二十六話 盗賊の戦利品

 ルーオンが帝都に連行されてから数日が経った、とある深夜。


 アルチェは部屋をそっと抜け出すと、寝静まった館の中を足音を忍ばせて歩いていた。向かったのは、歴代の祝福の杯が保管されている大戸棚のある部屋だ。


 扉の前で中をうかがうと、誰かが動いている気配がした。音が立たないように、アルチェは慎重にドアノブをひねる。


「ほら、とっとと運び出すよ、坊主。なんなら戸棚ごとでもいい」

「無茶言うなよ。こんなでかい戸棚、俺一人で持ち上がるわけないだろ」


 ひとつはデルフィンのものだったが、それに答えているのは予想外の声だった。


「……なんだ、あなたデルばあちゃんとこの人だったんですか」


 薄く開けた隙間から身を滑り込ませたアルチェは、後ろ手に扉を閉めて呟く。


 部屋に置かれた携帯ランプの灯りの中にいたのは、小太りの老女と遺跡で出会ったあの男だった。


「……お嬢ちゃん、なんか失礼なこと考えてないか?」


 二人を黙って見ているアルチェに、眉根を寄せて彼が言う。


「いえ、別に? ただ、まさしくボインの熟女だなぁ、と……お幸せに?」

「……絶対違うってわかってて言ってんだろ。仕返しのつもりか? お嬢ちゃん、性格悪いって言われるだろ」

「性格が悪いなんて、そんなまさか。私は祖父をして〝何かたくらんでいるとは思えぬ純真無垢な笑顔〟と言わしめるこの笑みがトレードマークでして」


 アルチェはにっこりと笑いかけた。


「つまりははかりごとをしてるのが大前提ってことだろ!? これだから国崩しはろくなのがいないんだよ……!」


 憤慨している男を横目に、デルフィンがにやりと笑う。


「こいつは借金を返し終わるまで、あたしの奴隷なのさ」

「ちょっ、人を勝手に奴隷にするなよ……!そもそも借金ったって、あんたが勝手に言ってるだけだろ! 確かに俺が壊しはしたが、そもそもあれは盗んだもので、あんたの持ち物じゃなかっただろうが……!」


 男はうんざりしたような顔で反論しているが、デルフィンが聞く耳を持つ様子はない。


「いいや、あれはもうあたしのものだった。それを坊主が考えなしに突っ込んできて壊してくれたもんだから、こっちは大損害なんだよ。当然、あんたにはその弁償をする義務がある」

「だーかーらー」


 アルチェは永遠に平行線にしかならないだろう言い争いを続ける二人の背後を見た。


 百をはるかに超える杯を保管している立派な大戸棚は、今や大きく開け放たれている。その錠には、アルチェの目と同じ色のリボンが結ばれた鍵が刺さっていた。


 この鍵はデルフィンがグラムスから盗んだわけではない。アルチェが今回の騒動の報酬として、戸棚の中身と共にリフィーリアから頂戴したものだ。


 アルチェとしてはそもそも受けた恩を返そうとしただけで、本当なら報酬などもらうつもりはなかった。しかしこの女盗賊に、ディフィゾイがエブローテのために残した鍵付き小箱の中身から退いてもらうには、どうあっても代わりの戦利品が必要だったのだ。


「本当に、使えもしないそんなものでいいのかい」と、アルチェに大金とか家宝の宝石とかを押しつけようとしていたリフィーリアは困ったように言ったが、この杯には歴史的価値や宝飾品としての価値がある。しかるべきところに売り払えば、ひと財産築けるはずだった。独自の売却経路を待つデルフィンなら、うまく売り払うことができるだろう。


 そうしてグラムスから鍵を譲り受けたアルチェは、印代わりに自分の目の色のリボンを結び、折を見てデルフィンの———いや、シュレール夫人の部屋に扉の下から滑り込ませておいたのだ。


 アルチェの視線に気づいたデルフィンが、鍵に目をやり頷く。


「そいつは浄水局の鍵を拝借した対価として、確かに受け取ったよ」

「ちょっ、デルばあちゃん! いくらなんでもすぎ! 私としては埋め合わせのつもりだったんだけど!?」


 慌ててアルチェが反論すると、デルフィンは鼻で笑った。


「馬鹿を言うんじゃないよ。これっぽっちでの埋め合わせができるもんか。あんたもわかってるだろう? いいかい、アルチェ。これはツケといてやる。だから見合った金か、それに相当する情報を寄越しな。一応よしみで出世払いにはしてやるけど、あんまり遅いと取り立てるからね」

「ええぇ!?」


 この一瞬でとんでもない莫大な額のツケを抱える羽目になったアルチェは、悲鳴をあげるしかない。


「ほら、ぼさっとしてないであんたも杯を箱に詰めて、裏口まで運ぶんだ」

「その上私にまで運ばせるの!?」

「当たり前だろう。使えるものはなんだって使わにゃ。ほら、そこの箱だよ。さっさとおし!」

「……はぁい」

「あんたもだよ! ジュナイダ!! 借金分きりきり働きな!!」

「へいへい、わかってますよ。わかってますって……」


 デルフィンは歴戦の猛者もさを思わせる見事な手際で音もなく高速で荷詰めをし、意気揚々と箱を運び出していく。


 アルチェと共に残された男———どうやらジュナイダという名らしいが———が、杯を箱に入れながらささやく。


「……俺さぁ、お嬢ちゃんからあのばあさんに、なんとか口利きしてもらえないかと思ってたんだけど」

「……口利きできると思いますか? 自分がこの有様なのに?」


 アルチェが半眼でうめくと、彼は顔を手で覆って首を振った。


「……だよなぁ……うん、いいわ。忘れてくれ。……あの人、昔からあの調子なのか? 浄水局の鍵を率先してりに行ってくれたから、てっきりお嬢ちゃんは孫同然に可愛がられてて、特別扱いなのかとばかり思ってたんだけど」

「……まぁ可愛がってもらったとは思いますけど……でも、それと金勘定は別なんですよ。あの人の中では。私、六歳の頃にあの人と一度取り引きをしたことがあるんですけど、何も知らないのをいいことに相場の三倍ふっかけられましたからね」

「……六歳児に容赦ねぇなぁ」


 ジュナイダは呆れ返ったような声で呟く。


「本当にね。その上じじ殿には〝なぜ先に適正価格を調べようとしなかったのか?〟と叱られ、グランダル卿には〝まだ子どもの分際でお前は誰になにを依頼しているのだ!!〟と説教を食らい、もう散々でしたよ」


 なんとも言い難い沈黙が部屋に満ちた。


「……まぁ、なんだ。お互い頑張ろうな」

「……そうですね。したたかな老人たちに負けずに、強く生きましょう」


 遠い目をした二人が力無く頷き合ったところで、鋭い声が飛んでくる。


「二人揃ってなにをぼんやりしてるんだい! トロトロしてないでさっさと運びな! 日が昇っちまうよ!!」

「「はい、ただいまー!」」


 こうしてやたらとせわしない夜は更けていったのだった。

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