番外編 カルゾル・グランダルの追憶①

「では、本日はこれで失礼致します。グランダル卿」

「うむ、ご苦労だった。気をつけて帰れ」


 最近誕生した我が子にすっかり骨抜きになっている副官が、隠しきれない急ぎ足で部屋から退出していく。もともと仕事の速い男だったが、このところさらに磨きがかかっていた。定時で上がり、子どもをで育てることに、命をかけている節さえある。


 ———まぁいいことだな。あまりにも仕事一辺倒だった彼が、こうも変わるとは正直驚いたが……


 一人になり静まり返った部屋の中で、カルゾルはカップに残っていた茶を口に運ぶ。


「……」


 仕事が終わり、世界が鮮やかなだいだいに満ちるこのぐらいの時間になると、つい考えてしまうことがあった。


 ———……あの子は今頃、どうしているだろうか……


 脳裏に浮かぶのは、この日暮れ色の目を持った若い娘だ。遺言執行人だったカルゾルが実質この国から追い出した、孫の幼友達。


 これまで見てきた限り、多少のことでへこたれるような性質ではないから、なんとかやっているだろうとは思う。だが控えめに見積もっても条件が厳しいのは間違いなかったし、彼女の唯一絶対の執着の対象から無理やり引き離されたものだから、気落ちくらいはしているかもしれなかった。


———腹など空かせていないといいが……


 そんなことを思いながらカルゾルが引き出しから取り出したのは、彼女が相続人として記されている遺言状だ。


 この遺言状を残した遺言者と自分の関係性を表す正確な言葉は、彼が存命だった頃も、そして亡くなった今も、カルゾルには結局よくわからなかった。


 言葉でけむに巻き、のらりくらりと身をかわし、いつも余裕そのものの笑みを浮かべ——————時にゾッとするようなことを平然とやってのける男。


 宰相ジェノイーダ・ヴィンスカー。


 友と呼ぶには、利害を完全に無視した手放しの信頼関係がなかった。同じく王に仕えていたという意味では同僚でいいのかもしれないが、戦友と呼ぶには己と彼がものは同じではなかったように思う。


 以前本人が自分で言っていたように、性質を見抜き、能力を見定め、有効的に活用することはあっても、誰かを全面的に信用するということはしない男だった。


 ———それでも、これを託されたということは、多少なりとも信用に近いものはあったのかもしれんが……


 カルゾルにとってジェノイーダは、最初はただひたすらに鬱陶しい男でしかなかった。一体どこから来たのかも、その素性もわからない。それにも関わらず宰相の椅子に座った彼は、策をろうし、法をすり抜け、法務大臣であるカルゾルをやたらと振り回す傍迷惑な余所者よそものであった。


 長く法務官だったカルゾルは、厄介な遺言に関わったことは何度もある。恨みつらみの果てに、相続条項にとんでもない条件がついたものを見たこともあった。


 だが、今手にしている遺言ほど、カルゾルを困惑させたものはない。


 日が暮れていく部屋の中で、その異質な遺言書をジェノイーダに突き返しに行った時のことを、カルゾルは久しぶりに思い出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る