第八章 筋トレが繋ぐ二人の絆
「も、もう歩けないですぅ……」
膝からくずおれるようにその場にしゃがみ込みながらソフィアが呻いた。
杖で必死に体を支えていなければ、そのまま倒れていたかもしれない。
というか、彼女の体重を支えられるなんて、なんと強固な杖だろう。
「なんだかぁ……失礼なことぉ……考えられてる気がしますぅ……」
む、ひょっとしてソフィアは読心術の心得があるのか。気をつけなければ。
「あんた、考えてることが分かりやすすぎるのよ」
ラシェルが半眼で言って、それからぐるりと辺りを見渡した。
結局、あれから俺たちは宿はとらずにそのままゴールジ村に向かうことにした。
理由はいくつかあったが、まず一番大きな理由は、一刻も早くソフィアの食への誘惑を断ち切ること、そして、少しでも彼女を歩かせるためだった。
これはダイエットにかぎった話ではないが、何かをはじめると決めたら、すぐに実行することが実はとても重要だったりする。
せっかく決意を固めても、明日から頑張ろうでは必ずその気持ちは緩むのだ。
まして、ダイエットのような自分に苦難を課すような場合は特にその傾向が強い。
一方で、はじめてさえしまえば少なくとも二、三日は続けられるものでもある。
あとはそれをどれだけ長く継続させられるかだ。
そのための道筋は俺が示してやれるはず――たぶん。
「今日はあの辺で野営にしましょうか」
周辺を見渡していたラシェルが、街道を少し外れたところ建物跡のような場所を指さしながら言った。
不思議なことに、ラシェルは俺が徒歩でゴールジ村に向かうことを決めたときもあまり文句を言わなかった。
最初は街でゆっくり休みたいと言っていたから、てっきり不満を言われるものと思っていたのだが。
俺は先導するラシェルのあとを追ってソフィアに肩を貸しながら建物跡の中まで連れていくと、落ち着く場所を決めてそこに彼女を座らせる。
「このあたりは見晴らしもいいし、たぶん魔物も出てこないと思うわ。ソフィアはここで休んでなさい。キョウスケ、あんたはあたしと薪を集めに行くわよ」
テキパキと指示を出してくる。
彼女は狩人として戦闘面でも非常に有能だが、その本領はこういった野営時における探知スキルで発揮される。彼女が安全というのであれば、何も心配する要素はないだろう。
俺は荷袋を下ろし、中から寝袋と水の入った革袋をとりだした。
「疲れがひどいようだったら少し横になるといい。ただ、うっかり熟睡しないようにだけは注意するんだ。何かあったら危険だからな」
「あ、ありがとうございますぅ……」
その場にへたり込みながら、力なくソフィアが返事する。
「水分補給はこまめにな。空腹感をごまかすことができるし、血液の流れがよくなって代謝も上がる。トイレが近くなるかもしれないが、我慢は厳禁だぞ」
俺は寝袋の上で横になるソフィアにそう告げると、薪集めに行こうというラシェルのもとへと向かった。
「ちょっと歩いたところに雑木林があるわ。そこでテキトーに集めましょ」
ラシェルに先導されるままに、俺は街道沿いの草原を歩いていく。
「何だか楽しそうに見えるな」
ポニーテールの揺れるラシェルの後ろ頭に向かって、俺が訊いた。
最近の彼女は怒り狂っていることのほうが多かったので、少し新鮮だった。
「なんていうか、こういうの久々だなと思ってさ」
ラシェルが肩越しに振り替える。
「シュワルツェーネ王国で勇者パーティに認可されちゃってから、何処に行くのも高速馬車でしょ? 王国のバックアップで旅は快適になったけど、なんかそういうのって性に合わなかったのよね。安い馬車を乗り継いで遠くまで来たり、道中で野営してみたり、そういうのがやっぱり良いなーって」
確かに、こういった旅は久々だった。
勇者パーティに認可されると様々な特約が受けられる。
大きな街では宿泊料や食費が免除されるし、街間の移動は専用の馬車を利用できる。
だからこそ、冒険者パーティの中には勇者パーティとして認可を受けるべく実績を挙げようと躍起になっている者たちがたくさんいるのだ。
「俺たちが出会ったばかりのころも、ちょうど今みたいな感じだったな」
「そうそう」
ラシェルが機嫌よさそうにくすくすと笑った。
「イルヴァのやつが『探知スキルなら薪探しもできるんじゃないの? それに、戦士スキルの中には積載量アップがあったはずよね? あなたたち二人なら三日分くらい薪を集められるんじゃない?』とか言って、いっつもわたしたちに薪集めを押しつけてさ」
「そういえばそうだったな」
あんな形で別れることとなった元パーティメンバーたちだが、勇者パーティとして認可されるようになるまでのがむしゃらな冒険の日々はかけがえのないものだった。
気恥ずかしい表現になるが、ある種の青春とも言えたかもしれない。
「でもあたし、薪集めに行かされるのは別に嫌じゃなかったわ。あんたと二人っきりになれるチャンスだったし……」
ラシェルが足をとめる。
そして、何か思いつめたような表情でこちらを振り返った。
「ねえ、キョウスケ、あんたに頼みがあるの」
改まってどうしたというのだろう。
俺が黙って次の言葉を待っていると、ラシェルは意を決したように言った。
「あたし……あたしにも、筋肉のこと教えてくれない?」
なん――だと――?
俺の記憶が確かであれば、彼女は筋肉に興味があると見せかけて実は興味がなかったはずではなかった。
「いや、最初から見せかけてはいないけど」
そうだったか。
いや、まあ、それはいい。
それより、だとしたらこの心境の変化はどういったことだろう。
あのときの《アブドミナル・アンド・サイ》がラシェルの心も動かしたのか。
「そういうんじゃないわよ」
いつもだったらそろそろ物理的なツッコミが入ってきてもよさそうな気もするのだが、当のラシェルは何処か元気がない。
先ほどまでご機嫌だっただけに、さすがに俺も心配になってきた。
「ラシェル、急にどうしたんだ?」
「あたし……」
ラシェルはゆっくりとこちらに歩み寄ってくると、おもむろに俺の手をとった。
「あたし……あたしも、あんたと繋がりが欲しいの!」
俯いたまま、ぎゅっと俺の手を握ってくる。
俺の位置から表情は見えないが、耳の先が真っ赤になっている。
「あの子……ソフィアのおかげで気づいたんだけど、今のあたしは宙ぶらりんなのよ」
震える声でラシェルが続ける。
「冒険者のときは、あたしたちは言ってみればタッグだったわけじゃない。こういった旅の道中でも、戦いの中でも……でも、今のあたしはただあんたについてきてるだけ。今はまだいいけど、ゴールジ村についたら本当にあたしたちの間には何もなくなっちゃうわ」
「そんなことはないだろう」
「そんなことある! 冒険者じゃなくなったら、もうあたしたちの間に残ってるのはただの元パーティメンバーって事実だけになっちゃう! 盾役と攻撃役でもない、薪探しと荷物持ちでもない! あんたとあたしを繋いでたものは何もなくなっちゃうの!」
声だけでなく、肩まで振るわせている。
ひょっとしたら、泣いているのかもしれない。
俺には返す言葉がなかった。
まさか、ラシェルがここまで俺を必要としていてくれたとは——。
いや、伝えたい言葉はたくさんある。
当初、ラシェルは俺と一緒に行きたいというそれだけの理由でついてきたはずだ。
だが、それだけでは彼女の中で何かが足りなくなってしまったのだろう。
その足りない何かを埋めるために、そのためだけにラシェルはこれまでまったく興味のなかった筋肉に自ら関わっていこうとしてくれているのだ。
何という純真だろうか。
気づいたとき、俺の目からも涙が溢れていた。
「ありがとう、ラシェル! 君の気持ちは俺の心に、そして筋肉に強く響いた!」
「は? 筋肉に?」
ラシェルが顔を上げた。別に泣いてはいなかった。
どちらかというとだいぶ怪訝そうな表情をしていた。
俺は気にせずラシェルの手を強く握り返し、しっかりとその目を見つめながら言った。
「たとえ君が筋肉に興味がなかったとしても、俺は君の気持ちを無碍にしたりはしない。だが、君が俺との絆のために筋肉すら愛してくれるというのであれば、俺はその思いに全力で応えよう! 俺が君と筋肉の架け橋となろう!」
ラシェルは驚いたように目を丸くして——。
「えっ? あっ、あたしの気持ち……? あ、愛して……えっと、う……」
首筋から額まで真っ赤に染め上げ――。
「……うおおおぉぉらああぁっ!」
「ぐおっ!?」
何故か全力で俺を殴り飛ばした。なかなかのナイスパンチだった。
俺はかなり豪快に吹っ飛ばされてもんどり打った。
「か、か、か、勘違いしないでよね! べべべ、別に、あたしも最近ちょっと太ってきたからソフィアと一緒にダイエットしてもいいかなって、そう思っただけだし! まあでも、あんたがどうしてもあたしに筋肉のことを教えたくて仕方がないって言うなら、せっかくだから教えてもらってもいいわよ!」
溶岩から出てきた赤龍でさえそこまで赤くはならんだろうというくらい顔を真っ赤にして、ラシェルが言った。
まあ、さすがに俺でも彼女が何を言いたいかは分かる。
俺はゆっくりと立ち上がりながら、ラシェルに向けて親指を立てた。
「任せておけ! 君をきっと筋肉の虜にして見せる!」
「ふんっ! 期待はしないでおくわ!」
ラシェルはぷいっと顔を背け、そのまま雑木林のほうへと足早に歩いて行った。
その足どりが随分と軽やかになっているのは、たぶん気のせいではないだろう。
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