七話 領主の館と邂逅①

 浄水局から連絡がいったのか、二人が館に到着すると吹き抜けの玄関エントランスに使用人たちが勢揃いしていた。エブローティノの館は貴族の邸宅としてはそこまで大きな方ではないが、それでも三十人近く雇用しているようだ。


 客に過ぎないアルチェはひとまず邪魔にならないように、リフィーリアから少し離れて彼らを観察する。人員もしっかり確保されているようだし、彼らが着ているお仕着せもきちんと手入れがされていた。館内の運営が心配になるようなあらは、今のところ見当たらない。


「お帰りなさいませ、リフィーリア様。一同、お帰りを今か今かとお待ち申し上げておりました」


 最初に館を取り仕切っている執事のグラムス・カートが挨拶をし、リフィーリアに歓迎の意をあらわした。彼は先代が爵位を継承した時に執事の地位に就き、これまで勤めていたようだ。当然、幼い頃のリフィーリアとは面識がない。


「グラムス、私にとっては知らない顔が多いから、できればそれぞれに名を聞きたいのだが……この後の仕事に差し支えがでるだろうか?」


 緊張した面持ちで並んでいる使用人たちを見回したリフィーリアがそう尋ねた。それを聞いたグラムスは一瞬嬉しそうに笑み、恭しく頭を下げる。


「そのための時間はとってありますので、問題はございません」


 貴族の家では主人の方針によって、使用人たちの扱いは大きく違っていた。うっかりすると、ほとんど家具同然と見なされる場合すらあるのだ。


 ———ま、リフィーにそれは似合わないよねぇ。


 ここしばらく同行しただけでもよくわかる。どう控え目に見積もっても、彼女は使用人をとても大切にするタイプの主人だ。だからこそアルチェは目を光らせていた。上が優しいとわかるや否や、行いがよろしくなくなる者も一定数存在するからだ。


 交わされるやりとりを見る限り、やはり面識のない者がほとんどらしい。乗っ取った叔父の立場で考えれば、以前の主人とその娘に忠誠が強い者は入れ替えるだろうし、そうでなくとも十年も経てば、勤める人々の顔触れは変わる。唯一リフィーリアと面識があった庭師と、料理人———リフィーリアがいた頃はまだキッチンメイドであったらしい———だけは会話が盛り上がっていた。


 まだ様子見という意味もあるかもしれないが、使用人たちは皆慇懃いんぎんに新領主に接している。悪意のありそうな視線も、今のところは感じない。


 ———これなら、しばらく過ごせば問題なく馴染なじめるかな……


 アルチェが危惧きぐしていたのは、使用人たちが先代にあることないこと吹き込まれてリフィーリアに反感を持っていたり、粗雑に扱おうとしてくることだった。もしその懸念があれば、恩返しにしっかり手を打ってから去ろうと考えていたのだが、見た限りは大丈夫そうだ。


 気心の知れた話し相手ということなら、あのルーオンという青年が尻尾を盛大に振って馳せ参じそうだし、女神の祟りさえなんともないとわかれば早めに辞しても問題ないかも、と考えていたアルチェだったが、次の瞬間目に入ってきたものにぎょっとして固まる。


 ———嘘ぉ……!?


 今リフィーリアの前では、深い紺色の上品なドレスを着た小太りの老女が恭しく頭を下げていた。


「ローディア・シュレールでございます。領主様付きの側仕えが決まるまでの、一時的な代役としてお仕えさせていただきます。どうぞなんなりとお申し付けくださいませ」


 顔を上げた瞬間に向こうもアルチェに気づいたはずだが、一瞥いちべつしただけで顔色はひとつも変わらなかった。


「ありがとう、世話になるね。……どうかしたかい、アルチェ」


 驚いた気配を機敏に察知したのか、リフィーリアが振り向く。


「……ううん。さすが貴族様のお屋敷は、玄関からして立派だなってびっくりして……そこの壺なんて、美術館に寄贈したら学芸員が躍り上がって喜びそうな一品だし」


 アルチェは慌てて首を振り、調度品に感心したような顔を取り繕った。


「そうなのかい? 曽祖父が若い頃に趣味で集めたものらしいんだが……それを除けば、うちなんかは貴族としてはかなり控え目な方だよ」


 そうこうしているうちに出迎えは終わり、使用人たちがそれぞれの仕事に戻り始めたため、アルチェは慌てて執事に声をかける。


「あのすみません、お手洗いをお借りしたいのですが……」

「ああ、あちらの突き当たりを右に行かれたところにございます」


 グラムスが柔らかく通路の奥を指し示した。


「ありがとうございます」

「アルチェ、こっちの奥の部屋にいるからね」

「うん。すぐ戻るよ」


 声をかけてくれたリフィーリアに返事をして早足に角を曲がり、彼らから姿が見えなくなった瞬間、アルチェは猛然と駆け出した。

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