第九章 オークじゃないですぅ
「なんだ、けっこうすぐだったわね。これならわざわざ野営するまでもなかったかも」
野営地を出て歩くこと数十分、街道の先にゴールジ村の門が見えてきた。
もともとノティラスとゴールジ村の間はそれほど離れていないため、野営地から村までの距離もそこまで長いものではなかったのだ。
「すみません、わたしが歩くのが遅いばっかりにぃ……」
相変わらず杖で自分の体を支えながら、ソフィアがのそりのそりとついてくる。
実際、彼女の歩くペースに合わせていなければ、あそこで野営を挟む必要はなかったかもしれない。
だが、それでいいのだ。
急ぐ旅ではない。そして、ダイエットも決して急いではいけない。
ゆっくり時間をかけて、そして確実に進めていく。でなければ、必ず無理が生じて何処かに反動がくる。
「謝ることはない。むしろ誇るべきだ。ここまで君はちゃんと歩き切った!」
俺はソフィアを大いに褒めた。
これは小さな一歩――そして、成功への確実な一歩なのだ。
「でも、もう歩きたくないですぅ……あと、もう干し肉ばっかりの食事も嫌ですぅ……」
ううむ、そうは言っても、ちょっと褒めた程度でその気にはならんか。
ダイエットとは、基本的に苦行である。
苦行を継続させるには、本人のやる気以上に負荷のコントロールが重要になってくる。
「まあ、今日のところは何か美味しいものでも食べよう。だが、まずは村長に挨拶に行かなくてはな」
ゴールジ村の門をくぐりながら、俺が言った。
ほぼ一年ぶりの来訪になる。
門を抜けてすぐに見えるのは大きな牧場だ。養鶏場もかねており、昼間は柵の中で鶏が放し飼いにされている。
この村なら、良質な乳製品も鶏卵もすぐに手に入るだろう。
門からはまっすぐに道が伸びており、目指すべき村長の家は一番奥の高台の上にあるはずだった。
「あんた、この村になんか縁でもあるの?」
あたりを見渡しながら聞いてくるラシェルに、俺は頷いた。
「俺がこの世界に転生してきたばかりのころに世話になっていたんだ。冒険の途中で立ち寄ったというアリオスたちと出会い、そのまま一緒に旅に出るまでな」
「へええ、ここであいつらと出会ったんだ」
興味があるのかないのか、ラシェルがふーんと鼻を鳴らした。
アリオス、イルヴァ、ロナンとはこの村で出会った。
その三人とはいわばパーティ加入時からのつきあいだが、ラシェルが仲間になったのはそれからもう少し先の話になる。
俺たち四人でダンジョン攻略をしている最中、一人で魔物の群れから逃げているラシェルを見かけ、俺が独断で助太刀に入ったのが出会いのきっかけだった。
当時のラシェルは一匹狼を気どっていたのか、せっかく手助けをしたにも関わらず『余計なことしないでよね!』と吐き捨ててその場から去ってしまった。
しかし、後にまた別のダンジョンで再会することとなり、そこでもやはり魔物に追われていたので手助けをすることになる。
そして、二度もこんな偶然が重なるのであればこれはもう運命だろうと、反対する周りを説得して俺が仲間に誘ったのだ。
懐かしい話である。
今頃、あの三人は元気にしているだろうか。
「坂道が辛いですぅ……」
村長の家に向かう道中は緩い坂道になっている。
ソフィアが必死についてきながらも悲壮な声を上げていた。
あまり歩かせすぎても膝や腰への負担が大きくなるかもしれない。
俺は村長の家に向かうのはいったん中止し、すぐ近くに見えた雑貨屋のほうに向かった。
「すまない、何か椅子になるようなものがあれば貸してもらえないだろうか」
店に入り、奥にいる店主らしい女性に声をかける。
石のようなものを手に持ってじっと眺めていた女性が、ちらっとこちらに視線を向けた。
「あれ……あんた、キョウスケ?」
赤毛のボブカットと片目に着けたモノクルが特徴的な女性は、よく見ればかつてこの村に世話になっていたときに交流のあった女性だった。
シンシア・マーレイである。
見た目は人間の若い女性と変わらないが、ホビットと人間のハーフで、実際の年齢はゆうに四十歳を超えているのだという。
昔から魔道具を集めることを趣味にしているらしく、そういった商品を扱う雑貨屋の店主になるのが夢だとは語っていたが、まさかこの一年で実際に店を構えていたとは。
「シンシアか。元気そうだな」
「あんたこそ、久しぶりじゃない。あんたたちのパーティ、勇者パーティに認定されたって村でも有名になってるよ。お仲間さんたちも一緒なのかい?」
「いや、それについてなんだが……」
実は勇者パーティを追放されてな――と、正直に話すのも恥ずかしい気がしたが、隠しても仕方ないので俺はここまでの状況についてをありのままを説明することにした。
「へー、《転生者》であるあんたを追放ねぇ……」
話を聞いたシンシアは、呆れてるのか驚いているのか目を丸くしている。
《転生者》——か。そういえば、以前にドラグナーの女性も口にしていたな。
「たまに思うのだが、《転生者》とは何か特別な意味を持つ存在なのか?」
俺は素朴な疑問をぶつけてみる。
「そりゃまあ、神様がこの世界に遣わしてる存在なわけだからねぇ」
なんと――。
少なくともシンシアは《転生者》が何であるか認知しているということか。
「この村の住人ならみんな知ってるんじゃないかねぇ? 《魔王》が現れて世界が混沌としはじめたタイミングに現れて、最後は世界を救って去っていく《転生者》の物語は、この村じゃ紙芝居になるくらい昔っから伝わってる話だから」
なるほど。おとぎ話として伝わっているということか。
「だとしたら、俺は《転生者》失格だな」
「あんた、もう冒険に出るのはやめちゃったのかい?」
「ああ。またこの村で世話になろうと思ってな」
――と、その時、背後で何かがうごめく音がした。
「コーチぃ……椅子はまだですかぁ……」
おっと、ソフィアのことを忘れていた。
「え!? オーク!?」
「ううぅ……オークじゃないですぅ……」
驚くシンシアに、恨みがましい瞳でソフィアが呻く。
しかし、それも束の間、ソフィアは店内の棚を右から左に眺めると、うっとりとしたように溜息をついた。
「ここ、すごいですぅ……古代遺物や魔道具がいっぱいぃ……」
「おや、分かるのかい?」
シンシアが、少し嬉しそうにカウンターから身を乗り出す。
「はいぃ……この部屋自体が魔素で満ち溢れているのを感じますぅ……あぁ、こんなところに魔法薬の原料までいっぱいありますぅ……」
「すごいね、あんた……いや、なるほど、そういうことか」
シンシアが裸眼のほうの目を閉じて、モノクルごしにソフィアをじっと見据える。
「オークなんて言って悪かったね。まさか、ハイエルフのお姉さんだったなんて」
「ハイエルフ?」
急に出てきた単語に、思わずオウム返しで訊き返してしまう。
俺の認識しているエルフとは何か違うのだろうか。
「ハイエルフってのは、文字通り高位のエルフ……というか、高祖のエルフってところかねぇ。霊峰なんて呼ばれるような山の天辺とかに住んでいて、滅多に人里には降りてこないって聞いてるけど」
なるほど。だから、余計に人間の食文化への衝撃が大きかったのかもしれないな。
「ていうか、何だってこんな姿になってるんだい? 何かの呪いかい?」
「ううぅ……それはぁ……ぜんぶ人間がぁ……人間が悪いんですぅ……」
多いに誤解を招く発言だ。
というか、どうしてシンシアはソフィアがハイエルフだと気づいたのだろう。
「あの眼鏡のせいでしょ」
いつの間にか傍らに立っていたラシェルが、シンシアのモノクルを指さした。
「ご明察。この子もあんたのお仲間かい?」
「ああ、少し前まで一緒に勇者パーティにいたんだ」
「へえ……確かに、こりゃ大した実力者だ。なんだって勇者パーティを抜けたんだい?」
シンシアが今度はモノクルごしにラシェルを見ている。
あのモノクル、ひょっとして何かこちらの情報を盗み見る機能でもあるのだろうか。
「別に、大した理由はないわよ」
少し居心地悪そうに、ラシェルが視線をそらしながら肩をすくめた。
「んんん……? あんた、この強化付与は……」
そんなラシェルをじっと見つめながら、シンシアがニヤッと口の端を歪めた。
「なるほど、だから勇者パーティを抜けてキョウスケについてきたんだね」
「待って待って! ストップ!」
何かを察したのか、ラシェルがシンシアに向かって慌てたように詰め寄っていく。
「なんなの!? そのモノクル、そういうのまで見えるわけ!?」
「気持ちが強い子って、たまにこういう自己強化が自然発生するんだよねぇ。たいていは年端もいかない子どもとか若い男に多い印象だけど……」
「もういい! それ以上言わないで! キョウスケ、さっさと出るわよ!」
急に顔を真っ赤にして、ラシェルに腕を引っ張られる。
ソフィアはまだ店内の商品に興味津々のようだったが、俺たちが店外に出ていくと、そのあとをのそのそとついてくる。
「なかなか良い品揃えでしたねぇ……あそこにある原料ならぁ……ひょっとしたら痩せ薬なんかも作れちゃうかもぉ……」
うっとりしたように、ソフィアが呟く。
なんということだ。薬で解決しようなど、邪道中の邪道である。
「ダメだ、ソフィア。薬に頼れば必ずその薬に依存することとなる。薬のすべてを否定するつもりはないが、まずは生活習慣と食生活の改善を行うことが大前提だ」
「ううぅ……コーチは厳しいですぅ……」
ダイエットはその語源を『生活』という言葉としている。
それはつまり、生活そのものを整えていくことが重要であるということを暗に示しているのではないかと思うのだ。
確かにダイエットは厳しい。
だが、それは歪んだ生活を正しい形に導くための作業でもある。
より人生を豊かにするための手段なのだ。
「まずはできることからやっていこう。適度な運動と適切な食事管理。これさえできれば必ず結果はついてくるはずだ!」
もちろん、それが簡単なようで最も難しいことでもあるのだが。
「ううぅ……わたしにできるでしょうかぁ……」
涙目になりながらこちらを見上げるソフィアに強く頷きかけて、俺たちは再び村長の家に続く長い坂道をのぼりはじめた。
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