第十一章 牧場の危機は筋肉の危機

「おー、キョウスケじゃんか。帰ってきてたのか?」


 牧場のほうに向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。

 振り替えると、ミルク缶の乗った荷台を引いているホビット族の少女がこちらに向かって笑顔で手を振っている。


「マリーか。久しぶりだな」


 少女の名前はマリーベル・プラネット——今まさに向かおうとしていたプラネット牧場の娘さんである。

 ホビット族なので見た目は十代半ばの少女だが、いちおう二十歳くらいだった気がする。

 オレンジ色の髪を二つくくりのお下げにして、作業がしやすいからといつも厚手のサロペットを着ている。

 一年前も同じものを着ていたから、きっと来年も再来年もずっとこのスタイルなのだろう。


「久しぶりー! しばらくは村にいるのか? 《水蝶》に泊まってるのか?」


 ガラガラと勢いよく荷車を引きながら駆け寄ってくる。

 体のサイズに見合わぬ膂力である。

 ちなみに《水蝶》というのは、この村にある大衆食堂を兼ねた宿の名前のことだ。


「いや、冒険者をやめてこの村に住むことになったんだ。これからよろしく頼む」

「えー!? 冒険者やめたのか? なんでー!?」


 ただでさえ大きな目をさらに丸く大きくしながら、マリーベルが訊いてくる。

 彼女の性格や言動自体は、実際の年齢よりも見た目の年齢に近い。


 俺は肩をすくめながら、もう何度目かになるお決まりの説明をした。


「へー、そんなことがあったのか」


 マリーベルは分かってるのか分かっていないのか、ふんふんと神妙に頷いている。


「それなら、うちに住むか? 牧場の手伝いをしてくれるなら、ただで住ませてやってもいいぞ。なんだったら婿になるか? 最近、親がケッコンケッコンってうるさいんだ」

「ありがとう。でも、もう住むところは決まってるんだ」

「そうかー、残念だな。それなら婿のほうはどうだ? おまえなら大歓迎だぞ!」


 それは『それなら』という流れで持っていって良い話なんだろうか。


「婿もダメだ。そういう話をすると怒るやつがいるんだ」

「……誰のことよ!?」


 後ろから尻を蹴られる。もちろんラシェルである。

 横目で見やると、やっぱり怒っている。

 とんでもなく吊り上がった眉と耳の角度がそれを証明している。


「あれー、なんだ。もうヨメさんもらってたのか?」

「よ、よよ、嫁ではないわよ! わ、わたしはラシェル。こいつの仲間ってところね」


 ラシェルが、遅ればせながら自己紹介をする。

 マリーベルは興味深そうにラシェルの顔を覗き込み、それからにっこり笑った。


「あたしはマリーベル! ラシェルもよろしくな!」

「えっ、あ、うん、よろしく……」


 マリーベルが手を差し出し、呆気にとられたラシェルだが、勢いに負けたようにその手を握り返す。

 どうせなら同じ村に住む者同士、これから仲良くなってくれると俺も嬉しい。


「それで、二人はどこに向かってるんだ? 暇なら牧場に寄っていくか?」

「いや、むしろこれから牧場に行こうと思っていたんだ」

「そうなのか? 牧場に用があったのか?」


 マリーベルが荷台を引いて歩きだし、俺たちもそれに連れ立って歩きだす。

 荷台の上に載っているミルク缶はどれも空き缶のようで、荷台が揺れるたびにカランカランと軽快な金属を響かせている。


「実は牛乳と卵を分けてもらおうと思っていたんだ。もちろん金は払う」

「えーっ!? そうだったのか! それは困ったなー」


 マリーベルの表情が曇る。

 困る――ということは、何か問題があるのだろうか。


「実は最近、牛たちの乳の出が悪いんだ。一週間くらい前から近くの森にオオカミが住み着いたみたいで、夜になると吠えるんだが、たぶんそれがストレスなんだろうなー」

「森って、わたしたちがこの村に来るときに見えてた森のこと?」


 ラシェルが口を挟んでくる。何か気になることでもあったのだろうか。


「二人がどっちから来たのか知らないけど、この村とノティラスの間にある森だなー。放牧地も森側にあるから、牛たちも怖がって牛小屋から出ようとしないんだ。ひょっとしたらそれもストレスになってるのかもなー」

「おかしいわね……」


 歩きながら、ラシェルが顎に手を当てて考え込む。

 それから、望遠鏡に見立てるような形で両手を顔の前に構えると、はるか遠くに見える森のほうを見やった。


「狼なんて、たぶんいないと思うんだけど……」


 そうか。ラシェルにはこの距離でも森の中が『視える』のだ。

 ラシェルの探知スキルには索敵能力も含まれる。

 しかも、Sランクである彼女の索敵能力はかなりの広範囲に及ぶはずだ。


「分かるのか!? ラシェル、おまえ、すんごいんだなー!」

「まあ、ちょっと距離があるから確実なことは言えないんだけど、この村に来るまでの間にも狼みたいな気配は感じなかったのよね。ただ……」


 ラシェルは含みを持たせるように顎に手を当てた。


「何かいるわね。魔物でも動物でもない感じ……ってことは、ヒトかしら?」

「森に何者かが住み着いているということか?」

「うーん、ちょっと自信ないわね。ヒトならヒトで判別できるはずなんだけど」


 歯切れが悪そうに言って、ラシェルが首を振った。


「なあ、キョウスケー」


 不意にマリーベルが荷台をとめ、切実な表情でこちらを見上げてくる。


「もし悪さしてるやつが分かるなら、そいつを退治してくれないか? このまま牛の乳の出が悪いと《水蝶》に卸す分もなくなっちゃうし、今の状態じゃキョウスケに分けてやることもできないしなー」


 なんと、それは由々しき事態だ。

 牛乳はこれからの筋肥大生活のためになくてはならない重要なものだし、何より《水蝶》に卸す牛乳すらなくなってしまうということはこの村全体の食事事情にも影響してくる。

 

「任せておけ」


 俺は力強く頷いた。


「牧場は俺たちトレーニーにとって必要不可欠なもの。その安寧が乱されようというのに、黙ってみていることなどできようものか」

「トレーニー? まあ、何とかしてくれるってことだよな? 助かる! もし牛たちの乳がまた出るようになったら、安く譲ってやれるように親父に頼んでおくからな!」


 マリーベルが破顔して、喜びを体現するように勢いよく荷台を押していく。

 微笑ましい気持ちでその後ろ姿を眺めていると、ポスッと軽く背中を叩かれた。


「冒険者はやめたんじゃないの? 安請け合いしちゃってさ」


 まあ確かに、結果的にやっていることは冒険者と変わらないか。

 だが、牛乳の安定的な供給は筋肥大生活にとって根幹とも言える要素であり、そのためにできることがあるならば全力を持って立ち向かうより他にない。


「ま、あたしは良いけどね。またあんたの背中を見て戦えるかもしれないし」


 ラシェルがニヤッと笑って、くるりと踵を返す。

 今の俺たちは最低限の手荷物しかない。

 森に住まうという謎の存在と対峙するなら、改めて準備が必要だ。


 借り家に戻ると、まず最初に気づいたのはソフィアの寝ていたベッドの位置が明らかに変わっていることだった。


「うおぉぉ……ロープがほどけないですぅぅ……」


 ドスンドスンとベッドが揺れながら動いている。

 どうやら目覚めたソフィアがベッドの上でもがき続けた結果、少しずつベッドの位置がずれていっているらしい。

 何というパワー。そして、それに耐えうるベッドの頑強さに感嘆する。


「ソフィア、すまない。今帰った」


 俺が声をかけると、ベッドの上でロープに拘束されたソフィアが顔だけを上げた。


「コーチぃ……これはあまりに酷すぎますぅ……」


 涙と鼻水を垂らしながら訴えてくる。

 うむ。確かにちょっとかわいそうなことをしてしまったかもしれない。


「魔術で何とかしようとは思わなかったの?」


 冒険の荷造りをしながら、ラシェルが訊いた。


「わたしぃ……杖がないとすぐに魔術が暴走しちゃうのでぇ……できるだけ杖なしでは魔術を使わないようにしてるんですぅ……」


 つまり、この状況でもそういった冷静さは残っていたということか。


「きっとぉ……これもコーチの考えがあってのことだと思ってぇ……我慢しようとは思ったんですけどぉ……もう、お腹が減りすぎちゃってぇ……」


 確かに、そろそろ昼食の時間ではあった。

 ソフィアにしてはかなり我慢できているほうだろう。

 成長の実感に思わず涙腺が緩みそうになる。


「よし、ロープを解こう。そして、冒険に出る準備をするんだ」


 俺がそう言ってベッドとソフィアをぐるぐる巻きにしているロープをほどいていくと、ソフィアが寝転がったまま目を丸くする。


「えぇ? 冒険ですかぁ? もう冒険者は引退なのかと思ってましたぁ……」

「まあ、森の狼退治をするだけよ。ほんとに狼かどうかは分かんないけど」

「狼ですかぁ……狼のお肉はどんな味がするんでしょうねぇ……」


 ふむ、狼肉か。食べたことはないが、確かにどんな味がするんだろう。


「食べちゃダメでしょ。ダイエット中なんだから」


 ラシェルが半眼で言う。

 もうすっかり身支度はできているようで、精霊銀の鎧にウーツ鋼の短剣、オレイカルコスの弓といういつもの冒険スタイルになっている。


「いや、そんなことはない。適度であれば食べることも大事だ。空腹とうまく付き合いながらも必要最低限の食事はしっかり摂る。それがダイエット中の正しい食事法だからな」

「たまには干し肉以外も食べたいですぅ……」


 そういえば、以前にもそんなことを言っていたな。

 狼肉を干し肉にしたら怒られるだろうか。


「さ、あんたたちもさっさと準備して。日が暮れたら面倒になるわ」


 テキパキと準備を済ませるラシェルに促され、俺とソフィアも準備をはじめる。

 といっても、ソフィアはもともとこの村に辿り着いたときから格好としては何も変わっていないので、準備が必要なのは俺だけだ。


 荷袋に食料と薬草類を詰め、鎧を身に着けて盾と剣を背負う。

 これを脱いだ時はもう二度と使うこともないだろうというつもりであったが、わずか一日足らずでまた世話になることになろうとは。

 今回のようなことを考えると、意外にもまだまだ活躍する機会はあるかもしれない。


「あれ、ソフィア……あんた、ちょっと痩せた?」


 ――と、何か感じるところでもあったのか、唐突にラシェルが言った。

 何を馬鹿なと思いつつ、ベッドから立ち上がったソフィアを見やると、確かに出会ったころに比べて少し顔立ちがすっきりしているように見える。


 ひょっとしたらこの一日、二日で浮腫みがとれてきたのかもしれない。

 浮腫みは顔や体の見た目にかなり大きな影響を与える。


 あるいはそもそもエルフと人間の身体構造の違いから、人間よりもはるかに早い速度で除脂肪が行われていっているという可能性もある。


 例えば、かつて旅の最中にダンジョンで遭難していたというドワーフに出会ったことがあるのだが、一週間以上まともな食事をしていない彼は確かにやせ細って見えた。

 だが、無事にダンジョンを抜けてまともな食事にありつけるようになると、わずか半日後には元の筋骨隆々な肉体を取り戻していたのだ。


 種族的な特性で、人間よりも遥かに強力なホメオスタシスが働いてるのかもしれない。

 だとすれば、エルフに痩身な者が多いという傾向から考えて、ソフィアのダイエットも思ったほど時間を労せずに目標を達成させることができる可能性もある。


「わ、わたし、痩せましたかぁ!? ああぁ……でも、確認したいのに、ここには鏡がないですぅ!」


 確かに、この家には鏡がない。

 ダイエットにおいて自分の身体を鏡や実寸で確認し、さらに記録に収めておくことは意外にも重要な要素だ。

 変化が目に見えて分かればやる気の向上に繋がるし、実寸の記録はその差を比較することで見た目に分からない小さな変化に気づくことができる。


 追加で家具を購入するとき、姿見の購入を忘れないようにしよう。


「まあ、あんたのその水着みたいな服がゆるゆるになってきたら痩せてきた実感も出てくるんじゃない?」


 ラシェルが相変わらず嫌味なのかどうなのかよく分からない発言をする。


「この魔装具はぁ……わたしの体に合わせてサイズが変わるようになってるんですぅ……だから、痩せても太ってもいつでもぴったりなんですぅ……」


 しかし、当のソフィアは気にした様子もなく答えた。


 ふーむ、魔装具というのか。

 ひょっとして、何やらすごい装備品だったりするのだろうか。


「まあいいわ。準備ができたら出発しましょ」


 自分で話を振ってきたくせに、あまり興味なさそうにラシェルが先だって部屋を出る。

 俺とソフィアは顔を見合わせ、それから連れ立ってラシェルの後を追った。


 久々の冒険になるかもしれないな――そんなことを考えながら、気づけば俺は力強く拳を握りしめていた。


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