7.ルサンチマン

 馬を使った移動は実に速い。


 私は落ちないようエドガーにしっかりと掴まり、流れてゆく景色を見ていた。


 そういえば、過去に城内で父の馬に乗せてもらったことがある。


 父の馬は特別だった。


 ホースメアという魔物らしいが、比較的温厚な性格な為、魔物と言えど懐かせることができると言っていた。


 名前は確か……ナイトリオン。


 あの現場でナイトリオンの痕跡は見当たらなかったけれど、今はどこにいるのだろう?


「ベリィ、平気か?」

「うん、ちょっと昔の事を思い出していただけ」

「昔の事?」


 何も知らないエドガーに話しても仕方の無いことだ。


 この人は、色々と話を聞いてくれそうな気がするけれど。


 よく考えてみれば、彼は私のような魔王の娘に背を向けて馬を操っているのだ。


 つまり、エドガーは本当に私のことを信用してくれている。


 それなら、ずっと聞きたかったことがあるのだ。


「ねぇ、エドガー」

「どうした?」

「今の勇者が誰なのか、知ってる?」


 プロキオンに向かう途中で、シャロにも同じ質問をしたが、彼女は知らなかった。


 私設軍隊とは言え、自警団という組織の人なら何か知っているかもしれない。


「すまない、俺も知らないんだ」


 やはり、現勇者の存在はあまり多くの人達には知られていないようだ。


「光竜剣に選ばれた者は、世界の均衡を保つ為の勇者となる。活躍があれば知らせが入るはずだが、それが無いのは現時点で勇者が居ないか、或いは国がその存在を隠しているか。魔王……親父さんの件、勇者を疑っているのか?」


「光竜剣ルミナセイバーは、魔王を倒す為の力だから。国が存在を隠してるって言ったら、アイテール帝国が前勇者の存在を隠しているって事は無いの?」


 勇者、ユーリ・アラン・アイテール。


 アイテール帝国の第二王子であり、三年前に亡くなったとされている者だ。

 その名は広く知られていたが、彼が大きな活躍を見せた機会は殆ど無く、名前だけの勇者だったという印象だ。


 もしも彼が生きているならば、お父様を殺した犯人として最も近い容疑者である。


「それは無いな」


 しかしエドガーは、そんな私の予想をたった一言で否定した。


「でも……」

「ユーリは三年前、確かに死んだ」

「どうして、断言できるの?」

「……俺がやったからだ」


 どういう事だ?

 エドガーが、勇者を殺した……もし本当だとすれば、何故……?


「冗談だ。でも、あの勇者がもう居ないのは事実だ。そもそも、目的が魔王暗殺だったとしても、一国の王子であり勇者である人間を死んだ事にするなんて、そんな回りくどい事はしないだろうな」


 確かに、勇者がいれば正面からの戦争でも魔王には勝てただろう。


 それをせず、敢えて回りくどい方法を選ぶはずがない。


 けれど、エドガーのあの目は……冗談を言っているようには見えなかった。


「さて、そろそろ着くぞー」


 一人で馬に乗り先導していたウルフの声で、皆が正面を向く。


 徐々に近づいてきたその町は、プロキオンとは比にならないほど立派な都市だった。


 ここがアストラ王国の首都、シリウスか。


 よく見ると、道の向こう側から誰かが走ってくるのが見える。


 それは自警団と似た服を着た男で、何やら慌てた様子でこちらに駆けてきた。


「あっ、皆さんご苦労様です! お疲れのところ申し訳ないのですが、大至急お願いがございます!」

「何があった?」


 息せき切って話す男は、少し呼吸を整えてからエドガーの問いに答える。


「北の森から、少数ですが魔族が攻めてきて、現在ジャック副長が一人で応戦中です! かなり長時間戦っているのですが、このままでは門を突破されてしまいます!」


 あの時、召喚魔法で馬が現れなかったのは、他の人間が使っていたからだったのか。


「直ぐに向かう。聖騎士団合流の予定は?」

「聖騎士団はメトゥス大迷宮調査の為、無いかと思われます」

「わかった。因みに、今ジャックさん馬使ってるよね? 残り二頭の馬は?」

「え、それは、小屋にいますが……」

「あ!」


 不意に大声を上げたウルフは、頭を掻きながらこちらを振り返り苦笑した。


「残ってる二頭って、最近入った奴らだよな。オレ、まだ契約してねーや」


 ……とりあえず、馬に何事も無くてよかった。


「ウルフ……まあいい、急ぐぞ。悪いがベリィ達も来てもらえるか? 戦力は多い方が助かる」

「うん、わかった」


 私達はそのまま北の方向へと向かい、ジャックという人が魔族と交戦している現場へと急いだ。


 現場は、思っていたほど深刻な状況では無かった。

 数十人の魔族を相手に、たったの一人で応戦している屈強な男、あの人が自警団の副長、ジャックということか。


「良い加減に我々の話を聞け!」

「もう何度も聞いているが、答えは変わらない」


 ジャックが話しているのは……クリフ、アルブ王国で狩人をしていた魔族だ。


 狩人として一流のクリフや複数の敵を相手にここまで戦えているとは、あのジャックという男は間違いなく強い。


「ふざけるな! 居場所を奪われた我々魔族達の受け入れをしろ! さもなくば、この街を焼き払ってやる!」


「俺達はただの私設軍隊だ。抗議なら直接国に言え」


「国に入らなければ抗議のしようがかいだろ! そこを早く通せ!」


「街を焼き払おうとしている奴らを通すわけにはいかない。もう何度も言っているだろ!」


 この堂々巡りで、今なおクリフは引こうとしないということか。

 その精神力だけは、私も見習いたいところである。


「ジャックさん、お疲れ様です」


 直様エドガーは馬を降りてジャックの元に駆け寄り、おそらく今回の主犯であるクリフに目を向けた。


「自警団のエドガー・レトリーブだ。お前達の言い分はわかった。だが、武器を下ろして貰わなければ交渉は出来ないし、国に入れることすら出来ない。戦う気が無いのなら、武器をしまってくれないか」


「お前も自警団の仲間か……そうやって油断させた隙に、我々を取り押さえる気だろう! 我々は決して屈しないぞ!」


 クリフはエドガーの話すら聞く耳を持たず、武器を構えたまま叫んでいる。


「はぁ……仕方ない。ウルフ、シルビア、一旦押さえ付けるぞ」

「うい」

「了解っす」


 三人はクリフ達に剣を向けて戦闘態勢に入った。


 今のクリフは興奮状態だ。

 このまま戦えば、戦力的に自警団が勝つ可能性が高いだろう。

 そうなった場合、戦いに負けたクリフは降伏せずに自ら命を絶つかもしれない。


 そんなの駄目だ。


 私は深く被っていたフードを脱ぎ、クリフ達と自警団の間に割って入った。


「クリフ、みんな、落ち着いて!」

「ベリィ様……! 何故ここに……?」


 クリフ達は私の姿を見て目を丸くしている。


 自国の王女が人族の国で自警団と一緒に居るのだから、驚くのも無理はないだろう。


「ごめん、訳あってここにいる。みんな、今アルブ王国は大変な状況だと思う。でも、だからってこんな事するのは駄目だよ」


「しかし、我々が声を上げなければアルブ王国は……!」


「分かってる。でも、これ以上クリフ達に、皆んなに辛い思いをして欲しくない。他国を荒らしちゃったら、罪悪感だけが残っちゃうよ。お願い、ここは一旦引いて欲しいんだ。難民受け入れの件は、私も何とかしてみるから……」


「ベリィ様……」


 私は膝から崩れ落ちたクリフに歩み寄り、そっと彼を抱きしめる。


「大丈夫だよ、絶対何とかするから」


 その直後、クリフは苦しげな声を上げて口から血を吐き出した。


「……え?」


 見ると、背後からクリフを斬ったシルビアの姿がある。

 どうして?

 なぜ今クリフを斬る必要があったのだろうか?


「なぜ……分かった?」

「短剣が丸見えだよ。自分ち国の王女を刺そうだなんて、頭おかしいの?」


 シルビアの言葉でクリフの手元に目をやると、彼はその手に短剣を握り、私の急所に刃を向けていた。


 そうか、クリフは最初から私を刺すつもりだったのだ。


 どうしてそんな事を?

 私は、クリフ達を助けたかっただけなのに。


「な、なんで……」


 頭の追いつかない私に、クリフは意地汚い笑みを浮かべながら話した。


「元々、お前ら王族に期待なんかしてねえんだよ。いつまで経っても雪国の中、魔族は他国に出れやしねぇ……! 魔王の一族は、一生オレ達をあの寒い国に閉じ込めておくつもりだったんだろうが!」


 そんな……お父様は魔族の為に頑張ってきたのに……


「……ふざけないで、そんな言い方しないでよ! お父様は他国との関係改善、魔族への偏見を無くすために頑張ってたんだよ! みんなの為に危険を冒して外交を……」


「恩着せがましい娘だな! 魔王が人族どもの下に出るからナメられて殺されてんだろ? 所詮お前の親父はその程度だったってことだ!」


 こんな気持ちは初めてだ。

 大切な人を侮辱されるのは、これほどまでに辛いものなのか。


「……どうして、なんでそんなに酷い事が言えるの? お父様を……それ以上侮辱したら、許さない……!」


「おいおい“元”王女様、まだ分からねえのか? お前の親父は駄目だった。平和的な話し合いじゃ解決できねえ、人族には力で分からせねぇと駄目なんだよ! 魔族のほうが上だってなぁ!」


 私の中で、何かが切れた気がした。


 駄目だ。


 この人には何を言っても無駄なんだ。


 もう良い……分かってくれないのなら、もう良いや。


「クリフ、お前を処刑する」

「ひっ……!」


 覇黒剣を抜いた私は、その剣先をクリフに向ける。

 そうだ、この男はアルブ王国の王女である私に反逆し、魔王である父を侮辱した。

 殺されて当然だ。


 その罪は、私が裁く。


「ベリィちゃん落ち着いて!」


 そう言って唐突に私の腕を掴んできたのは、どこか怯えた様子のシャロだった。


「そ……そんな顔、しないで、ベリィちゃん……もう、戦いは終わったよ……」


 周囲を見ると、クリフ以外の魔族達も自警団によって制圧されていた。


 ああ、また私は一人で暴走しようとしていたのか。


 ふと、シャロのアイネクレストに映った自分の顔が目に入る。


 なんて酷い顔だろう。


 これではまるで、物語に出てくる残虐非道な魔王そのものだ。


 私は今、こんな顔でシャロを見ていたのか。


 最低だ、最低だ、私は最低な奴だ。


「ごめん……シャロ」

「うん、もう大丈夫だからね」


 こんな私の手を、シャロは優しく握ってくれた。

 彼女はきっと、今の私を恐れているだろう。

 それなのに、こんなにも優しく……私は迷惑をかけてばかりなのに。


 その後、クリフ達は自警団に連行され、事の済んだ私達は自警団の施設で休ませてもらうことになった。

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