第11話 王家と教会は混乱の渦に――――将軍の背信


「捜索隊が荒野でこれを発見しました」


 将軍が秘密裏に大司教との会談を行い、そこで見せたのは聖女の白い服だったもの。今はそれは見る影もなく引き裂かれ、大量の赤黒い血で染まっている。


「では、聖女ジーナは……」

「辺りでは発見できませんでした。それ以上奥の地域は強大な魔物の出現する可能性が高く、捜索を中止し帰還せざるを得なかったのです。大変申し訳ない」


 将軍は苦痛の表情で頭を深く下げる。大司教は表情を崩さなかった。元よりジーナが戻ってくるのは絶望的だと覚悟していたのだ。


「いや、将軍殿は尽力してくれた。お礼を申し上げます」

「勿体なきお言葉、痛み入いります。……ところで、別途お耳に入れたき事が」


 将軍は下げた頭の角度を僅かに上げる。ギラリと光る眼で上目遣いに大司教を見た。


「捜索隊が国境近くで“穢れ”を発見しました。勿論、常人の目に見える大きさまで成長したものです」

「なんと……!」

「念のため、ジーナ様の部屋に残っていた聖水を持参していきましたので“穢れ”はその場で浄化済みです。ですがこのままでは“穢れ”と魔物の侵入を国内に許すのは時間の問題かと。この意味がおわかりに?」


 だが大司教も将軍の言うがままになるのは面白くない。無表情のまま抵抗してみせる。


「わかる。だがそちらこそ立場をわかっていないであろう。王家は教会に対して、取り返しのつかない大きな過ちを犯しておきながら、ぬけぬけと我らに聖水を提供せよというのか」

「いえ、これは王家の命令ではなく私の独断です。この事も――――」


 将軍は襤褸切ぼろきれとなった聖女の服を指さす。


「――――“穢れ”の事も、国王陛下はまだご存知ではありません」

「む?」

「私はこの報告を受け、一番にここへ参じたのです。王家ではなく私を信用して頂けませんか」


 将軍の眼は依然ギラギラと光ったままだ。ごく薄く口角が上がっているように見えるのは気のせいか。その顔つきに大司教は呑まれ、だが嫌なものを感じて首を縦に振る事を堪えた。


「……しかし」

「12年前の魔物大襲来スタンピードをお忘れか!!」


 一変、将軍は声を荒げてテーブルをドンと拳で叩く。大司教と側仕えはびくりと肩を震わせた。それを見逃さず将軍は続ける。反論の余地を与えないつもりだ。


「ああ、確かにあの時は我が騎士団と偉大な聖水のお陰で、南部までの魔物の侵攻を食い止める事はできました。しかしあの時でさえ犠牲は多かった」


 12年前、突如“穢れ”と魔物の出現数が増えた時、魔物の群れは荒野の民を襲いその数を激減させた。そしてその勢いのまま王国内まで侵攻し北部はかなりの打撃を受けたのだ。もしももう少し聖水が足りなかったら、もしも騎士団の士気がもう少し低かったら。魔物は安全な筈の王都まで来ていたかもしれない。そうなればいくら聖水があろうとも、武力を持たない教会は容易く襲われていただろう。


「この数年、情けない事に我が騎士団の中にも平和に浸かり、気が緩んでいる者がいます。それはなのでは?」

「……っ」


 将軍の言葉に、今度は驚きで大司教の肩がひくつく。教会内部の腐敗を見抜かれていたとは。


「今のままでは再び魔物大襲来スタンピードが起きた時に耐えられないでしょう。私は早急に軍の建て直しを図ります。ですから、そちらも。ここは手を取り合うべきではありませんか?」

「……確かに将軍殿の言うとおりではあるが」


 だがまだ、大司教は最後の抵抗を見せる。将軍は微笑むと立ち上がった。


「お辛い立場である事はお察し致します。『聖女を奪われ棄てられたにも関わらず王家を赦し聖水を渡すなど、いくら慈悲深い大司教殿であろうと些か甘すぎる』等と言い出す考えの足りない者もいるやもしれません。ですが私は教会の味方です。………いいえ、味方というのも違いますな」

「なっ、何を」


 将軍は大司教の足元でひざまづいた。まるで王に向かったかのように。


「私は貴方がたに忠誠を誓い、従います。教会をお守りするためにこの力を振るうと約束致しましょう」

「将軍殿!」

「私はこの後、陛下へ報告に上がります。教会は王家に先んじて声明を出されるが良い。さすれば王家に屈したとは誰も思わないでしょう。私はこれからも最前線の情報は一番にそちらへ差し上げます」


 大司教は老体に力をぐっと込めた。身体が震えそうだったからだ。将軍は今、王を裏切るも同然の言葉を吐いた。その男が誓う忠誠など信用できない。ただ、この男はとても利にさとい……間抜けな王家よりもよほど。利害が一致しさえすれば本当に役に立ってくれるだろう。そこは信用できる。


 それにジーナが居なくなった今、どの道騎士団を頼る他はないのだ。それならば王家に屈した形ではなく、こちらから慈悲を持って聖水を渡す形を取った方が良い。大司教は目を閉じ、小さく呟いた。


「……わかった。以前のように聖水を騎士団に提供しよう」

「ありがとうございます」


 この後から、教会の人間は皆、毎日清くつましい生活を強いられ、更に必死で神に祈りを捧げて聖水を作り続けなくてはならなくなった。少しでも手を抜けば魔物が侵攻し、自分達の所まで来るかもしれない……という恐怖の元に働かざるを得なくなったのだ。



 ◆



 王家は更なる混乱と窮地に陥った。


「聖女ジーナは神の下に召された。皆で彼女の為に祈りを捧げましょう」


 教会は王家よりも先にそう発表した。そしてそれに付随する形で、聖水が“穢れ”を浄化する事、ジーナが奇跡の目を持っていた事、ジーナ以外には聖水を効率良く扱えなかった事をも公表した。


 人々は悲しみと共に恐怖した。ジーナがいなければ以前のように“穢れ”と魔物の脅威に怯える日々が戻ってくるのではないかと誰もが思う。


「安心せよ! 勇猛果敢と他国までその名を轟かす、我が王立騎士団が“穢れ”の浄化を行う!」


 教会に先手を奪われた形の王家は、少しでも威信を取り戻そうと民に語りかけたが、その言葉は民の気持ちを安心させるどころか逆撫でするだけだった。


「安心? ジーナ様が浄化をする前は、騎士団にも死傷者が出ていたじゃないか」

「そもそも王子が馬鹿なことをしでかさなければ聖女が亡くなることは無かったのに!」

「その王子が謹慎だけなんて王は甘すぎる。王子も荒野に置き去りにされなければ不公平だろう」


 王子のみならず、息子の管理が甘かった王に対しても不平不満が徐々に広がる。が、しかし教会と同様、民衆も今は頼れるのは騎士団だけである。騎士団の存在だけがすなわち王家の存在価値となっていた。


 ……その騎士団の中にも、王家に不満を持つ者が時間と共に増えていったのだが。


 ジーナがいた頃は平和が保たれ、騎士団は殆ど危険な目に遭うことはなく兵の士気も若干緩んでいた。それが一転、将軍は厳しい訓練で兵を鍛え出した。命がけで“穢れ”の浄化にあたらねばならないからだ。


 普通の者には“穢れ”がある程度大きくなってからでないと見ることは出来ない。そのある程度の大きさになった頃には魔物も出現しやすくなっている。浄化をしに行った騎士団の兵が魔物と鉢合わせをすることも多々あった。効率は悪く、犠牲は多かったのだ。


 自分達の「上」である王家が無能なために起きた事態に、兵達はじわじわと理不尽さを感じていくようになった。



 ◆



 半年ほどの時を経て、国の北部に魔物が出現するのも珍しくなくなった頃。


 民衆と兵の不満と怒りが最高潮に達した時、王立騎士団を率いる将軍が王を裏切りクーデターを起こした。武力の長が王に剣を向けたことで、ほぼ無血で革命は成功した。

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