十九話 入らずの洞①
「本当に気をつけてくださいよ」
「大丈夫です。触ってませんから。それにしてもゴーグルが邪魔で見にくいですね……」
「駄目ですよ! 外すのは! 失明でもしたらどうするんです!」
ヴァスティンが思わず出してしまった大声が、洞窟の中でわんわんと反響する。
初めて会った時から、少し変わった少女だとは思っていた。黒髪に一筋だけ鮮やかな橙色が混じっているところもそうだが、それ以上に入らずの洞を熱心に見たがる人など初めてだったからだ。
しかも彼女は中に入るなり、恐れて避けるどころか黒紫色のジャルト鉱石を虫眼鏡で拡大したり、洞窟の床やら壁やらに張りついてぎりぎりまで接近して観察し始めた。それもかなり楽しそうに、である。
大きなカンテラを持って周囲を照らす役を請け負っていたヴァスティンは、驚きを通り越してすっかり呆れてしまった。ここまでするか、と。
「どうせ見て回るのなら、町の菓子屋とか服屋とかの方が嬉しいんじゃないんですか。女の子というものは」
先ほどから何やら熱心に手帳に書きつけているアルチェに、思わずそう言ってしまった。偏見かもしれないが、少なくともヴァスティンが知る同じ年頃の少女たちは、毒の結晶よりも圧倒的にそういうものを好んでいた。
「それはその子の趣味嗜好によりますよ。私も別にお菓子や素敵な服が嫌いなわけではないですが……正直、こちらの方が圧倒的に興味深いんですよねぇ。よし、先へ行きましょう」
彼女はあっけらかんとそう笑うと、さらに奥へと歩みを進めていく。
平坦とは言い難い足元に気を配りながら、二人はしばらくの間、無言で歩き続けた。
「ねぇヴァスティンさん、洞窟の一番奥まで行ったことってあります?」
ふいにアルチェが口を開く。
「いいえ。子どもの頃に先代の山守りに連れられて、入口の辺りに一度入ったきりです。内部がどれだけ危険かを説明されて、山守り見習いと言えども決して入らないようにと釘を刺されました」
「……なるほど」
彼女は頷くと、周りの壁や天井の結晶を指差してみせた。
「わかります? 鉱石の色が、かなり薄くなってきているんですよ」
「……言われてみれば」
明瞭とは言いかねるカンテラの明かりではあったが、よく見れば確かに入口あたりのどぎつい黒紫色より色がだいぶ柔らかい。
「でもなぜ……もしかしてこの辺りのものは、別の鉱物なんですか?」
「いえ、これもジャルト鉱です。ただ、見たかぎり奥の方ほど白化が進んでいるようですね」
彼女は首を振って言う。
「白化?」
「まぁ風化というか……無毒化が進んでいるということですね。正確に言えば、成長状態ではなく非活性化していて、内部の毒素を発散している過程にあるものですね……ああ、ここが一番奥ですか」
最奥部のジャルト鉱は、まるで塩のように真っ白になっていた。構造も
「ここまでくると、さすがにもう毒はないはずです。いくつか持って戻ります」
「それでも素手はやめてくださいね」
彼女の行動に危なっかしさを感じていたヴァスティンが念押しすると、アルチェは笑いながら頷く。
「わかっていますよ。手袋で
白い結晶を拾った後、奥の壁面の前にかがみ込んで何かを見ている少女の背に、ヴァスティンは思わず聞いた。
「でもこれって……どういうことなんでしょう。鉱脈が枯れてきているということなんですかね?……でも入り口の辺りは、別に白化してませんでしたよね……」
わずかな間のあと、彼女は答える。
「……少なくとも今この洞窟は、ジャルト鉱が成長できる環境ではないということです。……とりあえず、戻りましょうか」
アルチェは向こうを向いたままそう呟き、ヴァスティンを促して元来た道を引き返し始めた。
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