二十五話 国崩しの孫娘④

「……そんなことをなさったのは……先代様に追い出されてしまったリフィーリア様を……思うあまりにですか?」


 副局長がルーオンを見つめてぽつりと呟いた。彼はディフィゾイとリフィーリアの間にあった確執を知っているらしい。リフィーリアがはっとしたような顔をしてルーオンを見た。


「いいえ」


 しかしルーオンより先にアルチェが口を開き、きっぱりと否定する。この窮地を凌ぐために、彼が嘘でもそうだと言ってしまえば、リフィーリアには強く情が残り確実に火種を残すことになるからだ。


 ———リフィーが切り捨てられないなら、私が切り離すしかない。たとえ彼女に恨まれるのだとしても……


「ルーオンさんが先代様を排除した目的は、確かにリフィーリア様に爵位を戻すことだったのだろうとは思います。ですがその動機は恐らく、好意やエブローティノへの忠義からきているものではありません。自分に信頼を寄せてくれているリフィーリア様の方がからです」


 ニレナが亡くなったあの朝、アルチェの『ルーオンさんから何かしらの忠告を受けた?』という問いかけに『それはなかった』とリフィーリアは首を振った。


 本音を言えば、アルチェは怒っていたのだ。リフィーリアの真っ直ぐな信頼や好意を利用されて、踏みにじられた気がした。ルーオンが見せていたあの態度がフリではないというなら、なぜ彼女になんの警告も与えず、大事なことを告げもせず、そしてあまつさえ彼女を害する切り札を持ったままでいるのか。


 そんな人間を、このままリフィーリアの側に置くわけにはいかない。そう判断したからこそ、このように帝都から監査官を呼び寄せる公的な告発の形をとったのだ。


「〝かしずくは、我らが潜む神ザグラ一人なり〟」


 古くから国をまたいで暗躍している地下組織がかかげる文言に、場の人々の中でも一部の年嵩の人間が、顔をこわばらせてアルチェを見る。


「そうです。このはかりごとの背後にいたのは……〝潜む神の使徒ザグラニゥ〟なんです」


 間違っても趣味の悪い冗談ではないのだと、アルチェは彼らを真っ直ぐに見つめ返した。


「水の司は、これまで言われていたような領主の盟友ではありません。管理者、あるいは看守、そして搾取する者です。領主たちが彼らの意に沿わなければ介入を行い、女神の怒りを恐れて行動を改めればよし……そうでなければ始末する。組織のために、代々そういう役割を担っていた者たちなんです」


 静まり返った部屋に、アルチェの声が淡々と響く。


「女神の伝承がそのために作られたのか、元々あったものを利用したのかはわかりません。あまりに栄えて人の出入りが多くなれば管理もしにくくなりますし、不都合なことに気づいたり、反抗する者も出てくるかもしれません。ですので、このような形で調整したのだと思います。フィルターをはじめ、ジャルト毒対応のものと通常機能のものでは値段が大きく異なります。その差額を利用し、組織の財源としての継続的な搾取を目的としていたのでしょう」


 そもそもエブローティノが傀儡かいらいとして用意された可能性さえあったが、アルチェはそこには触れないでおいた。もしそうだったとしても、今の彼らはまさしくこの地の人々を守る領主に他ならない。


「水の司、ルーオン・ハインダー。調査人の報告に異議はありますか?」


 立ち上がった監査官が重々しく言い、彼を見下ろす。


「……仮にあったとして、聞くつもりがあるのですか? 大きな裁量権を持つ特務監査官が、このような地方に派遣されてきた理由はひとつだけでしょう。どうあっても、僕を連れて行くつもりでしょうに」


 ルーオンは皮肉げに笑った。その視線がアルチェに向き、


「やれやれ……あの時に邪魔さえ入らなければね」


 彼はそう苦笑する。


「……私に天井を寄越したのは、やっぱりあなただったんですね」


 浄水局で向けられた視線はリフィーリアへの恋慕ではなく、〝排除すべき対象〟としてのアルチェへのものだったらしい。


「天井とはなんだ、アルチェ」


 眉根を寄せたリフィーリアに答えたのは、アルチェではなくルーオン自身だ。


「彼女のようなものを遺跡を崩して始末するなんて、なかなかにいい演出なんじゃないかと思ったんだけどね」

「なっ……」


 暗に殺そうとしていたという発言に、リフィーリアは絶句している。


「まぁ結局は残念なことに、余計な邪魔が入ったんだよ。さすがは悪運が強いことだ。見つけ次第、即刻駆除すべし。我が神の尊い教えが守れないとは、僕もまだまだだった」

「……言っておきますが、私はあなたが思っているものではありませんよ。前にも間違われたんですけどね」


 アルチェがそう眉根を寄せると、彼は小馬鹿にしたように笑った。


「君の意思など関係ないさ。その特徴を受け継ぎ、教えを受けたんだろう? そして今、小賢しくも僕の前にこうして立ちはだかっている。ならば君は、我々が築くものを破壊する害虫に他ならない。……僕が知らないと思ったかい? 君の祖父殿は、それはそれは立派な大害虫だったそうじゃないか。あの国も餌食にするつもりかと思いきや、思いのほか座り心地がよかったのかな? 最後までのは意外だったね」

「……」


 二人は黙ったまま、鋭い視線で互いを見据える。


「……あなたが忠誠を誓ったものは、その立派な大害虫とやらのせいで壊滅したんですよ。ご存じないんですか?」

「もちろん知っているよ」


 ルーオンはあっさり言った。


「ならばあなたが従うべきものなど、もう何もありません。消えたものに、いつまでしがみついているおつもりですか」

「……君にはわからないだろうけどね。我が神も我らが使徒も不滅だ。組織の減退など、ほんの一時的なものに過ぎない。我々こそが世界のかなめなのだからね。そんな尊いものとの盟約を破ろうだなんて、まったく不敬にもほどがあるよ」


 彼はそう言い放つ。


「だから手を下されて当然だと? 盟約だなんて、片腹痛いことこの上ないですよ。ここにあったのは、ただの強引な搾取と抑圧に過ぎません」


 反論したアルチェに、彼はにこりと微笑んだ。


「そもそもの前提が間違っているんだよ、国崩し。世界はもともと、我が神のものだ」

「……先代の水の司は、あなたと同じ意見ではなかったようですけど?」


 少なくとも、黙認期間があったはずだとアルチェは考えていた。そうでなければ推奨作物のお触れを出し、テテ麦などを次々に導入した時点で、先代領主は殺されていただろうから。


「そうだね。僕の父は、元々我が神への忠誠心が薄かったからね。組織の壊滅を聞いて、もうやめようとしていたよ。正真正銘、この地の人間になろうって。だから盟約が破られるのを黙認していた。……わかっていなかったんだよ、あの人は……我らが使徒の意義を、なんにもね」


 そうぽつりと呟いたルーオンは、はっと我に返り不敵な笑みを浮かべ直した。


「まぁそのせいか先代ご当人は盟約の存在に、なかなかお気づきにならなかったけどね。その点は先々代の方が、考える頭があったんだろうな。リフィーのお父上はかなり早いうちに気づいて、方向転換したらしいよ。家族を死なせたり、領民にいらぬ苦労を強いるよりは、って思ったんだろうね」


 リフィーリアの父親が領地を治めていた頃はまだ、潜む神の使徒ザグラニゥは強い勢力を維持していたはずだ。下手に抵抗すれば、目も当てられないことになったに違いない。


「では帝都にて、あなたの神についてたっぷりとお聞かせいただくことにしましょう」


 これ以上様子を見ても平行線だと判断したのか、監査官が部下に命じてルーオンを拘束させた。リフィーリアとアルチェとグラムスは、彼らを見送りに外までついていく。


「では、またご連絡を差し上げますので」


 リフィーリアにそう頭を下げた監査官は、部下たちと共に玄関前の階段をおりていった。


「……」


 遠ざかっていくルーオンの背に、彼女がふいに声をかける。


「ルーオン、叔父の執務日誌の最後の部分はどうした? 焼いてしまったのでなければ、返してくれ」

「……なぜだい? 君を追い出した奴の記録なんかいらないだろう?」


 振り返った彼は、そう静かに問い返す。


「必要だ。彼は私を望んで追い出したわけではなかったし……私はその意志を継いで、これからこの地を治めていくつもりだから」


 束の間見つめ合った二人の間に、何が行き交ったのかはアルチェには正直わからない。リフィーリアを守りたい一心で、好意ではなく打算だと言い切ったが、彼の動機が本当にそれだけだったのかも。


「……僕の机、五段目の引き出しの中」


 それだけ言い残して、ルーオンは去っていった。


「……」


 そう、アルチェがどんなに想像したところで、誰かの気持ちを完璧に推しはかることなどできやしないのだ。さっさと焼き捨ててしまった方が安全だったろうに、危険を冒してまでなぜかそれを残していた、彼の気持ちは。


 三人が黙って立ち尽くす中を、強く風が吹き抜けていく。


「……大丈夫?」


 アルチェはリフィーリアを見上げて、そっと聞いた。


「大丈夫だとも。礼を言わせてくれ、アルチェ。君がいなければこの地の呪縛は解けないまま、いずれは私の身も危うくなっていただろう。本当にありがとう」


 彼女はたぶん、アルチェがを聞いたとわかっていて、あえてそのことには触れなかった。きっと気持ちの整理がつくまで、まだしばらくかかるだろう。


 それでもその持ち前の快活さで、いつかは乗り越えていってくれると信じることだけが、今となってはアルチェにできる唯一のことだった。

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