六 説明五 六助と山形屋吉右衛門

 神無月(十月)一日。

 夕七ツ(午後四時)。

「幻庵先生。菓子折りを持ってきたぞ」

 大八車引きの六助が鍼医室橋幻庵の家に風呂敷包みを届けた。

 幻庵は和磨を連れて往診に出ていて家に居なかった。弟の義二は治療部屋の掃除と片づけをしていた。


 おさきは六助に配達の礼をいい、

「幻庵は往診に出ていますがまもなく戻ると思います。

 日頃のお礼に、夕餉を用意しましたから、食べて幻庵を待つように、と幻庵が申していました」

 と幻庵の伝言を述べて六助を家に上げた。


 六助は、

「まだ配達があるで、長居はできねえが、幻庵先生との約束だからなあ」

 そういって座敷に上がった。

 日暮れも近く、六助は腹が空いていた。おさきに勧められるまま、六助は用意された夕餉を馳走になって幻庵を待った。六助は父の太助から、酒を飲むと心の臓が止るから飲むなといわれている。酒乱の気がある六助は、父太助の気づかいをよくわかっていて言い付けを守っていた。


 半時ほどかけて六助の夕餉がすんだ。幻庵は帰ってこない。

「幻庵先生、おそいなあ。配達があるから、おら、帰ります。幻庵先生によろしくいってくだせえ」

 六助は礼を述べて幻庵の家を出た。



 暮れ七ツ半(午後五時)過ぎ。

 幻庵と和磨が往診から戻った。おさきは幻庵に、

「六さんが風呂敷包みを届けましたから、夕餉をふるまっておきました。引き止めていたのですが、配達があるといって帰りました」

 と伝えた。


 幻庵は何か気にしている様子で、

「そうか・・・。皆に、夕餉を用意してやってくれ・・・」

 といって六助が届けた風呂敷包みを開いて中の文を見るとおさきに、

「私は薬を牧野豊前守様へ届けてまいる」

 といって鍼治療の道具を懐に入れ、六助が届けた風呂敷包みを持って家を出ていった。


 和磨は、幻庵が風呂敷包みを牧野豊前守上屋敷へ届けていつものように亀甲屋へ報告に行ったと思い、夕餉もとらずに出かけた幻庵について母に何も尋ねずにいた。

 夕餉がすんでも幻庵は帰宅しなかった。夜になっても幻庵は帰宅せず、幻庵の帰宅を確認するまでは起きていようと和磨は思ったが、いつのまにか眠っていた。



 翌二日。晴れの早朝。明け六ツ(午前六時)。

 鍼医室橋幻庵の家に、新材木町の堀から六助の遺体が上がって検視中だと近隣の者が知らせた。

 和磨の母のおさきは、大八車引きの六助が亡くなった事を悲しみながら、亡くなった原因が、昨夕ふるまった夕餉にあるのではないか気になり、和磨を六助の死亡現場へ行かせた。

 六助は親孝行で優しく力持ちだ。和磨もよく知っている。どうして六助が亡くなったのかと思いながら、和磨は新材木町の堀に駆けつけた。



 六助は新材木町の船着き場に引き上げられて検視されていた。胴巻きに巾着があって中には銭もある。酒の匂いがすると岡っ引きが話している。


 和磨は六助から、酒を飲むと心の臓が止まるので酒を飲めないと聞いたことがある。六助が酔って堀に落ちたなら妙だと思った。


 六助を検視した、町医者竹原松月と検視検分方の日野徳三郎は、六助の後頭部にある傷痕を与力の藤堂八郎に示し、それとは異なる内容、酔って心の臓が止まって堀に落ちた、と話している。六助の身体に抵抗した痕跡は無い。


 和磨は人垣の間から六助の後頭部にある傷痕を見るなり、鍼による刺殺と確信した。あの傷痕は太い鍼の痕だ。この日本橋界隈で鍼を扱うのは父の幻庵だけだ・・・。

 和磨は足早にその場を去った。



 家に戻った和磨はおさきに、六助が酔って堀に落ちた、と町方の話を告げた。

 おさきは日頃の六助を思って涙ぐみ、臥所にいる幻庵に知らせた。昨夜、幻庵がいつ帰宅したかわからぬが、幻庵はまだ臥所に居た。


 この日、幻庵は朝餉も取らず、臥所から出てこなかった。和磨が幻庵の臥所を覗くと幻庵は褥で眠っていた。おさきが和磨に

「父上は不調のため、鍼治療は休みます」

 と伝えてきた。

 その夜、幻庵の臥所を覗くと、幻庵は褥に居なかった。



 そして今日三日。晴れの早朝。

 小舟町の米問屋山形屋吉右衛門の遺体が中之橋西詰めの袂から引き上げられた。近隣の者の知らせで、和磨は中之橋西詰めへ駆けつけた。


 検視した、町医者竹原松月と検視検分方の日野徳三郎は、与力の藤堂八郎に、山形屋吉右衛門の後頭部の髪の生え際を示し、酔って心の臓が止まって堀に落ちたといった。藤堂八郎は遺体の確認に来ている山形屋の番頭の久市に、酔って心の臓が止まり堀に落ちたのだと伝えた。

 山形屋吉右衛門の後頭部の傷痕は太い鍼の刺し痕だ・・・。昨夜も一昨日の夜も父は臥所に居なかった。これは父の仕業だ。いったい父は何をしているのか・・・。


 帰宅すると和磨に、おさきが、

「父上は体調が悪いので、今日も治療は休みにします」

 と伝えた。

 この日も幻庵は臥所にこもったまま出てこなかった。

 父は昨夜の山形屋吉右衛門の殺害で疲れているのか・・・。



 和磨は、お加代と祖父富吉に、現在までの父幻庵に関する説明を終え、和磨なりの考えを話した。

「ここまでが、父に関して私が知っている事です。 

 二人の遺体が見つかる前夜の父の行動は不明です。

 父が二人を殺害したとはいえませんが、薬入りの菓子折りの出所は亀甲屋で、米問屋山形屋は配達の仲介、父は馴染みの患者に菓子折りを配っていたと思われます・・・。

 考えられるのは山形屋吉右衛門が六助に菓子折りの事を漏したために、六助と山形屋吉右衛門が口封じされたと考えられます・・・」


 富吉は、何か決心している様子の和磨が気になった。

「和磨さん、ご自分で何とかしようなどと考えず、御上に知らせた方が良いと思います」

「あたしも、そう思うわ」

 お加代は和磨だけでなく、家族の身を案じた。

 和磨に何かあれば罪は和磨だけでなく連帯責任だ。咎は家族親戚にまで及ぶ。許嫁のあたしだけでなく、この加賀屋にも咎が課せられる。それくらいはあたしにもわかる・・・。


「六助と吉右衛門の後頭部の傷痕は太い鍼による傷痕です。

 これだけ状況がそろえば、父に嫌疑がかけられます・・・」

 父が下手人となれば、父が行なってきた鍼医の室橋家は取り潰しだ。家族は遠島になる。そうなったら、お加代との祝言は無くなる。父親が誰かなどといっていられない・・・。家族とこのお加代を守るため、何とかせねばならない。どうすればいいのだ・・・。


「和磨さん。お母様とあたしの事を思ってね。危ない事しないで町方に知らせてね」

 お加代は和磨を見つめて微笑んだ。和磨に危険なことをさせてはならない。和磨はあたしや家族を思ってくれるはず・・・。

「わかりました。何とかします」

 和磨はお加代にそういって微笑んだ。何とかしよう。だがどうやってするか・・・。

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