第10話 王家と教会は混乱の渦に――――教会の腐敗

 

 ジーナが追放された翌日の王宮での出来事……つまり、ディラン王子が大失態を犯し、蟄居謹慎という名の投獄をされた件は、本来他言無用の筈であった。


 あの場にいた臣下達も皆、他所に漏らしたりはしなかった。漏らしたところで聞いた相手もパニックになるだけで旨味など無いし、騎士団が聖女ジーナを無事連れ帰ってくれれば万事収まるのだから。……もっとも、それは限りなく不可能に近い話だろうとは思ってはいたが。


 だがしかし、その話はすぐに国民に知られることになった。教会が声明を出し、民衆に告げたのだ。


「我が教会は王家に厳しく抗議する! 王家はディラン王太子殿下の婚約者に、と聖女ジーナを望んで迎え入れておきながら、その王太子本人が聖女は偽物だと根拠の無い言いがかりをつけ、聖女ジーナを北の荒野に追放した!」


 王都の大聖堂前広場で、多くの聴衆に囲まれてこう宣言をしたのは例の使者役を務めた司祭である。これは当然彼の独断ではなく、教会の上役から命ぜられて演説をしているのだ。


「これは王家による我が教会への、一方的な宣戦布告にも等しい暴挙である! また、聖女ジーナは間違いなく神の愛と祝福を受けた本物の聖女である! 王家には神の怒りが、天罰が下るであろう!!」


 この内容はあっという間に人々に知れ渡った。たとえ司祭が嘘をつけないと知らない一般の市民でも、これほど衝撃的な話を教会が偽り騙る訳がないとわかるからだ。王家は一気に窮地に立たされ、やむなく王立騎士団が聖女ジーナを捜索中である事と、ディラン王子は謹慎中であると公にした。


 さて、ここまでは端から見れば王家は完全に教会に屈したように見えるだろう。が、内情はもう少し複雑であった。


「なんと愚かな王子め……! 神の怒りをその身に受けよ!」

「おお神よ。あなたの愛し子である聖女ジーナを貶め、傷つけた報いをあの王子に与えたまえ!!」

「王家の血を引く全ての者に天罰を!!」


 最初、司祭達はこぞってディラン王子と王家に対して怒りを露わにし、中には呪詛に近い言葉さえ口にした者もいた。ジーナが帰って来れば以後は完全に王家と対立するつもりだったろう。ジーナが帰ってきさえすれば。

 だが彼らは武力を持たない。それは彼らが自力で危険な荒野へ足を踏み入れてジーナを直接探す事が出来ない、と言う意味を含む。ジーナの捜索は王立騎士団の……要は王家頼みになる状況に、彼らは明かにいら立ちを募らせた。


 ただ、冷静な者も中にはいた。


「怒りを鎮めよ。私たちが何か言わずとも、神は見ておられる。公平に裁きを下される」


 一人の司教が口にした言葉は、やがて現実となる。それは王家だけでなく、のだ。



 翌日、そして更に翌日。

 日を追うごとに司祭達の怒りは覚め、そわそわしだした。魔物が出現する荒野に武器も聖水すらも持たされずにたった一人で送り込まれれば生き残る可能性は限りなく低い。それでもジーナが戻ってくる方にまだ望みをかけていた司祭や聖女も多かったが、一部の人間はこっそりとみそぎを始めた。……禊というのもおかしな話だ。まあ、つまり簡単に言うと。清く倹しい筈の教会の内部は、かなり腐敗し澱んでいたのだった。


 数年前まではそこまでではなかった。15年前に魔物が頻出するようになり聖水が“穢れ”や魔物に効果があると判ると、司祭も聖女も懸命に神に祈りを捧げ聖水を作っており、その作業は過酷で怠ける事など難しかったからだ。


 だが皮肉にも、ジーナが聖なる力を与えられた事で一気に状況が変わった。以前ほど懸命に聖水を作らなくても効率的に“穢れ”を祓える上、聖女を擁する教会の評判はうなぎ登りで寄進も信者も増えていく。昔こそ真面目に教えを守り一度は聖なる力を得たが、今は堕落し神の祝福が消えかかっていた司祭が増えていたのだ。彼らは教会の教えをギリギリで守っては居るが、その穴を突き、或いは屁理屈で捩じ伏せて自分に都合良く使っていた。


『ひとつ、嘘をついてはならない』――――嘘はついていない。ただし言葉は選ぶ。時には言わないでおいたほうが良い事もある。


『ふたつ、肉を食べてはならない』――――食べてはいない。ただし上の役職に行けば行くほど、彼らは優先的に沢山食べることができ、でっぷりと太った者もいた。それに暗喩での恥知らずもいるくらいだ。


『みっつ、美食や過剰に着飾るなどの贅沢をしてはならない』――――目に見える贅沢などするのは間抜けの所業だ。枕の下にこっそりと金貨や宝石を隠せば良い。その金の出所? 影で聖水を密かに渡せば相手は言い値で買い取ってくれる。


『よっつ、常に落ち着いた水のような心を持たねばならない』――――そう。大声を出してはいけない。激しい怒りや涙、笑いは禁じられているのだ。孤児院から引き取った子供達にそう教え込み、自分は気に入らないことがあると大声をあげる代わりに子供達に鞭を打つ事で発散する者もいる。打たれた子が痛みで叫びをあげると叫んだ罰としてまた鞭打つ。その子が声をあげなくなるまで。


 人目を掻い潜ってこのような所業を続けていた者達は、数日後には皆、大慌てで滑稽なほどに悔い改めた。ある者は今まで隠していた事を懺悔と称して告白し、またある者は今まで食べていた分を取り戻すかのように断食を自分に課す。金を貯め込んでいた者は誰にも見られない時間にそっと寄進箱に近寄り、金や宝石を放り込んだ。自分に甘く子供に厳しかった者はその職位を剥奪され、鞭で打たれ続けた。


 それまで堕落していた、いや堕落とまではいかなくとも少々緩んでいた者まで。誰も彼もが一転、厳しく倹しい生活を送り一心不乱に神に祈り、神の愛と祝福を得ることを願い、不眠不休で多量の聖水を作り出す事になる。


 そのきっかけを作ったのは、何と国王の臣下、王立騎士団のトップである将軍だった。


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