第四章 ストロングマンスタイルのエルフ
ノースワーパウスから馬車を乗り継ぐこと三日、俺たちはついにノティラスの街に辿り着いた。
幸い天候にも恵まれ、宿の確保に困ることもなく非常に順調な旅路だった。
「やっとここまで来たわね。ゴールジ村はここからどれくらいなの?」
「歩いて小一時間といったところだな」
俺たちは馬車乗り場をあとにすると、そのまま商店の建ちならぶ大通りに足を運んだ。
ノティラスのメインストリートであるこの通りは、雑貨屋から魔法道具店まで様々な商店が軒を連ねている。
「さすがにちょっと疲れが溜まってきたわ。今日はこの街でゆっくりしない?」
宿屋の看板を見かけたラシェルが提案してくる。
確かに急ぐ旅ではないし、ここらで一度しっかり骨休めをしておくのもいいかもしれない。
これまでの宿に不満があったわけではないが、やはり街道沿いの宿と街にある宿では設備の充実度も違うだろう。
「そうだな。それに、ここなら美味い飯も食えそうだしな」
俺は二つ返事で答えると、そのままラシェルが見つけた宿のほうへと歩みを進めた。
この宿には覚えがある。
確か《キヤス亭》という屋号で、一階が大衆食堂を兼ねており、俺が以前にいた世界でいうところの牛丼のような料理が美味しかった記憶があった。
しかし、中に入ってみるとどうにも様子がおかしい。
食堂エリアにまったく客の姿が見当たらないのだ。
すでにお昼時は過ぎており、客入りが少ない時間帯なのは理解もできるのだが、それにしたってほぼ無人というのはいささか奇妙な後継のように思えた。
「お客さん、宿泊予定かい? 食事なら今日はもう閉店だよ」
受付にいる女将さんらしき女性が、俺たちの姿を見るなりそう言った。
「閉店? 今はモーニングしか出していないのか?」
別に宿泊できればそれでも良かったのだが、気になったので訊いてみた。
女将は困ったように首を振る。
「いいや。単に材料がないだけだよ。あそこにいる客が今日の分を全部食べちまってね」
女将が食堂エリアのほうを見やる。
その視線を追いかけるように顔を向けると、先ほどは気づかなかったが、確かにひとりだけ客が残っているようだ。
後ろ姿しか見えないが、かなりの巨漢に見える。
椅子一つではお尻がはみ出すようで、二つの椅子を並べてその上に座っていた。
机の上には空になった皿や器が山積みになっており、その数たるやゆうに十人前を超えるのではないかという物量だった。
「あれでもかなり片づけたほうなんだよ……」
女将がげんなりした様子で言った。
「すごい量ねぇ……ずっと一人で食べてるの?」
「朝からずーっとね。いや、昨日の晩からって言ったほうがいいか」
カウンターの上に頬杖をつきながら、女将が溜息をつく。
聞けば、あの巨漢は昨日からこの宿に宿泊している客であるとのことだった。
昨夜は昨夜で何十人分もの食事を一人で平らげ、今日も朝からこの調子なのだという。
おかげでこの宿にあった食材はお昼過ぎにはすべて食べつくされてしまい、今は従業員が急いで今夜の分の買い出しに行っているそうだ。
ちゃんと代金は支払われているらしく、いちおう商売的には何の問題ないらしい。
ただ、女将曰く、このように真昼間から開店休業という状態が続けば、いずれ妙な噂が出て客足に影響が出るのではないかと不安視しているとのことだった。
確かにすごい食べっぷりだ。これも考えようによっては立派な才能のひとつだろう。
筋肉を育てるためにはトレーニングも大事だが、食事も同じくらい——いや、それ以上に重要である。
実際、世の中には食が細いせいで思ったように筋肉をつけられない者もいる。
量を食べれるということ、そして、それによって身体を大きくできるということは、それだけで筋肥大にとって大きなメリットとなるのだ。
気づけば俺は無心に食事を続ける巨漢のもとへと歩み寄っていた。
「ちょ、ちょっと……!」
ラシェルが慌てたように俺の腕をつかむ。
「いきなり何するつもり? こんなところでトラブルでも起こったらどうすんのよ」
「いや、ちょっと彼と話をしたいだけだ」
「かれェ……?」
俺たちの会話が聞こえたのだろう。
巨漢がゆっくりとこちらを振り返った。
そして、俺とラシェルは同時に目を丸くした。
彼——ではなかった。
女性である。しかも、その風貌から見るにエルフ族のようだった。
油のシミが大量についた眼鏡の奥にはエメラルドのような美しい瞳が輝き、やたらとニキビが目立つ肌も色自体は透けるように白い。
手入れがなされずボサボサになった髪もよく見れば絹のように美しいブロンドで、パーツの一つ一つは確かに芸術的な美しさを讃えているようにも見える。
ただ、あまりにも太っちょである。
背丈もそれなりにありそうだが、横幅なんかは大人三人分くらいはありそうだ。
かつて俺がいた世界でいうなれば、力士という形容が最もふさわしいだろう。
「あなたも、そうやってわたしをバカにするんですかぁ!」
エルフの女性が怒気をはらんだ声で言った。
意外にも声は可愛らしいものだった。
男性扱いされたことを怒っているのかもしれない。
確かにそれはこちらの落ち度だ。
だが、馬鹿にするというのは誤解である。
俺は彼——いや、彼女の中に確かな光を見出したのだ。
「馬鹿になどするものか。俺は今、君の才能に目を奪われてしまったのだ」
「才能ぅ……?」
キョトンとしたように巨体エルフが俺を見上げる。
「ああ。君のその食べっぷり……そして、エルフという種族でありながらそこまで豊満な体型を維持できる圧倒的な消化吸収能力! 君にはきっと、この世界における筋肉の聖女ととしての才能がある!」
「聖女……」
巨体エルフは食事の手をとめて呆気にとられている。
その瞳は何処か夢見る少女のようだ。
どうやら『聖女』というワードが彼女の心に響いたのかもしれない。
良かった。迂闊なことを言っていつぞやのラシェルのように激怒されては元も子もない。
あの一件で、俺にも多少のデリカシーが身についていた。
「良かったら、俺とともに来ないか? 君ならば、俺なんかよりも遥かな高みを目指せるかもしれない。俺とともに筋肉の頂点を目指してみないか?」
「わ、わたしを、誘ってくれるんですかぁ……?」
「ちょっと待って」
ぐいっと後ろから引っ張られる。
ラシェルだ。何だかすごい形相でこちらを睨んでいる。
「え? なに? このエルフを一緒に連れて行こうって言うの? あたしがいるのに?」
かなり怒っている。
何か彼女の逆鱗に触れてしまったのだろうか。
「いや、仲間は多いほうがいいだろう」
「はぁ!? 何の仲間よ!? この先、冒険に行くわけでもないのに!? つーか、何で出会って数秒の、しかもこんな化けものじみたエルフをいきなり仲間に引き入れようとしてるわけ!? あんた、ひょっとしてデブ専なの!?」
ラシェルに胸ぐらを掴まれながら怒鳴られる。
前から思ってはいたのだが、彼女はちょっとヒステリー気質のようだ。
だがまあ、女性は少しくらいヒステリックなほうが愛嬌があって良いとも思う。
ラシェルは本能的にそのことを理解しているのだろう。
そんなことを暢気に考えていると、背後から急に猛烈な殺気を感じた。
「デブぅ……? あなた、今、わたしのことクソデブメガネブタって言いましたかぁ……?」
いや、たぶんそこまでは言っていないと思う。
「えっ? あ、いや、あんたのことを言ったんじゃなくて、このバカがデブ専なのかどうかを訊いただけで……」
ラシェルも慌ててとりなしている。
まあ、化けものじみたエルフという表現にもだいぶ問題はありそうだが。
「うるっさいのよ!」
殴られた。ヒステリー気質なだけでなく、手も早い。
「デブだとか化けものだとかオークもどきだとかスモウレスラーだとか……今さら誤魔化そうったってそうはいかないですぅ!」
残念ながらラシェルの言い訳は通用しなかったようだ。
巨体エルフは怒り心頭といった様子で両手でテーブルを叩きながら立ち上がった。
そのあまりの勢いと強さに、木製のテーブルはあっさりとへし折られてしまう。
テーブルの上にあった料理と食器が床に飛び散り、背後で女将が悲鳴を上げた。
あとで弁償しなくては……。
いや、そんなことはどうでもいい。
それよりも興味を惹かれたことがある。
この巨体エルフ、体が大きいだけでなくパワーもある。
まさにストロングマンスタイルだ。
エルフは本来であれば種族的に非力であり、STRやVITといった物理ステータスの才能限界も低い傾向にある。
それがどうだ。彼女の膂力は、明らかに常軌を逸している。
まさに外れ値——神々しいまでに圧倒的な才覚だ。
「誰にもぉ、わたしのことはバカにさせないですぅ! わたしのことをバカにした人がどうなるかぁ、しっかりと体に教え込んでやりますぅ!」
しかし、俺の気持ちなど知る由もなく、巨体エルフは怒り狂っている。
いったい何故だ……。
彼女は傍にある木製の杖を手にとると、何やら構えて呪文を詠唱をし始めた。
瞬間、その体を中心に紅蓮の炎が巻き起こり、さらに彼女の頭上に燦然と輝く火球が出現する。
見ただけで分かる。かなり高度な炎系の魔術だ。
肉体派かと思ったが、どうやら魔術師だったようである。
ううむ、魔術師でいてこのパワーはさらにすごい。
「ちょちょちょ、どうすんのよ!? こんなとこであんな魔術ぶっ放されたらタダじゃすまないわよ!?」
ラシェルが焦ったように俺の腕をつかむ。
確かに、いくらある程度の資金はあるとはいえ、この店ごと破壊されたら弁償どころの騒ぎではない。
「そーいうタダって意味じゃないわよ!」
後ろ頭をどつかれた。
冗談を言っている場合ではなさそうだ。
いや、そもそも口には出していないはずなのだが……。
ともあれ、このままではこの店も俺たちも危険だ。
まずは魔術の発動を阻止しなければならない。
そして、何としてでも彼女の誤解を解き、ともに高みを目指す仲間として引き入れるのだ。
この才能を放置しておくなど、筋肉の神に対する冒涜に他ならない。
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