第七章 一緒にアブ・ドミナルしますぅ!

「こ、ここはどこですかぁ!?」


 巨体エルフがハッと顔を上げ、ずれた眼鏡をなおしながらあたりを見まわしている。


 今まであまり意識していなかったが、よくよく見てみると随分と特異な服装をしているようだ。

 紺色の厚手の外套を身にまとい、その下にはビキニの水着を思わせるような露出度の高い装具を身に着けている。

 見えている素肌の部分には魔術的な文様が浮かんでおり、どうやらこれらを隠さないために敢えてこんな破廉恥な格好をしているらしい。


 とはいえ、体型が体型なだけに別の意味で直視に堪えない様相になっていた。


「目が覚めたようだな」


 できるだけ巨体エルフの体は見ないようにしながら、俺が声をかける。


「あ、あなたはぁ……!」


 巨体エルフが驚いたように目を見開き、何故かちょっと顔を赤らめながら俺の腹部にちらちらと目線を送っている。

 さすがにもう服も鎧も着ているが、よほど俺の腹筋がお気に召したらしい。


「俺はキョウスケ・オリハラ。こんなところまで勝手に連れてきてしまってすまない」


 ひとまず自己紹介をする。

 巨体エルフは状況が飲み込めていないのかしばらくぼんやりとしていたが、やがてハッとしたように周りを見渡し、それからすぐに居住まいを正した。

 見た目のわりにその所作はキビキビとしていて、鈍重さは感じさせない。

 やはり相当なポテンシャルを秘めているようだ。


「わ、わたしはぁ、ソフィア・エルンドと言いますぅ。先ほどは取り乱してしまってすみませんでしたぁ……」


 ソフィアと名乗った巨体エルフは、そのままベンチの上で深々と頭を下げた。

 意外にも殊勝なその態度に、俺とラシェルは思わず目を合わせる。


「わたしぃ……つい最近、所属していたパーティを追放されてしまってぇ……それで、悲しくてヤケ食いしてたんですぅ……」


 なんと、彼女もパーティ追放の憂き目にあっていたのか。

 そんなタイミングで男に間違えられたりデブだの何だの言われれば、確かに暴れたくなる気持ちも分からないでもない。


「俺たちも心ない言葉をかけてしまってすまなかった。悪気があったわけではないんだ」

「いいえぇ……わたしもカッとなってしまってスミマセンでしたぁ……」


「なんか、思ったより悪い子じゃなさそうね」


 ラシェルが軽く肩を竦めながら言う。


「てか、なんであんたはパーティを追放されたの? ここにいる筋肉バカと違って、あんたは魔術師としても有能そうに見えるけど」

「それがぁ……話すと長くなるんですけどぉ……」


 ソフィアはしゅんとした顔で涙目になりながら語り出した。

 何か遠大な理由でもあるのだろうか。


「パーティのメンバーにぃ……私の歩く速度に合わせるのはもうしんどいから、ここに置いていくって言われちゃってぇ……」


 意外とシンプルな理由だった。


「つまりデブだから捨てられたってこと?」

「うぅ……そう言われると、そうなんですけどぉ……」


 いや、もうちょっとマイルドな言いかたはなかったのか。


「道中は馬車を使うとか、そういった方法は提案されなかったのか?」


 俺が訊くと、ソフィアは悲しそうに首を振った。


「一回、重過ぎて馬車の荷台を壊しちゃったことがあってぇ……それ以来、御者組合からブラックリストに入れられてるんですぅ……」


 それはそれでなかなかすごいエピソードだ。

 馬車の中には大きな貨物や子牛などの家畜を運ぶものもあるから、荷台の種類によっては彼女の重量を支えられるものもあっただろう。たまたま運が悪かったのかもしれない。


「ていうか、単純に疑問なんだけど、なんでそんなに太ってんの? あたし、いちおう生まれも育ちもエルフの里だけど、今まで太ったエルフなんて誰一人見たことないわよ?」


 ラシェルがずけずけと普通では訊きにくいような質問を投げている。

 見ていてひやひやするところもあるが、情報収集という意味では頼りになる。


「わたしもぉ……自分の里を出るまでは普通の体型だったんですけどぉ……」


 もじもじと恥ずかしそうに俯きながら、ソフィアが指先をもてあそぶ。

 そして、涙交じりの目で訴えかけてきた。


「人間の食べ物ってぇ……とっても美味しいじゃないですかぁ!」

「……は?」


 瞳を潤ませながら、ソフィアが両手を握りしめる。


「エルフの里ではぁ……野菜とか木の実ばっかりで味気なかったんですけどぉ……人間の世界ってぇ……鶏肉の空揚げとかぁ……牛肉のステーキとかぁ……デザートやスイーツもいっぱいあってぇ……気づいたら、食べるのがとまらなくなっちゃってぇ……」


 なるほど、人間社会の食文化に触れ、歯どめがきかなくなってしまったのか。


 俺にも似たような経験がある。

 ボディビル大会を終え、過酷な減量を終えたあとのことだ。

 すべての重圧から解放された圧倒的な開放感――そして、久々に口にする味の濃い、油のたっぷり使われた料理の数々に、食事の手がとまらなくなってしまうのだ。

 いわゆる爆食いというやつである。

 ひどいときはわずか二ヶ月で10kgの体重増を記録したこともあった。


「分かる……分かるぞ、その気持ち!」

「え……?」


 俺は気づけば強く頷いていた。


「食べたい衝動を抑えられないその気持ち、俺にも痛いほどわかる! そして、食べれば食べるほどに食欲を抑えられなくなっていくジレンマも!」


 俺の言葉に、ソフィアは目を丸くして聞き入っている。

 ラシェルは何故か半眼になっていたが。


「だが、今の君はやはり心身ともに健全な状態とは言いがたい。人が生きていくために食べることは最も重要な要素ではあるが、食事に支配されてはいけない!」

「食事にぃ……支配ぃ……?」

「そうだ! 支配からの脱却! つまり、君は《アブ・ドミナル》しなければならない!」


 アブには『離れる』、ドミナルには『支配的な』という意味がある。

 つまり、《アブドミナル》には腹筋の他に、支配からの脱却という意味もあるのだ!


「いや、ないわよ」


 何故かラシェルに後頭部をどつかれた。

 まあいい。俺が言いたいことは伝わったはずだ。たぶん。


「君一人では、魂を縛りつける食欲の支配から逃れるのは難しいかもしれない。だが、俺なら君を正しい道へ導くことができる。俺に手伝わせてくれないか?」

「わ、わたしぃ……」


 ソフィアが両手の拳を握ったまま、のそりとベンチから立ち上がった。


「わたしぃ、《アブ・ドミナル》しますぅ! そしてぇ、この醜い体からも脱却してぇ、わたしを置いて行ったみんなを見返してやるんですぅ!」


 力強く宣言する。

 動機は少し後ろ向きなような気もするが、きっかけなんて何だっていいのだ。

 モテたいから筋トレする、馬鹿にされるのが嫌だから筋トレする——そういったきっかけから筋トレの沼に落ちていく者は少なくない。

 彼女には間違いなく特別な才能がある。

 このほんのわずかな一歩が、彼女の新たな人生の幕開けになるはずだ。


「よく言ってくれた! 俺とともに行こう! ともに筋肉の高みを目指そう!」

「はいぃ! わたしを導いてくださいぃ!」


 いつしか俺たちは互いに手をとり合い、熱く魂を共鳴させていた。

 目的は違うかもしれない。

 だが、この世界でもともに筋トレに励む仲間ができたのだ。

 これほど嬉しいことがあろうか。


「あたし、ひょっとしてついてくる相手間違ったかな……」


 少し離れたところで、ラシェルが冷たい眼差しをこちらに向けていた。

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