第十章 どっちが嫁なんじゃ?

「ほお、おんし、キョウスケか。久方ぶりじゃのう」


 村長の邸宅前まで辿り着いた俺たちに、さっそく声をかけてくる者がいた

 

 村長本人である。どうやら庭いじりをしていたらしい。

 ホビット族の老人で歳は八十代そこそこという話だが、大きな枝切ばさみを使って庭木の剪定をしているその立ち振る舞いにはまだまだ健脚っぷりが窺える。


 ホビット族は人間族より若干寿命が長く、個人差はあるが見た目の成長も人間で言うところの十五歳前後でとまる。

 老化がはじまるのは概ね七十歳くらいからで、そこから一気に老け込んでいくのが種族的な特徴だ。

 シンシアのようにホビット族の血が入ると老化が極端に遅くなる傾向があり、とくに人間族とホビット族のハーフは見た目だけで言えば誰しもが憧れるミックスである。


「村長、お久しぶりです。ご健在のようで何よりです」

「ほっほ、まあ元気だけが取り柄じゃからのう。ところで、こんなところでどうした。最近は勇者パーティの一員として活躍しておると聞いておったが……」

「それについてなのですが……」


 俺は村長に勇者パーティを追放されたこと、その上で冒険者としてではなく住民としてこの村を拠点に生活させてほしいということを伝えた。


「なんともはや、おんしがここに住みたいというなら、それは構わんが……」


 当然といえば当然だが、村長も驚きを隠せないようだった。


「しかし、《転生者》であるおんしが冒険者を引退とは……大丈夫なんじゃろうかのう」


 ここでも《転生者》か。

 これまであまり気にしていなかったが、《転生者》というものが何であるのか、一度ちゃんと理解しておいた方が良いのかもしれない。


「村長、《転生者》とはいったい何なのですか?」

「ふむ……まあ、もはや関係ないことかもしれんが、いちおう話しておこうかのう」


 村長が枝切ばさみを地面におき、真っ白なあごひげをさすりながら語りだした。


「《転生者》というは、世界を混迷から救う救世主であると伝えられておる」


 確か、シンシアも似たようなことを言っていたな。

 おとぎ話の類かと軽く聞き流していたが、村長の口ぶりから察するに、どちらかというと伝承か何かであるのかもしれない。


 そういえば、確かに俺がこの地に転生させられる直前、何者かに『世界を混沌から救え』的なことを言われていたような気がする。

 今はもうそれはできなさそうだが。


「おんしがこの地で目覚めたというあの森は、実は《神護の森》といってのう。不思議な障壁によって、魔物はおろかヒトですら立ち入ることのできない場所なのじゃ」


 なんと。

 ただの森だと思っていたが、そんなご大層な場所だったのか。


「ゆえに、あの森から出てくるものは神の加護を強く受けた者――《転生者》であるというのが代々の村長に伝えられとる言い伝えでのう。まさかわしの代でその《転生者》が現れるとは思わなんだから、当時はおったまげたものよ」


 なるほど。

 言われてみれば、俺がこの村に来たときの皆の反応は少しおかしかった。

 村の者に何処から来たのか訊かれて『近くの森から来た』と伝えただけなのに、村全体でいきなりお祭り騒ぎの大歓迎を受けたのだ。


「もともとこの村は《神護の森》から《転生者》が現れたときに、自然とその脚がこちらに向くよう道筋がつくられておるそうでな。《転生者》を迎え入れるための村というような側面もあったそうじゃが、何せ最後の《転生者》が現れたのは今から四百年以上も前のことだそうでのう。わしらもすっかり自分たちの目的なんぞ忘れておったわ。ほっほ」


 何処か他人事のようにそう言って、村長が笑った。

 

 そんな話を聞かされると、何やら重大な使命を背負っていそうな《転生者》でありながら隠棲生活を送ろうとしていることに一抹の罪悪感を感じなくもない。


「まあ、気にすることもなかろう。おんしに何か果たすべきことがあるのであれば、いずれ望むと望まざるとに関わらず運命が導いてくれよう。今はゆっくりしていくといい」


 そう言って村長は快く俺たちの居住を許可してくれると、雑貨屋の近くに空き家があるからしばらくそこを住居として使っていいと教えてくれた。


「ありがとうございます。これからお世話になります」


 俺は村長に礼を言って、深々と頭を下げた。


「なに、かまわんよ。ところで、少し気になっておったんじゃが……」


 顔を上げた俺に、村長が首をかしげながら訊いてくる。

 その視線は、俺の後ろに立つラシェルとソフィアに向けられていた。

 そういえば、二人のことを紹介していなかったな。


「彼女たちは、ラシェルとソフィアです。これから一緒に生活する予定です」

「ほう。それで、どっちがヨメさんなんじゃ?」

「よ、よよよ、ヨメぇ!?」


 声を上げたのは、ラシェルだった。

 ソフィアはしばしキョトンとしたあと、少しだけ頬を赤らめていた。

 

「いえ、どちらも妻ではありません。旅の仲間です」

「なんじゃ。てっきり嫁を娶ったから隠棲するのかと思っておったんだがのう」

「ここに来た目的はちゃんとあるのですが、それは落ち着いたら改めてお話します」


 俺は今一度、村長に頭を下げると、二人を連れ立ってその場を後にした。

 何故かラシェルに尻を思いっきり蹴られたが、理由については考えないことにする。


 それから俺たちは紹介された空き家に向かった。

 雑貨屋のすぐ裏にあったその家屋は、長らく放置されているせいかパッと見は廃屋のようにも見えた。

 もっとも、中はすぐに住居として利用できる程度には管理されていたようで、そこまで悲惨な様相ではなかった。

 思った以上に広々としており、家具も一通り生活に必要なものは揃っている。

 ただ、二人での暮らしを想定されているのか椅子やベッドは二つずつしか用意されていなかったので、こちらは買い足す必要があるだろう。


「久々のベッドですぅ……」


 ソフィアが真っ先にベッドまで駆け寄ると、躊躇いもなくマットの上に身を投げた。

 ボスンっと音を立ててマットが沈み込み、埃の柱が舞い上がる。

 ベッドの脚が折れるのではないか少し心配だったが、そこは大丈夫のようだった。


「あんた、よくそんないつから使われてないかも分からないベッドに飛び込めるわね」


 ラシェルが半眼で言う。

 まあ、少なくとももう一方のベッドのマットは日の高いうちに一度外で干しておくとするか。


 ソフィアはしばらくベッドの上から動きそうになかったので、俺とラシェルで簡単に部屋掃除と荷物整理を行った。


「……で、これからどうするの?」


 もともと用意されていた木製の椅子に反対向きに座りながら、ラシェルが訊いてくる。

 そういえば、俺の中でこれからやるべきことははっきりしているが、ラシェルやソフィアにはまだこの村に来た本来の目的を伝えていなかった気がする。


「まずは食料の買い出しに行こう」

「あれ? 筋トレするんじゃないの?」


 意外だと言うように、ラシェルが目を丸くする。


「うむ。筋トレはしたいが、今のところトレーニング機材もないからな。まずは食料の確保を確実なものにしてからにしておこうと思うんだ」

「機材? 筋トレって、その辺で腕立てとか腹筋とかするんじゃないの?」


 おお、そうか。意外な盲点だった。


 さすがにこの世界にも基本的な筋トレの概念くらいはあるだろうが、俺たちの世界でいうボディビルトレーニングのようなものは存在しないのだろう。

 要するに、マシンやフリーウェイトを使ってトレーニングするという発想がないのだ。

 いや、ひょっとしたらあるかもしれないが、少なくとも一般的には知られていないのだろう。


 この村にはドワーフの鍛冶職人がいるので、ゆくゆくは彼の協力を得てフリーウェイト器具やトレーニングマシンの製造も考えてはいる。

 だが、それはもう少し先の話だ。


「まあ、別にいいけど。食料の買い出しって、どこに行くの?」


 わりとどうでも良さそうに、ラシェルが椅子から立ち上がった。


「まずは牧場に行こうと思う。牧場は俺たちトレーニーにとって宝の山だからな」

「宝の山ねえ。それで、ソフィアはどうするの?」


 ラシェルがベッドの視線を向ける。

 ソフィアはいつの間にか埃まみれのベッドの上でぐうぐうと寝息を立てていた。


「うーむ……」


 彼女も別に子どもではないのだから、放っておいても問題はないと思う。

 しかし、目を離した隙に今までの反動から爆食に走らないかという危惧はあった。


「よし、このままベッドの上に縛りつけておこう」

「……はぁ?」

「なに、枕元に水袋さえおいておけば、死にはしない」


 俺は荷袋の中から荒縄をとりだすと、ベッドの下を通してソフィアとベッドをぐるぐる巻きにした。

 我ながら見事な手際の良さだった。 


「……ここまでする?」

「彼女のためだ。あとはこのロープとベッドが彼女のパワーに耐えられることを祈ろう」


 俺は荷袋を手にすると、呆れたような視線をこちらに向けるラシェルを伴って牧場へと出発した。

 帰って来たときにソフィアがどうなっているかは――今は考えないことにしよう。

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