第二章 そうだ、筋トレをしよう!

 その日の晩、宿泊予定だった宿に戻ると、あろうことか宿の店主から荷物と金貨袋を渡されてそのまま追い出されてしまった。


 どうやらアリオスが手を回していたらしい。

 俺が泊まる予定だった部屋はあのドラグナーの女性が泊まることになったらしく、もう空きの部屋はないから他の宿を探せとのことだった。


 いくら何でも酷すぎる――と、一時はそう思ったが、渡された金貨袋にはそこそこの大金が入っていて、ちょっとだけテンションが上がってしまった。情けない。


 手切れ金ということかもしれない。

 実際、これまでの冒険で得てきた富はそれなりのものだったし、装備品はほとんどが冒険の中で手に入れた古代遺物アーティファクトを拝借していたから、金は貯まる一方だったのだ。

 あいつらからすれば、これくらいの金に大した価値はないのだろう。


 ひとまず俺はその日の宿を確保すると、部屋に入ってこれからのことを考える。

 転生して右も左も分からないうちに冒険者パーティに誘われ、あとは成り行きに任せてこの一年間を生き抜いてきた。

 こうして自分の人生について考えるなど、大学受験で何処を第一志望にするか悩んでいたとき以来かもしれない。


 気づいたときには随分と夜も更けていた。

 そろそろ眠らなければ――そう思ったのだが、あんなことがあったあとだ。すぐに寝つけようはずもない。


 ベッドの上で悶々としているうちに、俺は何だかすべてが馬鹿らしくなってきた。


 こんな時は、とにかく体を動かすにかぎる。


 俺はベッドから飛び出すと、床の上で腕立て伏せをはじめた。

 久々の筋トレだった。

 とはいえ、所詮は自重によるトレーニングだ。


 この世界ではトレーニングではなく冒険によって基礎ステータスが上がり、それによって腕力や体力といったものも強化されていく。

 俺もこの世界にきて長らく筋トレから離れていたが、むしろ基礎筋力、基礎体力に関してはもとの世界にいたころより強くなっているくらいだ。


 自重の腕立て伏せではまるでトレーニングにならない。

 百回連続でやってもまだ余裕を感じた俺は、別の方法をとることにした。


 装具を着て腕立て伏せをするのだ。

 俺が普段身に着けている鎧は重装戦士が身に着けるような重たいものではないが、それでも総重量でいえば10kgは超えているはずだ。

 さらに剣と盾を背中に背負い、荷袋も担ぐ。これで20kgは加重できただろう。


 俺は再び腕立て伏せを開始した。

 今度はしっかりと筋肉に負荷を感じる。


 三十回ほど連続でやったところで胸がパンプするのを感じた。

 いい感じだ。あと四セットやろう。


 それが終わったら、今度はこのままスクワットだ。

 だが、加重20kg程度で通常のスクワットをするのはさすがに物足りない。

 片足で行うピストルスクワットならどうだろう。


 うむ――悪くない。程よく脚の筋肉に刺激を与えることができるはずだ。

 ベッドに片足をおいてブルガリアンスクワットも行った。


 下半身の筋肉は全身の骨格筋の七割を占める。

 本当であればもっと様々な種目で追い込みたいところだが、今はこれで十分だろう。


 下半身のトレーニングを終えると、俺は荷袋と金貨袋をひとまとめにした。


 今度はそれを片手に持ち、頭上に掲げ、下ろす。

 ワンハンドショルダープレスである。

 重量的にはかなり物足りないが、やらないよりはマシだろう。

 重量不足は回数で補えばいい。

 最終的に重要なのは重量とレップ数による総和、つまりトータルボリュームだ。


 肩が終わったら、最後に背中だ。

 俺は部屋に備えつけられていたテーブルの下に潜り込むと、仰向けになってテーブルの縁をつかんだ。

 そのままテーブルの天板に胸を近づけるように身体を持ち上げる。

 インバーテッドロウ――斜め懸垂である。

 鎧で加重していることもあり、思った以上に強い刺激が背中に入った。

 テーブルがミシミシと音を立てていたが、まあ壊れてしまったら弁償すればいい。


 バーベルやダンベル、マシンがなくても筋トレはできる。

 俺は久々に充実したひと時を過ごしていた。


 そうだ。俺にはこれがあったではないか。

 冒険の日々に明け暮れる中で、いつの間にか忘れてしまっていたようだ。


 筋トレをしよう。ボディビルをしよう。

 基礎ステータスにはまったく反映されないかもしれないが、構うものか。

 もう俺は勇者パーティの一員ではないのだ。


 使えない筋肉でいい。

 俺が鍛えるのは、使うための筋肉ではない。魅せるための筋肉だ。


 窓から見える月を見上げながら、俺は忘れていた情熱に身体が震えるのを感じた。


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