一話 女騎士の帰郷②
たどり着いた山小屋の中は、やけに埃っぽかった。エゼッテ山はそこまで標高は高くないため、朝早く登り始めれば午後には余裕をもって抜けられる。よって山中でわざわざ泊まる者はほとんどおらず、小屋の整備は後回しになりがちなのだろう。
少女は名を、アルチェというらしい。渡した薬液で彼女が傷を消毒している横で、リフィーリアは破れた
「本当に、何から何までお世話になってしまって……」
「構わないさ。私も困った時に、行きずりの人に助けてもらったことが何度もあるからね。……ところでだ、アルチェ」
リフィーリアがやや強引に同行した理由は、少女のその
気候の良い時期であるから、生地が薄いことは大目にみてもいい。しかし彼女の上着にしろキュロットにしろ、
おまけに荷物は、わずかなものしか入らなそうな小さな革鞄がひとつきり。救急用品はもちろん、山につきものの気温差に対応できるような
なにより極めつけは、その足元だ。彼女の履いている底の薄いサンダルでは、荒れた山道はあまりに危険だった。ひょっとしなくても、転がり落ちてきた原因はそれなのではないだろうか。
「余計な世話かもしれないが、山に入る時はもう少し装備を整えた方がいい。急に天候が変わったり、不測の事態が起こることも考えられる。特にそのようなサンダルでは足元が危険だし、体力を消耗しやすかったりして体に負担がかかると思うよ」
「仰るとおりです……実はその、私としてはパン屋に買い物に行くぐらいのつもりだったので……普通に街に行く格好で出てきてしまって」
アルチェは薬液の蓋を閉めながら、困ったように苦笑する。
———そこからなぜ、山から転がり落ちるような事態に?
リフィーリアは思わず首を
「……まさか、この山にパン屋があるのかい?」
知る人ぞ知る隠れ家的な店であれば、あり得なくはないかもしれない。ただ、ここまで歩いてきた限りでは、パン屋どころか建物すら見かけなかったが。
「いえ、私が行こうとしていたのはノイエ・デュノーのパン屋なんです」
アルチェの言葉に、リフィーリアは反射的に自分の耳の方を疑った。
「……ノイエ・デュノー?」
念のため聞き返すと、彼女ははっきりと頷く。
「はい。ノイエ・デュノーの〝踊る麦穂亭〟というパン屋がとても美味しいんです」
聞き間違いではなかった。リフィーリアの困惑が深まる。
「……隣の国じゃないか」
そう、ノイエ・デュノーというのは、このルギオラ帝国の隣国のひとつ、リヴァルト王国の首都の名なのだ。
———まさか迷ってここまで……?いや、ドルシーじゃあるまいし、まさかな……
隊の同僚にドルシオン・ティーカーという、神に二物も三物も与えられた有能な男がいたのだが、彼にはひとつだけ大いなる欠点があった。壊滅的に方向感覚がなかったのだ。口頭で説明しようが地図を渡そうが、目的地に辿り着けないのは序の口である。普段住んでいる帝都の中はもちろん、騎士団の宿舎の中ですらよく迷子になっていた。方向感覚を根こそぎ母の腹の中に忘れてきた、というのが酒を飲む時の彼のぼやきの定番だ。
リヴァルトは周辺諸国に比べれば規模の小さい国とはいえ、それでも首都ノイエ・デュノーからこの国境近くまで数日はかかるはずだった。いくらなんでも、途中であらぬ方向に来ていると気づくだろう。
———あるいはドルシーを凌ぐほどの、超弩級方向音痴なのだろうか……
そんなことを悶々と考えていたリフィーリアの横で、アルチェは頬を掻きながら口を開いた。
「いやぁ、私は旅に出るつもりなんて毛頭もなかったんですが……実は今朝方、国から追い出されちゃいまして」
なんでしたら一生、リヴァルトの外に出るつもりなんてなかったんですけどね、と彼女は続ける。
「……追い……出された?」
「ええ。まさかじじ殿が……祖父があんな遺言を残しているなんて、知らなかったもので。油断していて、完全にしてやられました」
とんでもないことを口にしながら平然とアルチェは笑い、自分の身に降りかかった青天の
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