第13話 黒馬を駆る凄腕の射手
聖教国の北の外れ、荒野に繋がる平原には土煙と叫び声と血の匂いが交じり合う空気がたちこめ、地獄の様相を成していた。獰猛な魔物に対して人間は実に矮小な存在だ。魔物の爪はひと振りで凄まじい威力を放ち、当たりどころが悪ければ命を刈り取られてしまう。今また、その爪が振り下ろされる。
「ぐっ!」
その兵士は身の丈の半分以上もある巨大な盾を前面に構えて身を守っていたのだが、衝撃に耐えきれず盾ごとよろめいて尻もちをついた。
「立て! 守りきれ!」
彼に声をかけた仲間は、最早剣を腰に納めて両手で盾を支えている。防御に全力を充てるよう切り替えたのだ。それを見た彼も剣を拾わずに立ち上がり、盾を両手で持つ。
「うおおおおお……!」
兵士は盾ごと魔物に体当たりした。他の兵士も加勢し、盾を押し付けて魔物の動きを封じる。だがいかな訓練された兵士と言えど、魔物との力の差は歴然。今は数人と魔物一匹で力の均衡が取れているが、誰かひとりでも兵士の力が緩んだ瞬間にまとめて撥ね飛ばされてしまうだろう。
「くそ……っ」
彼の心が折れそうになったその瞬間。
ヒュトッ
動きを封じていた魔物の目に矢が刺さっていた。
「!」
思わず彼が見上げると、淀んだ空気を斬り裂くように、兵達の後方から数十羽の白い小鳥がまっすぐに飛んでいく。いいや、小鳥に見えたそれは白い矢羽をつけた矢であった。
複数の射手達から放たれた矢は次々に魔物に突き刺さっていく。中でもひとりの女が連射した3本の矢はトットトッという小さな音を立てて3匹の魔物の目をそれぞれ見事に射抜いている。
「グ、グア?……」
あまりにも見事だったために、射られた魔物は一瞬何が起きたのか理解できずにいた。けれど聖水を塗った
「……ギィエエアアア!!」
数秒後に魔物は断末魔の叫びをあげ倒れる。その叫びに混じってドッドッという重い蹄の音と快活な女の笑い声が辺りに響いた。
「アハハハッ! 皆、死にたくないならそこを退きな!!」
それを聞いた聖騎士団の兵達が射線と進路を開けるために左右に割れる。自然と出来上がった巨大な盾の人垣の道を縫って走ってくるのは、逞しい黒馬を筆頭に十数頭の馬とそれらに跨った人間。彼らは皆褐色の肌を持ち、各々が弓や槍を手にしている。紛れもなく傭兵団の一味だ。
先頭の黒馬に跨がった女は大きな弓を携えていた。その弓を持つ左手には同時に手綱を握り込んではいるが、それはだらりと弛み役目を果たしていない。馬は手綱を引かれずとも何をすべきかわかっており、まさに人馬一体だった。黒馬は兵達を避けながらも戦場を稲妻のように素早く駆け抜け、ほぼ最前線までくると弓を射やすくするために魔物と垂直に体を向けた。
女は既に馬上で矢を弓につがえている。後ろで一つに結った彼女の茶色い髪が馬の尾と同じリズムで揺れるが、彼女の身体は全くぶれていない。日に焼けた小麦色の、しなやかな筋肉を持つ腕がキリリ、と彼女の口元まで弦を引き絞った。女の銀の目が魔物の急所を捉えてギラリと輝いた瞬間、右手から矢が放たれる。
ヒュトッ
その矢が正確に魔物の目を射抜いた時には、既に二の矢がつがえられていた。
ト、ト、ト、トッ。
女の手から五月雨のごとく矢が降る。あっという間に魔物達は次々と倒れていった。だが、一際大きい魔物だけはすぐに絶命せず、怒りの咆哮をあげる。
「グルアアアア!!!」
「!!」
その身を矢に貫かれた魔物は、多くの同胞を倒した彼女に反撃をせんと襲いかかる。すぐさま女も矢を複数本浴びせるが魔物の動きは止まらない。剣山の如く矢を体中に突き立てた魔物は、こと切れる前にせめて爪一本ででも彼女を引き裂こうと考えたのか。腕が一際ぐんと伸びる。
「ジマイマ!」
魔物の爪が彼女と愛馬にあと少しで届こうかというところで、横からの斬撃によってその指先は斬り落とされた。彼女の仲間が槍を振るったのだ。
「アア……ア、アアア……!!」
魔物は悔し気に叫びをあげる。やがてその叫びは徐々に小さくなり、ズン、と音を立て地面に倒れ伏した。一瞬の沈黙の後、全ての魔物が討伐された事に騎士団と傭兵達から歓喜の雄叫びがあがる。その渦の中で女は馬を降り、槍を持つ馬上の戦士に近寄って輝くような笑顔を見せ、礼を言った。
「マルコ、ありがとう。助かったわ!」
だが礼を言われた男は苦虫を嚙み潰したような顔だった。
「ジマイマ! お前、馬鹿野郎! いつも勝手に先に行っちまいやがって。お前は射手だぞ。もう少し後ろに居ろ!!」
マルコに雷を落とされ、首をすくめたジマイマは愛馬の黒い首を撫でながら
「ごめん……でもこの子が行きたがるからさぁ」
「嘘つけ。ロアはそんなに馬鹿じゃない。俺がこいつを躾けたのを忘れたのか」
他ならぬマルコがロアを躾け、ジマイマに馬の乗り方を教えたのだ。
ジマイマが教わったのはそれだけではない。弓矢の扱い方、魔物の狩り方や捌き方、文字や言葉。そして素直に笑い、思うままに行動し、ヒリヒリとした狩りの緊張感の中で生きている事を実感し人生を楽しむ事。
マルコに出会った時のジマイマは笑うことも出来ず、人生に絶望し、魔物に喰われるのを待つだけの儚い存在だった。マルコが彼女につきっきりで肉を喰わせ、面倒を見てやり、儚さを取り除いて笑顔を教えた。だからこそ愉しそうに笑うジマイマにマルコが弱いのを彼女は誰よりも知っている。彼女は明るく笑った。
「だからごめんって! 次からは気を付ける!」
眉間に皺を刻んでいた逞しい戦士は「全く……お前ってやつは」と呟いて厳しい顔から呆れたような笑顔になった。浅黒い肌の整った顔立ちがつくる優しい微笑みに見とれたジマイマは、彼が馬から降りるなり抱きつく。
「えへへ、マルコ、大好き!」
傭兵団の仲間が口笛を吹き、二人を囃し立てた。
「よっ、お熱いことで」
「さっさと結婚しちまえよ!」
マルコは真っ赤になって否定する。
「ち、違ぇよ! こいつはただ甘えてるだけだ! 俺達は兄妹だからな!」
焦るマルコの腕にしがみつきながら、ジマイマは頬を膨らました。
(ちぇっ、まだ駄目かあ。もっと肉を食べて胸を育てなくちゃ!)
かつては痩せて平らだった彼女の胸は、滋養のある魔物の肉を食べるうちに成長し女性らしい膨らみを帯びている。だがそれを彼の腕に押しつけてもマルコはジマイマを女として見てくれない。ジマイマはもっと胸を大きくしなければと思っていた。
実はマルコが自制心を必死で働かせていることなど知らず。
(こいつは妹、こいつは妹、俺の大事な妹! 俺は少女趣味じゃないっ!!)
ジマイマは16歳を迎え、既に少女という雰囲気はすっかり抜けているのだが。やはりマルコは彼女が小さな少女のように見えていた時に、その瞳に惹かれた事実をどうしても認めたくない様である。
(絶対にマルコを落としてやるんだから!!)
ジマイマは一層強く誓った。青白くやつれた顔で言いたいことも何一つ言えない聖女ジーナはもう何処にもいない。彼女は傭兵団に所属する凄腕の射手、ジマイマになった。誰かの言うことに唯々諾々と従うのではなく、欲しいものを自らの手で狩り、手に入れる理想の自分になったのだから。
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