十二話 朝食

 アルチェが寝ぼけまなこをこすりながら食堂に入ると、執事のグラムスに声をかけられた。


「おはようございます、アルチェさん。リフィーリア様は急ぎの案件を先に片付けてしまいたいとのことなので、申し訳ありませんが本日は朝食を先にお召し上がりください」


 時刻は朝の七時になったばかり。昨晩かなり遅くまで調べごとをしていたアルチェの目には、食堂の大窓から燦々さんさんと差し込む朝日が痛かった。


「え……この時間からもう仕事をしてるんですか……?」


 どこかもやがかった意識をなんとかふるい立たせ、アルチェはそう聞き返す。


「はい。先代様が亡くなった後、しばらく処理が行われていなかったものが溜まっておりますので……なにかと火急のものが多いのだと思います」


 グラムスが少しばかり困ったように微笑む。


 ———しかも到着してからも、ちょいちょい私と過ごしてくれた時間もあったしなぁ……


「領主様も大変ですね……居候の分際で先に食事をいただくなんて申し訳ないですが、では失礼してお先にいただきます」


 礼儀や義理立ても時に必要だろうが、しかし腹が減っては戦もできない。今日はアルチェも色々と動く予定があった。


 午前中にリフィーリアと共に水の司の館で浄水設備のことを教えてもらうことになっているので、その前にいくつか調べ物をしておきたいのだ。そして予定が終わり次第、レグピオン山の山守りに会いにいくつもりだった。


「……」


 昨日遺跡で助けてくれた男に言われた警告めいた言葉が、妙に気にかかってはいた。それでも今起こっている事態をまず見抜かなければ、破城槌はじょうついにさえなることができないだろう。そう己に言い聞かせながら、アルチェはスプーンを口に運ぶ。


 今日の朝食は旬の野菜が沢山入ったスープに、湯気を立てる焼きたてパン。ルコ豚をカリカリにあぶったものと、カムスベリー入りのヨーグルトだった。


 エブローティノでは基本的に、食べきれない大量の料理を食卓に出すことも、贅沢な食材を多用することもしない。たとえ領主といえども、この地で採れたものを華美に飾りたてることなく、粛々といただくという印象だ。


 食通の貴族であれば粗食だと口を尖らせるかもしれないが、アルチェはこのほっとする素朴な味わいの料理たちがとても気に入っていた。貴族の食事情はそれぞれの家の方針によって大きく異なるため、その家の一面が垣間見えて面白いと思っている。


「あの、グラムスさん。ひとつ気になってたんですけど……いつもリフィー様が水を飲んでいる、その小さなさかずきなんですが」


 アルチェはテーブルのリフィーリアの席の側に置かれた、赤いつた飾りがついた銀杯を示して口を開いた。


 かなり質実剛健寄りの貴族であるらしいエブローティノの館では、調度品に重厚さはあれど、基本的にあまりきらきらしいものは見かけない。ただしこの杯だけは例外で、散りばめられた宝石を輝かせて、テーブルの上で妙に目立っていた。


「食事の時に必ず出てきているので、何かいわれがあるものなのかな、と思っていたんですが」

「ああ、そちらは祝福の杯と呼ばれていまして……実はその始まりについては諸説あるようなんです」


 グラムスはそう微笑んで続ける。


「初代当主様方が浄化設備を作り上げ、この水は大丈夫だということを示すために、自らお飲みになった時の杯を模しているですとか……逆に、この地に安心して住めるようになった人々から、感謝のしるしとして贈られた杯に起源があるとも言われておりまして……どちらにせよ、初心を忘れないようにという家訓で、お食事の際はどなた様もご自分の祝福の杯で水を飲まれることになっております」


 ということは、エブローティノの人間はそれぞれが最低限ひとつは、このような杯を所持しているということらしい。


「興味深い慣習ですねぇ。ちなみにそれは、外から縁戚関係に入った方も同じなんですか?」

「ええ。家に入られる際に、もともとエブローティノに属していた方が、お相手に贈る習わしだそうですよ」


 そうグラムスは頷いた。


「なるほど。……ところで、リフィー様は二種類持ってらっしゃるんですね? その赤いのと、薄紫のと」


 今日食卓に出ているのは赤い方だが、昨日は紫色の杯が出ていた。アルチェが見た限り、どうやら交互に使われているようだ。


「これは先代の執事から聞いた話なのですが……赤いものはリフィーリア様のお父様から、薄紫の方は叔父にあたる先代様から贈られたものだそうです。リフィーリア様がお生まれになった時に、どちらの色がいいかで揉めに揉めて、結局両方贈られたそうで……それで交互にお出しすることになったそうですよ」

「なんとも微笑ましい話ですね」


 この執事が、先代がリフィーリアを追い出したことを知っているかどうかが定かではないため、アルチェはそのひと言だけに留めておいた。


「あのぅ、充分に気をつけるので、少しだけ手元で見せていただいてもいいですか?」

「ええ。本来でしたら執事以外は触れないことになっているものですが、アルチェさんのご興味には、可能な限り応じるように言いつけられておりますので」


 彼は微笑んで杯を取ると、アルチェに差し出してくれる。気をつけて受け取ったそれを、アルチェは念入りに見つめた。重さを確かめ、じっくりとめつすがめつしてから、礼を言って杯を返す。


「普通の銀杯とは少し違うんですね」

「さすがはご慧眼でございます。こちらはイルス銀と呼ばれる素材を使っているそうです。ですので、他の銀器を磨くものとはまた別のものを使って磨く必要がございます」


 そう話し始めたところに、仕事を片付けたリフィーリアがやってきて、グラムスの解説はいったんお預けとなった。

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