第9話 新しい名前とマルコの過去


「名前を……変える?」


 ジーナはその意味を汲み取れず最初はぽかんとしたが、その後のテオの説明ですぐにぞっと背筋が寒くなった。


「そうだよ。ジーナが生きているとそのバカ王子に知られたらどうなる? 最悪、命を狙われることだってあるかもしれないぜ」

「あ……!」

「教会の奴らに保護されて連れ戻されたとしても、もう聖なる力はないんだろ? じゃああんまり良い結果にはならないと思うけどな」

「あー、確かに」


 相槌を打つマルコの横でジーナは震える。もし教会に戻り、聖なる力を失ったと知られたら? 酷い折檻を受けた上、もう一度力を得るために修行をさせられるだろう。ひとりぼっちであの辛く厳しい世界に再び向かい合うのだ。でも、神を信じなくなった自分にもう一度聖なる力が与えられるとは思えない。


「だから、って事にしておいた方が無難じゃないか?」

「……」

「なるほど。そうだな」


 マルコはジーナに向き直る。真剣な眼差しで問うた。


「ジーナ、いいのか? 名を捨てても」

「……はい」


 彼女もまた、彼を真っ直ぐに見返した。その強い瞳にマルコは心を射抜かれた気がして内心たじろぐ。だがそんな彼の気持ちに気づかないジーナは確りと頷いた。孤児の自分に名前を付けてくれたのが誰なのか、元々覚えても居ない。辛い人生と結びついているこの名前に未練などなかった。やせっぽちで陰気な元聖女のジーナとはもうサヨナラだ。


「よ、よし。それじゃあ新しい名前を考えないとな! 元の名前に近い方が呼びやすいか……ジマイマなんてどうだ?」

「はい!」

「ちょっと、マルコ!」


 オババは少しだけ言い咎めるような口調だったが、マルコはわざと聞こえないふりをした。


「じゃあジマイマ。お前は今日から俺たちの家族だ。オババの手伝いがお前の仕事だ。あと馬の乗り方も教えてやろう。ロアは良い馬だ。ちゃんと乗れないと勿体ない」

「ロア……?」

「お前が乗せられてた黒毛馬だよ。俺が名前を付けた」


 マルコが壁の絵に親指を向ける。


「俺たちの神が、人間の男に化けている時に名乗る名前なんだ」


 ジーナ……ジマイマはもう一度絵を見た。さっきこの絵に見とれた理由を思い出す。


「あなたに、似てる」

「えっ、俺ェ?」

「はい、マルコさんに」


 自分を指さし焦るマルコ。ドッとテオとオババが笑い出した。


「アハハハハ!! 確かにそうかもなぁ!」

「マルコには立派な髭がないけどね!! ジマイマ、良い所突くわねぇ!」

「お前ら! 笑いすぎだろ!!」

「?」


 彼らが笑う理由を、後にジマイマは村に置いてある本で知る事になる。

 遊牧民の神は酷く女好きで、美しい女を見つけると人間の男に化けてロアと名乗り女を口説く。時には合意の上で女を拐うのだと……。



 ◆



 テオは「村の皆には、マルコが拾った女の子はジマイマって名前の家出娘だと言っとくよ!」と帰っていった。その夜、囲炉裏のそばで新しい矢を拵えていたマルコはオババが寝室から出てきたので声をかける。


「もう寝たか」

「あれだけ酷い目にあって、腹一杯喰って、大泣きまでしたんだ。ぐっすりだよ」


 オババは念のため、ジマイマが眠れるまで付き添っていたのだ。


「そうか、良かった。悪い夢を見ないといいが」

「そうだねぇ……ところでマルコ、どういうつもりだい」


 オババの声が低くなり、じろりとねめつける。


「あの子にジマイマなんて名を付けて。それはあんたの妹の名前じゃないか」

「それは違う。俺の妹はジェマイマだ」

「バカモン! そんな屁理屈があたしに通ると思ってるのかい!」


 オババとマルコは薄く血が繋がってはいるが元は家族ではない。同じ部族の仲間だっただけだ。だが12年ほど前、まだ荒野の民が荒野で暮らしていた頃、彼ら部族を魔物の集団が襲った。マルコの両親と妹、それにオババの息子夫婦は魔物に命を奪われたのだ。オババはまだ子供だったマルコを引き取った。


「あの子とジェマイマは似ても似つかない。あんた、わざと妹だと思う為にそうしたね?」

「もうあいつはうちの家族だ。オババの子になったのなら俺の妹だろう!」

「それも屁理屈だね。血が繋がっていないんだから来年にはあの子と結婚できるのに?」

「くっ……」


 マルコとオババはジマイマの過去の話を聞くたび驚きっぱなしだったが、中でも彼女の年齢を聞いてたまげた。栄養不足の痩せぎすの身体は女性らしい丸みは全くない。それで12歳かせいぜい13歳ぐらいかとマルコ達は予想していたが、彼女は少なくとも15歳だった。少なくとも、と言うのは、孤児出身だから正確な生まれの年月がわからないのだ。だから次の年が明けたら16歳成人の扱いとなり、ディラン王子と婚姻を結ぶ予定だったそうだ。どうりで目を閉じていた時と、目が開いた時に受けた大人びた印象に隔たりがあるわけだとマルコは思った。


「素直じゃないねぇ。あのに一目で惚れちまったって認めりゃいいのに」

「ち、ち、違うぞ!! 俺は少女趣味じゃない!! もっと胸がある方が……」

「立派な胸のある女とは何人とものに、結局所帯を持っていないじゃないか」

「うぐっ」


 オババにピシャリとやりこめられたマルコはカエルのような声を出した後無言でいたが、暫くしてぽつりと言った。


「……俺は、今度こそ妹を守りたいんだ。あの子にちゃんと食べさせてやって、文字も言葉も覚えさせて、それから他にも色んなことを出来るようにしてやりたい。そしていつか、立派な男の所に嫁がせる。その時に『お兄ちゃん、ありがとう』って言って貰うんだ」

「……それが、あんたが誰とも結婚しなかった理由かい?」

「わからない……ただ、俺だけが幸せになるのは違うと思ってた」


 オババはため息をつく。マルコの目の前で妹は魔物の爪に引き裂かれた。今まで彼の心の傷はどんな女にも癒せなかったという事か。でも、もしかすると代わりの「妹」ならそれを埋められるのかもしれない。


「ま、あんたがジマイマを幸せにしてやるんだね」


 オババは、今はそれしか言えなかった。



 ◆



 翌朝、ジマイマはオババと朝食の支度を一緒にする。聖女になる前の修行の一環で料理も担当した事がある彼女は、野菜を切ったり煮込むのは得意だったのでオババはジマイマを褒めてくれた。


「たんとお食べ」


 朝食は昨日食べたのと同じ粥の他、肉と野菜の煮込み料理もある。ジマイマはそれも目を輝かせて食べた。


「オババ様、美味しいです!!」

「そうかい、でももう家族なんだから敬語はやめとくれ」

「え……」

「様を抜いてオババ、と呼ぶんだよ。あと『です』や『ます』もいらない。美味しいねって言うんだ」


 ジマイマは少し戸惑った。そんな言葉遣いは幼少期、孤児院に居た時以来だ。孤児院の中だって院長の前では敬語を使わないと怒られていたのに。


「お、オババ、美味しい、ね……?」

「はい、良くできたね」

「ああ、俺にも敬語は無しだぞ。そしてお兄ちゃんって呼ぶんだ」

「こら、マルコ!」

「?」


 マルコの気持ちを知らないジマイマは、何故オババがマルコを叱るような口調なのか図りかねた。そして悩む。孤児院の「お兄ちゃん」達は皆いじわるだった。教会でも、偉い大司祭様や大司教様は「私達教会の者は皆家族です」と言っていたけれど、彼女を厳しく教育した司祭達は兄の立場と言う事だ。彼らとマルコは全然違うとジマイマは思った。


「……」

「どうした、ジマイマ?」

「マルコさんは……」

「マルコ、な」

「マ、マルコは、お兄ちゃんじゃありません」

「え」


 ガーンとショックを受けるマルコだったが、その後続く言葉に今度は真っ赤になるのだ。


「マルコは、優しくて素敵です」

「ふぇっ!?」

「アハハハハハ!」


 勿論ジマイマに他意はなく、今までの「お兄ちゃん」達とは違うという素直な考えを言っただけなのだが、マルコは勝手に混乱し、オババはそのマルコを見て大笑いした。





 ------【後書き】------


マルコの年齢はハッキリ決めてないのですが19か20歳くらい。この世界は16歳が成人なので、結婚してないのは少~し遅いかな? でも平民なら割といるよね? くらいの感じです。


荒野の民は昔は色んな部族がいましたが、12年前に魔物に襲撃されて多くの人が殺され、残った人達で部族の垣根を越えて村を作りました。テオとマルコ達は違う部族出身なので、テオはマルコの妹の事を知りません。


短編版の後書きにも書きましたが、ジマイマもジェマイマも英語の綴りは「Jemima」なので同じです。



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