十 襲名

 藤堂八郎はその場から立って、座敷とその周辺にを見まわった。何処にも人が居ないのを確認すると奥座敷に戻り、隅に控えている日野徳三郎と唐十郎に目配せした。二人は藤堂八郎の意を理解して頷いた。


「亀甲屋の藤五郎の後頭部には鍼痕があった。和磨さんは藤五郎の鍼痕は誰の仕業だと思っているか」

 藤堂八郎は和磨を見た。和磨の態度はおちついたまま変わらない。

「わかりません」

「幻庵先生の後頭部にも鍼痕があった。誰の仕業だと思うか・・・」

「わかりません」


「これから話す事はここだけの話にしてくれ。

 そうでないと、和磨さんたち、家族皆の命に関わる事になる・・・」

「わかりました。他言しません」

 和磨はきっぱりとそういった。


「実はな、幻庵先生は、亀甲屋の主、香具師の元締めの藤五郎を探る御上の密偵だ・・・」

 驚いている和磨に藤堂八郎は、和磨が考えもしなかった事を話した。


 幻庵は御上から依頼され、藤五郎の阿片密売を探っていた。

 発端は、幻庵が藤堂八郎に相談したのがきっかけだった。

 藤五郎は山形屋吉右衛門を経由して阿片入りの菓子を各藩の上屋敷へ届けていたが、鍼治療している幻庵が各藩の上屋敷へ出入りしているのを知り、幻庵を通じて阿片入りの菓子を届けるよう方針を変えた。

 藤五郎の最初の依頼の際、幻庵は桐箱の菓子が阿片入りと気づき、与力の藤堂八郎に相談した。藤堂八郎は北町奉行と協議した結果、阿片の抜け荷の全貌を掴むため、幻庵に密偵を依頼した。しかし、山形屋吉右衛門が六助に桐箱の菓子が薬入りらしき事を漏したため、六助と山形屋吉右衛門が藤五郎に殺害されるという、藤堂八郎が思ってもみない事態へ進んだ。


「なあ、和磨さん。幻庵先生は藤五郎を手にかけ、六助と山形屋吉右衛門の仇を打とうとしたのであろうよ・・・」

 藤堂八郎はもしもの場合を考えて、幻庵の身に危険が迫ったら、藤五郎を病死に見せかけて鍼で始末するよう指示していたが、その事は和磨に話さずにいた。


「定めに従えば、香具師の元締め藤五郎の跡目を継ぐのは養女のお藤だ。

 しかし、図々しく藤五郎の甥を騙っている廻船問屋吉田屋吉次郎が、悪辣な手を使って藤五郎の跡目を継ぐだろう・・・」

 藤五郎の養女のお藤は亀甲屋の上女中で奉公人を大事にしている。藤五郎は跡目争いを気にして、お藤が養女である事を奉行所と亀甲屋の信頼できる奉公人にのみ知らせ、香具師仲間には知らせておらぬ。

 吉田屋吉次郎は、藤五郎の父親の後妻になった女の連れ子の子供で、藤五郎とは血の繋がりはない。図々しく甥を名乗っている騙りだ。


「養女が跡目を継ぐのでは・・・」

 和磨は藤堂八郎が何をいいたいのか気になった。

「御上は抜け荷を曝きたいのだ。吉田屋吉次郎は図々しく藤五郎の甥を騙り、香具師の元締め藤五郎の跡目を継ぎ、抜け荷も継ぐだろう。

 吉次郎が藤五郎の跡目を継ぐとなれば、御上は養女のお藤を説き伏せ、吉次郎に跡目を継がせて阿片の抜けを曝き、いっきに抜け荷に関わった者たちを成敗する気だ」

 和磨は与力の藤堂八郎がいわんとする事がわかったが、何もいわずにいた。


「和磨さんは亡き父上の跡を継いで室橋幻庵を名乗り、父上の意志を継いで、御上のために働いてくれまいか。吉田屋吉次郎とは面識があるだろう」

「・・・・」

 和磨は何もいえずにいた。


「藤五郎と幻庵先生の死因は病死として御上に届ける。検視した医者の竹原松月先生と日野先生にもそう言い含めてある。

 それとも、ふたりの死は鍼医による殺しだ、と御上に報告するか・・・」

 藤堂八郎の言葉も態度も優しいが、内容は密偵になるか咎人になるか選べ、と脅している。


「・・・」

 なんてことだ。許嫁のお加代に相談したとき、お加代が忠告したように町方に知らせておけば、父上を殺すなどと過ちを犯すことはなかった・・・。いったい、どうしたらよいのか・・・。和磨は返答に困って俯いた。頭に血が昇って、視界が涙でかすんだ。何も考えつかない・・・。

「私は・・・」

 私は勘違いして父上を殺してしまった・・・。

 目に涙が溢れ、和磨は返答できなかった。


「話さなくていい。私が和磨さんの立場なら、これ以上、父上に阿片の密売と、人殺しの罪を重ねさせてはならぬと思って、同じ事をしていた」

「私は・・・」

 和磨は声を押えて泣いた。


 藤堂八郎は優しく微笑んだ。

「先ほど私は和磨さんに嘘を述べた。

 事実はこうだ。

 亀甲屋の奥座敷に、外へ出る隠し潜り戸があった。 

 藤五郎の悪辣な行ないを知った賊が、隠し潜り戸から奥座敷に入り、幻庵先生に代わって藤五郎の首を刎ねた。

 幻庵先生は藤五郎を殺してはおらぬ・・・」


 私は勘違いして父上を殺してしまった・・・。

 目に涙が溢れ、和磨は返答できなかった。

「何も話さなくていい。私が和磨さんの立場なら、これ以上、父上に阿片の密売と、人殺しの罪を重ねさせてはならぬと思って、同じ事をしていた」

「私は・・・」

 和磨は声を押えて泣いた。


「心配するな。許嫁は加賀屋の次女のお加代さんだったな。

 私のいう事を聞いて幻庵を襲名し、許嫁のお加代さんと祝言を挙げれば良いのだ。

 密偵といっても、鍼医として患者の吉田屋吉次郎を往診して話を聞き、異変があれば、私に知らせるだけだ。これまでの幻庵先生のように、其方や家族の身に危害は及ばぬ。

 幻庵先生の意志を継げ。そうやって幻庵先生を供養してやれ。よいな」


「・・・・」

 和磨は腹を決めた。

 室橋家の総領としてお加代と家族を、お加代の実家の加賀屋を守らねばならない・・・。

 父上、すまなかった・・・。

和磨は涙を手で拭って顔を上げた。

「わかりました。幻庵を襲名して、お加代と祝言を挙げます・・・」

「それで良いのじゃっ。仲人は、私が引き受けたぞっ」

 藤堂八郎は満面の笑顔になった。部屋の隅で日野徳三郎が頷いている。唐十郎は藤堂八郎の詮議を静観していた。


 その後、和磨の咎は不問に付され、和磨は室橋幻庵を襲名し、父の後継者として北町奉行所の密偵をする事となった。

 廻船問屋亀甲屋は阿片の抜け荷を摘発されて、駿河の芥子栽培人ともども捕縛された。


(了)

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鍼医幻庵 与力藤堂八郎③ 牧太 十里 @nayutagai

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