。
そこで、ふと思い当たることがあったので訊いてみた。
「今の男が狼のような遠吠えをしているということはないのか?」
「いや、ないでしょ。常識的に考えて」
にべもなく言い捨てられる。
まあ、冷静に考えてみればそれもそうか。
「でもぉ……あのヒトがわたしたちと同じモノを探してるのだとしたらぁ……ただの狼ということはなさそうですねぇ……」
「そうね……」
ソフィアが珍しく神妙な顔をしながらラシェルと顔を見合わせている。
「そうなのか?」
「いや、分かるでしょ。ていうか、分かりなさいよ。どう考えても狼退治って雰囲気じゃないでしょ」
ラシェルに半眼で睨まれた。
そうは言うが、ヒトを見た目で判断するのは良くないことだと思う。
例えば、すでにマリーベル以外の誰かが先ほどの男に狼退治を依頼していたという可能性だってあるのではないか。
「ヘリクツを言わない!」
蹴られた。口には出していなかったと思うのだが。
「まあ、どちらにせよ協力することにデメリットはないわけだし、わたしたちはこのまま先に進みましょ」
ラシェルに促されて、俺たちはそのまま歩みを進めることにした。
森の中はどんどん薄暗くなってきている。
人里に近い森ではあまりないことだが、日没後にはスケルトンや死霊といった魔物の類が現れることがある。
また、こういった深い森の奥では飢えて死んでいった獣の怨念などが彷徨っていることもあるらしく、人里が近いからと言って油断が許されるわけではない。
「……っ!?」
――と、先を歩いていた急に足をとめた。
「どうかしたのか?」
俺が訊くと、傍らを歩いていたソフィアが俺の服の袖を引っぱりながら地面を指さした。
「あれですぅ……」
暗がりでまったく気づかなかったが、ロープの通された十字型の杭のようなものが地面に刺さっている。ロープは杭を通って左右に長く張られていて、その先までは窺えない。
「結界だわ。この先、けっこう広い範囲にかけて展開されてるみたい」
「結界?」
思わず訊き返す。もちろん、言葉としての意味は分かるが、この世界において結界と呼ばれるものがどういった効力を持つのか、俺は知らない。
「結界は結界よ。魔物の出入り封じるためのものでしょ。ゴールジ村の門だって立派なもんだったじゃない」
なんだと。あれも結界だったのか。
「ていうか、何処だって人の住むところなら結果くらい張ってるわよ。でないと、魔物が入ってきて危ないでしょ」
言われてみれば確かにそうだ。
ゴールジ村に限らず、これまでに訪れたことのある街や村は確かに大なり小なりの塀に囲まれていた。
あれは物理的な面だけでなく魔力的な面でも魔物の脅威から住民を守っていたのか。
しかし、何だってこんなところに結界が張ってあるのだろう。
さすがにこんな森の奥深くとあっては野草採取のために村人たちが設置したものであるとも考えづらい。
「さっきの男が張ったものとみるべきかしらね」
「たぶん、そうでしょうねぇ……」
二人で何やら頷き合っている。
魔術的な知識のない俺は完全においてけぼりである。
「しかもこれ、ただの魔物除けの結界じゃないですねぇ……もっと高位の、それこそ魔族除けくらいのレベルの結界ですぅ……」
「そんなことも分かるの?」
「はいぃ……この森、最初から魔素の流れがちょっとおかしい感じがしたので、何かあるなとは思ってたんですけどぉ……たぶん、これが原因だったんですねぇ……」
何だかすごく高度な話をしている気がする。
「あんた、やっぱり凄い魔術師なのね。わたしはさすがにそこまでは分からなかったわ」
「いえいえぇ……大したことないですぅ……」
ソフィアが照れたように指先で頬をかく。
ノティラスの宿で見せられたあの魔術の感じからして、彼女が相当な使い手なのだろうということは最初から分かっていた。
その上、さらにハイエルフということもあって魔力的な感覚も常人より遥かに優れているのかもしれない。
「ただ、この結界がさっきの男の人によるものだとするとぉ……あのヒトが追っているものは、ひょっとしたら相当危険なものかもしれませんねぇ……」
「魔族かもしれないってこと?」
魔族――あまり正確には理解できていないのだが、この世界では魔王の力を分け与えられた者を総称して魔族と呼んでいることくらいは知っている。
そこいらにいるような野生の獣や魔物でも、ひとたび魔王の力を与えられるとたちまちのうちに知性を身につけ、絶大な魔力を持ってヒトに仇を為すようになるのだとか。
また、魔王の魔力の影響力が強い土地では自然発祥的に生物が魔族化することもあるらしく、そのため、魔王領と呼ばれる北の大地は非常に危険であるとされているのだ。
そんなものがこのゴールジ村の付近に現れたとあっては、一大事である。
「ていうか、だとしたらさっきの男も相当な使い手ってことよね……いや、まあそうか。あの距離まであたしが気づかなかったくらいだしね」
「ギガンテスの肋骨を持ってるだけで、十分凄いですよぉ……あれって、同じサイズのものを魔法銀で作るより高価だって言われてますからぁ……」
そんなに凄いものなのか。
魔法銀は同じ体積の金の十倍の価値があるとされる希少金属だ。
鋼より強靭でありながら軽木のように軽く、魔素を帯びているため、武器として使えば死霊や精霊といった非物質系の相手にもダメージを与えることができ、防具として使えば魔術によるダメージを抑えてくれるというとんでもない代物である。
それよりも効果というのであれば、相当なものだ。
仮にあの男が本当に死霊使いだったとすれば、いわゆるSランクスキル持ちのスペシャリストかもしれない。
「できれば揉めたくはない相手ね。どうにも嫌な予感がするけど……」
ラシェルが肩をすくめ、結界のロープをまたいで再び森の奥へと向けて歩き出した。
いつしか日は完全に沈み切っており、視界はほとんどが闇に包まれている。
「明かりをつけますねぇ……」
ソフィアが杖をかざし、俺たちの頭上に魔術で光源を作ってくれる。
やわらかい光が辺りを包み込み、まるで俺たちの頭上にだけ日差しが差し込んでいるような錯覚すら感じるほど自然な光によって周囲が照らしだされる。
「なんか、これはこれで逆に目立ちそうね」
「あ、そういえば目立っちゃダメなんでしたねぇ……」
慌てたようにソフィアが杖を振る。
すると、あたりを照らしていた光の強さが真昼の明かりから朝焼け程度の明度に落ち着いていく。この程度でも十分に視界の確保は可能だろう。
「ていうか……」
ラシェルが再び身構えながら足をとめた。
「みんなも構えて。何かが凄い勢いで近づいてくる」
「例の魔族的な何かか?」
「いや、その表現はどうなのよ。いやでも、たぶんそう。あの男が向こうから追い立ててるのかもしれないわ」
ラシェルはまっすぐ一点を見つめている。
闇に包まれたその空間に何があるのかまったく分からないが、彼女の探知スキルはきっとその先に何がどれくらいの速度で迫ってきているのか感覚として理解できるのだろう。
『……けて……すけてくれ……』
その時、俺の耳に何者かの声が聞こえてきた。
横を見やると、ソフィアも尖った耳をひょこひょこと動かしている。
「遠吠えが聞こえますぅ……やっぱり狼なんでしょうかねぇ……」
「うーん、そうなのかしら……」
二人とも身構えたまま正面を見据えている。
声は確かに正面から聞こえてきた。だが、ソフィアは遠吠えと言っている。
どういうことだろう。俺には遠吠えは聞こえなかった。
あれはちゃんと聞き取れこそしなかったが、確かにヒトの声だった。
『やっと見つけた! やっと助けが来た!』
今度こそはっきり聞こえた。何者かが助けを求めているのだ。
「来るわよ!」
ラシェルが腰の鞘から短剣を抜き、声を上げる。
ソフィアもいつでも魔術を行使できるように、杖を構えていた。
そして、次の瞬間、目の前の茂みをかき分けて一つの影が飛び出してきた。
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