五話 いざ、エブローテ

 朝早くにクルグスを出立したアルチェとリフィーリアは、山脈を迂回するようにつくられたジース街道を歩いていた。時折馬車や騎乗した人とすれ違う以外は、二人が交わす声ばかりが響くのどかな道行きだ。今日も今日とてリフィーリアの騎士団での思い出話が、旅のお供である。


「それで体術訓練を終えて、大きな木箱の中にミットを戻そうとしたら、中から急に冷たい手が出てきて手首をつかまれてね……いや、あの時はさすがに肝が冷えた」

「倉庫の中なんて薄暗いだろうし、余計にびっくりだよね」

「そうなんだ。あの時真剣を持っていなくて、本当によかったよ。暗いし驚いたものだから、人間だと認識できずに危うく手を切り飛ばすところだった」

「あ、そっちの心配かぁ」


 ある時、騎士団の訓練用品倉庫にが出るという噂が流れた。亡くなった団員の霊だとか、訓練で壊れた模造剣や盾、殴られまくったミットの怨霊だとか、様々なことが囁かれたらしい。ところが蓋を開けてみたら、その正体は書類仕事から逃げ続ける団員を捕獲しようと木箱の中で待ち構えていた、騎士団付きの文官だったのだという。


「だから早く提出してくださいと口を酸っぱくして言っていたのに、とんだ人違いだよ」


 書類から逃走していた当の本人は、その時リフィーリアの隣にいたらしい。


「ちなみにその騎士さんは……」

「有無を言わさず連れて行かれたよ。結局、書き上げるまで解放してもらえなかったらしい。扉から逃げようとしても、窓から出ようとしても、隙をついてクローゼットに隠れても、すぐさま見つかって机の前に逆戻りだったと言っていた」

「いや、その人どれだけ書類仕事が嫌なの?あと、地味に文官さんがすごい」


 なんとしても逃げようとした騎士の姿勢といい、それを見事に防いだ文官といい、アルチェとしてはちょっと近くで見てみたい攻防戦だった。


「文官は陰気な雰囲気の男なんだが、やる気も興味もなさそうな顔して、実によく見ているんだ。あれは参謀向きの人材だな。騎士の方は、団に入りたての頃にひどい上司に散々罵倒されて、書類仕事がトラウマになってしまったようでね。意志というよりも、条件反射的に思わず逃げてしまうんだそうだ。ちなみに、例の蜥蜴の討伐で大活躍した女騎士の先輩の一人だよ」


 リフィーリアはそう笑うと、首を振りながら付け加える。


「だけど、人生何が吉と出るかは本当にわからないな。その後そう経たないうちに、二人は婚約したから」

「……はぁ!?」


 思わぬ超展開に、アルチェはつい大声をあげてしまった。そばの茂みから、驚いたらしい鳥がバサバサと飛び立っていく。


「いつも歯切れよく話す先輩が、珍しくもにょもにょ言ってたからよく聞き取れなかったんだが、どうも文官の方が以前から先輩に気があったらしい。でまぁ、先輩の書類トラウマ体験を聞いて、自分が優しく教えるからという口実で、これ幸いとぐいぐい言い寄ったみたいだな」

「なるほど……なにがきっかけになるかは、本当にわからないんだねぇ」


 アルチェはしみじみと頷いた。こうして話を聞くまでは、帝国の騎士団など殺伐としているに違いないと勝手に想像していたのだが、実際は思っていたより愉快なところらしい。それが団全体に及ぶのか、たまたまリフィーリアの周りにそういう人々が集まっていたのかはよくわからないが。


「……話しているとあっという間だったな。ここまで来たら、そろそろエブローテが見えてくるぞ」


 目を細めたリフィーリアが街道の先を指し示して言った。


 その言葉通り、ややあって白い壁に赤茶けた屋根の建物が立ち並ぶ町が見えてきた。アルチェが住んでいた王都ノイエ・デュノーと比べれば、そこまで大きくはない。とはいえ、地方の町としてはなかなかの規模であり、遠目に見てもかなり小綺麗な印象を受けた。


 ———住み心地が良さそうだなぁ……


 町の中に入ってみれば、道中リフィーリアに聞いた話から想像していたものより、かなり栄えているように思われた。やはり先代領主が経営したこの十年で、町は確実に発展したのだろう。


 石畳は綺麗に保たれており、汚水のにおいもしない。街路樹や花壇はしっかりと手入れが行き届いていて、全体的に町と緑が気持ちよく調和していた。そして何よりすれ違う人々の顔に、笑顔と活気がある。


「……よかった」


 多くの人で賑わっている広場の入り口まで来た時、町に入って以来ずっと黙ったままだったリフィーリアがぽつりと呟いた。十年の空白の間に町がどうなっているかわからず、ずっと不安だったのだろう。


「安心した?」

「ああ。ここに来るまでに寄った町でも思っていたんだが、私がいた頃より領内がずいぶんと良くなったようでほっとしたよ。あの叔父が領民たちに無体を働くとは思わなかったが、それでもちゃんと町を目にするまではわからなかったから」


 彼女はそう頷くと、ぐいーっと大きく伸びをしながら笑った。


「ほっとしたら、なんだか腹が減ってきたな。アルチェ、そこの屋台のロッカンを食べよう」

「ロッカン?」

「黒麦を練ってねじって揚げて、砂糖をまぶした菓子だよ。素朴だけど、香ばしくて美味しいんだ。おまけに揚げたてみたいだから、間違いない」


 リフィーリアは屋台でロッカンを二つ買うと、アルチェにひとつ手渡してくれる。二人で広場に置かれたベンチに腰掛けて、揚げたてを頬張った。


「あつっ……でも、これだこれ!帝都は都会すぎて、こういうのはなかなかなかったからなぁ……やっぱり故郷の味というのは、落ち着くものだね」


 熱々でほんのり甘いロッカンをガリガリとかじりながら、アルチェは尋ねる。


「やっぱり帝都バジャンズって都会的でお洒落な感じ?」

「ああ、そうだな。歴史を感じさせる重厚さと、新しい流行をつくり出す斬新さを兼ね備えた都だ。まぁ正直、私には理解し難い高尚こうしょうなものとか、芸術的とかいうものも色々あったが……興味があるなら、一度行ってみるといいかもしれない」

「そうだね。三年もあるから、寄ってみてもいいかもしれないな……確かじじ殿が、大陸一の図書館があるって言ってたし」


 アルチェの呟きに、リフィーリアは頷いた。


「ああ、国立大図書館な。私も何度か行ったが……元々貴族が住居として使っていた大きな館を、丸々図書館に改装したものでね。中には国内はもちろん国外から取り寄せた、ありとあらゆる本がみっちり詰まっているんだ。私なんかは目的の本を探し出すのが大変でちょっとうんざりしたが、本好きにとっては聖地らしいな」

「館丸ごと本でいっぱいだなんて、最高だね」


 ロッカンを食べ終えた二人は、包み紙を捨てに立ち上がる。


「この後すぐに家に向かう?」


 エブローティノの館は町の奥の方にあるらしい。


「いや、その前にひとつ寄っておきたいところがあるんだ。この辺り一帯の浄水設備を管理する役所があって、そこの責任者を水の司と呼ぶんだが……」


 包み紙を捨てながら、リフィーリアは微笑んで言った。


「一昨年代替わりしたはずだから、先に挨拶しておきたくてね」

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