第五章 腹筋はすべてを解決する

「君の短剣スキルで何とかならないのか? たしか、眠らせたり痺れさせたりする技があっただろう」


 ラシェルに訊いてみるが、首を振られる。


「あの炎を見てよ。詠唱者を守る防御壁の役目も担ってる。《スリープナイフ》で眠らせるにしても、近づけなきゃ意味ないわ。弓でバシッと射抜けっていうならやるけど」

「それはダメだ。できれば傷つけるようなことは避けたい」

「あたしだってヒトを射るのは気が引けるわよ。あんたこそ《シールドチャージ》でうまく無力感できないわけ?」


 なるほど、確かに俺の盾スキル《シールドチャージ》なら、ダメージを抑えつつ巨体エルフを無力化できるかもしれない。


「やってみるか……!」


 俺は背負っていた盾を構えると、そのまま力強く大地を蹴った。

 巻き上がる炎の渦を駆け抜け、巨体エルフに肉薄する。


「無駄ですぅ!」

「ぐおっ!?」


 しかし、巨体エルフの張り手一発であっさりと後方に弾き飛ばされてしまった。

 何という膂力。ドラグナーの戦士ですらここまでのパワーはないのではないだろうか。


「ちょっと!? 筋肉がどうこう言ってるわりに不甲斐なさすぎない!?」

「くっ……そうは言うが、俺は所詮70kg級の選手だ! 彼女はどう見ても200kgはある!」


 体一貫でのぶつかり合いにおいては重さこそが大正義だ。

 俺如きの《シールドチャージ》など、彼女にとっては児戯に等しいだろう。

 負け惜しみにしかならないが、あまりに分が悪い。


「またわたしのことをバカにしましたねぇ……ぜったい許しませんからぁ!」


 しまった。確かに女性相手に体重の話は禁句だった。

 怒りに狂う巨体エルフの頭上で輝く火球がさらに大きくなる。

 このままではこの辺り一体が焦土になってしまうかもしれない。


「もうこうなったら仕方ないわ! あんたがとめてもやるわよ!」


 ラシェルが弓を構える。

 彼女の持つオレイカルコスの弓は剛弓中の剛弓だ。

 たとえ急所を外したとしても、ヒトの身で受ければただで済むとは思えない。


「待て! 俺に考えがある!」


 俺はラシェルを手で制し、今一度巨体エルフの前に立ちはだかった。


「どうするつもりよ!?」

「彼女はまだ食事の直後で頭にそれほど血液がめぐっていないはずだ! つまり、集中力が完全でない可能性がある!」

「だから何よ!?」

「俺が彼女の集中力を削ぎ、詠唱を中断させる! その隙に君の《スリープナイフ》で彼女を眠らせるんだ!」


 それだけ伝えると、俺はおもむろに鎧と上着を脱ぎはじめた。


「は? なにやってんの?」

「彼女は自分が太っていることを気にしている。だから、デブと言われることや体重に敏感なんだ。だが、自分の体型にコンプレックスがあるということは、つまり彼女の中に理想となる像が存在するということ!」


 俺はさらに下に着込んでいた木綿のシャツも脱いで、上裸になる。


「ちょ、ちょっと!? この状況で何考えてんの!?」


 顔を赤らめるラシェルの言葉には答えず、俺は全力で大地を踏み締めた。

 両手を頭の後ろで組み、骨盤を強く後傾させる。

 上半身と下半身の両方の力を使って上下から腹部を圧縮するように力を込め、腹筋の立体感を極限までに高める。


「《アブドミナル・アンド・サイ》!」


 気づけば叫んでいた。

 

 見せつけるのだ。俺の鍛え上げられた腹筋を。


 脱いだのは上衣だけであるため、太腿まで見せているわけではないが、まあ良いだろう。


 何故か神聖な空気が場を満たした気がした。

 時がとまったような、そんな感覚だ。


 実際、巨体エルフの詠唱は完全にとまっていた。

 彼女の身の回りを守っていた紅蓮の炎も気づけば消失していた。

 呆けたようにこちらを見ている。すっかり俺の腹筋に魅入られているようだった。


「いまだ、ラシェル!」

「……え? あ、うん!」


 どうやらラシェルも少しボーッとしていたらしい。

 我ながら罪な腹筋だ。

 

 それはそれとして、動き出したラシェルは疾かった。


 目にもとまらぬ速度で巨体エルフの背後に回ると、首筋にウーツ剛の短剣を閃かせる。

 次の瞬間には巨体エルフの体から力が抜け、ガクッと膝からくずおれた。


「よし、うまくいった……!」


 ラシェルがふーっと息を吐き、短剣を鞘にしまう。


 曰く、別に切りつける箇所はどこでもいいらしい。

 部位に限らず刀身に塗られた薬液が傷口から浸透し、最終的には眠りに導くのだという。

 だが、首筋を狙うことでより素早く相手を昏倒させることができるのだそうだ。


 もちろん、下手に深く切りつければ命を奪ってしまいかねない技法だ。それを可能とするのは、ラシェルの短剣捌きがあってこそだろう。


 巨体エルフはそのまま膝立ちの状態でぐーぐーと寝息を立てていた。


「……てか、今のはいったいなに?」


 こちらに歩み寄りながら、怪訝そうな表情でラシェルが訊いてきた。


「あんなスキル、今まで使ったことなかったじゃない。いやそれ以前に、あんなスキルみたこともないわ」

「あれはスキルではない。ボディビルのポージングだ」

「ぽーじんぐ?」


 まあ、おそらくこの世界にボディビル競技はないだろうから、言葉で説明しても伝わりづらいだろう。

 言うなれば、体の各部位、各筋肉をより美しく雄々しく見せるためのポーズである。

 アブドミナル・アンド・サイは主に腹筋と大腿四頭筋の美しさを強調するためのポーズと言えよう。


 巨体エルフは少なからず自分の体にコンプレックスを持っているようだった。

 だが、コンプレックスとは憧れの裏返しでもある。

 それに、女性は男性を見る時、顔と同じくらい腹部に注目するという統計データもある。


 つまり、巨大エルフにとって鍛え上げられた俺の腹筋を見せつければ、好奇の対象として注視せざるを得ないことは想像に難くなかったのだ。

 我ながら素晴らしい洞察と言えよう。


「……まあいいけど。それより、これからどうするの?」


 膝立ちのまま昏倒する巨体エルフを見下ろしながら、ラシェルが肩をすくめた。


 気づけば食堂エリアはなかなか凄惨なことになっていた。

 あの恐るべき火炎魔術の発動こそ防げたものの、巨体エルフが破壊したテーブルも飛び散った食器はもちろんそのままである。

 俺が弾き飛ばされたときに巻き込んだ椅子やテーブル、観葉植物なども盛大にとっ散らかっていた。

 

「あんたたち……」


 背後から、殺気立つ女将の声が聞こえてくる。

 俺とラシェルは一度お互いの顔を見つめ合い、それからぐったりとため息をついた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る