二十五話 国崩しの孫娘③

「その通りでございます」


 アルチェは頷いた。


「この地を潤す水は、そもそもジャルト鉱になど汚染されていません。むしろ、浄水をかたるものこそが、毒の可能性を秘めたものでした。……こちらの机に並べてある瓶は、エブローテの各所の水を採取し、試薬で反応をみたものになります。お手元に一覧がございますので、そちらで詳細をご確認ください」


 あらかじめ配っておいた水質検査結果に、全員が一斉に視線を落とす。


「今回問題があったのは、二つの館がある北一区と、新しい作物の導入試験が行われていた畑で使用していた水です。すでに定着しているテテ麦などは今さら枯らしたりすると不自然になりますので、あくまでも新しいものを狙ったのだと考えられます」

「……浄水局から公開されている定期水質検査の結果も、詐称されていたということか?」


 浄水局全体に容疑がかかるのかという上等警吏の疑問に、アルチェは首を振った。


「いえ、検査対象ではないですものですから、ジャルト毒の検査薬に引っかからないのは当然のことです。そもそも浄水局が検査をする目的は、ジャルト鉱毒が確実に無毒化されているかどうかの確認のためです。ですので、実際に検査を担当している一般局員たちは恐らく無関係かと」

「なるほど」


 アルチェの視線を受けたグラムスが小さく頷き、ここに至るまで音もなく立っていた壁際から移動する。


「先ほど問題、という言い方をしたのは、試薬に反応したこの物質たちは、正確にはいわゆる毒薬ではないからです。特別な状況下でのみ、毒として威力を発揮するものになります。……そしてこちらが、それぞれの濾過器から回収した内部フィルターです」


 グラムスが大きな三枚のフィルターを運んできた。


「こちらが通常のジャルト毒除去用のもの、こちらが北一区の濾過器に入っていたもの、こちらが新規作物の畑に使用する水場につながる濾過器のものです。ご覧の通り、見た目の差異はほぼありません。これらのフィルターの鑑別を、帝都バジャンズの業者にお願いしました。その報告書がこちらになります」


 この地のフィルター納入業者は恐らく黒であるため、リフィーリアのつてを頼って領の外に依頼したのだ。


「結果として、三枚のフィルターは全て別のものでした。このジャルト毒除去用であるはずのフィルターは、ごく一般的な濾過機能しかないもの……つまり、ジャルト鉱の毒を除去できる特注品ではありません。そしてこちらの畑の水場のフィルターには、育成中の作物が苦手とする植物の濃縮液が染み出すように仕込まれていました」

「……枯らすためにか」


 領内のまとめ役の一人が、苦々しい表情を浮かべてうめくように言った。


「はい。作物の導入試験の記録によれば、テテ麦やアルラ草なども過去の試験栽培時には失敗しています。その時も恐らく作物に合わない何かを流して、意図的に枯らしたのだろうと思われます。……そして最後の一枚、この北一区のフィルターにも、導入試験の畑と似たようなものが仕込まれていました」


 アルチェは浄水局の二人を見つめながら続ける。


「各所の濾過器を解錠する鍵は、浄水局の鍵部屋で厳重に保管されています。その部屋に入るには、水の司と副局長だけが持つ鍵が必要です。一般局員が検査時に持ち出す際には、必ず持ち出し記録をつけ、かつ二人組での相互チェックが必須だそうなので、彼らが誰にも知られることなくフィルターをつけ替えることは難しいと思われます。……そしてもうひとつ気にかかる点として、エブローティノの館の執務室に保管されていた先代様の執務日誌が、一部盗難に遭った可能性があります。亡くなる前のひと月分ほどが、見当たらないそうです」

「……領主様の館に入ることができる人間は、限られているな。執務室であればなおのこと」


 ぽつりと警吏院の地区長が呟く。


「私の記憶にある限りでは、館内に副局長様をお通ししたことは一度もありません」


 グラムスが静かにそう付け加えた。


「確かに僕は水の司として、執務室にお邪魔したことは何度もありますけどね……外部の人間に忍び込ませるという手もあるのでは?」


 ずっと黙ったままだったルーオンが、小さく笑ってようやく発言する。


「もちろんその可能性を否定するつもりはありません」


 彼の言う通りであるため、アルチェも同意した。なにしろ世にも厄介な盗賊殿が入り込んでいたくらいなのだから、不可能ではないだろう。


「あの……話の腰を折るようで申し訳ないのですが、その前にひとついいでしょうか? 北一区のフィルターに問題があったとして、濾過器を通った水は館の使用人たちも飲んでいたのでしょう? その中で領主様やご家族の方だけに影響が出るというのは、少し不思議なように思うのですが」


 まとめ役の一人が上げた疑問の声に頷いて、アルチェはあらかじめ借り受けていたリフィーリアの祝福の杯を彼らの前に出した。


「それについては、我々エブローティノの人間に古くから伝わるしきたりが関係します。初心を忘れないという意味を込め、食事時に水を飲む際には、皆このような特別製の杯を使用していました。調査人の進言に従い杯の使用をやめたところ、体調を悪くしていた甥の具合が良くなりつつあります。ニレナ様は……間に合いませんでしたが」


 説明したリフィーリアの言葉を引き取り、アルチェは再び口を開く。


「北一区のフィルターには、この杯に使用されているイルス銀と反応すると微毒をもつようになるものが仕込まれていました。微毒といえども、その摂取が続けばいずれは臓器がやられて死に至るような代物です。これまで領主やその家族が死亡したというロティナリー女神の伝承に、少なからず関わっていたのだろうと思われます。そして話を元に戻しますが……執務日誌には、持ち去った人間にとって何か不都合なことが記されていたからこそ持ち出されたのだと考えられます」


 アルチェはそっと、青い本を机に置いた。


「こちらは先代様の日記です」


 ルーオンが眉根を寄せているのを横目に、該当するページを開いて人々に見せる。


「失われた日誌にも、恐らく同様のことが記載されていたのだと思います。……亡くなる前日、何かに気づいた先代様は、一部とはいえ濾過器を停止させる要請を伝えたとあります……相手は記されていませんが、このような重大事項を伝えるとしたら、裁量権をもつ人間に他ならないでしょう。そしてこの地においてその決定権を持つのは、水の司ただ一人です。浄水局の職員たちに聞いて回った限り、そのような通達は副局長含めて局内の誰にも伝わっていませんでした」


 人々は厳しい表情で日記帳の文字を追っていた。


「呼び出して故意に殺したのか、何か言い争った上での事故なのか、あるいは体調不良が進んでいた先代様がたまたまそのタイミングで急死されたのかはわかりません…… ですが仮にその時は事故だったのだとしても、あのフィルターを使用している以上、彼らに殺意を向けていたことは間違いありません。先代様が泉に浮いていたのも、ロティナリー女神の伝承を想起させるためだと思いますしね。新しい導入作物を害そうとしたのと同じように」


 重い沈黙が、場に満ちた。

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