第3話 傭兵マルコ、やせっぽちの少女を拾う


 真上にあった太陽が徐々に西に傾いて来たころ。


 王国の外。国境に近い平原で馬に跨っていたマルコは、自分の視界が一瞬だけ薄暗くなったことを感じ、頭上を何かが横切ったのだと気づいた。

 彼はその影の正体を見ずとも予想はついていたが、一応空を見上げると一羽の大きな鷹が、彼を後ろから追い越すように北の荒野へ向かい飛んで行った。


 今となっては確かめようもないが、その鷹はただの鳥ではなく神の使いだったのかもしれない。マルコはなんとなく乗っていた栗毛馬の手綱を引き、向きを変えさせると馬の腹を蹴った。彼の仲間が驚いて声をかける。


「おい、マルコ、どこへ行く!?」

「ちょっと腹ごなしに散歩をしてくる」

「散歩って……すぐ戻って来いよ!」


 仲間は呆れつつも、彼の単独行動を許した。ここ数年、聖女が国を浄化して回ってくれているお陰で国境付近の地域にも魔物は殆ど現れないし、出たとしてもせいぜい狐か子鹿サイズの小さなものだ。まあそれでも一般人なら殺される可能性がある恐ろしい相手だが、馬に乗り矢を射て槍を振るうマルコなら一人でも何の心配もない。ここよりも魔物の多い荒野に足を踏み入れたとて、余程深入りしなければ大丈夫だろうという信頼を持たれていた。


 マルコと仲間は出身の部族は違うが、どちらも遊牧民である「荒野の民」の生まれだった。彼らは国に属さず、定住の地も持たず、馬に乗って荒野を移動し弓矢と槍を駆使して動物を狩る暮らしをしていた。

 だが15年ほど前から荒野に"穢れ"と魔物が出現する機会が増え、荒野の民は自由に暮らせる場所がだんだんと減っていった。やがて魔物の大群スタンピードが発生し、彼らを襲ったのだ。


 そこで仕方なく彼らは定住地を作った。女子供と老人は荒野に近い辺境の地に小さな村を作って暮らし、男たちは傭兵団を結成して狩りをするようになったのだ。


 彼らは動物の代わりに魔物を狩る仕事を各地の領主から請け負って金を稼ぐ。また、狩った魔物は領主の元に成果の証として持って行くが、どの領主も顔をしかめて死骸を引き取ろうとはしない。彼らはそれを持ち帰り、丁寧に皮と肝を取り除いて肉を焼いた。すると魔物の肉は炎によって"穢れ"を浄化され、美味で滋養のある食料に変わった。

 村の場所がどの国のどの領主の地にも属さない事(領地として主張すれば、そこに出る魔物の対策も領主が責任を持たなくてはならない)と、彼らが魔物の肉をも喰らう為に恐ろしい蛮族と認識されていた事から、傭兵団と村の者たちは変わらず国に属さない民族のままだった。


 マルコと栗毛馬は鷹の後を追いかけるように荒野を駆ける。彼の長くうねる黒髪が風になびき、馬の動きに合わせて揺れる。太陽の光は彼の浅黒く灼けた肌を、逞しい身体を、雄々しく美しい顔を照り返し輝いていた。


「!」


 マルコの大きく黒い瞳が遥か遠くの地平線に黒い点のような盛り上がりを認める。気がつくと鷹の姿はもう見えなくなっていた。そのまま馬を走らせ近寄るうちに黒い点は徐々に大きく、形を成していき、やがてそれは一頭の見事な黒馬であると彼にもはっきりとわかった。


 黒馬はゆっくりと歩んでいる。まるで背に乗せた荷物を落とさず慎重に運んでいるかのようだ。が、マルコと栗毛馬に気づくと目を血走らせ、ブルルと鼻息を荒くした。


「大丈夫だ。俺達は何もしやしないさ」


 マルコは黒馬に優しく声をかけ、更に近づき……目を見張る。馬の背に積まれたものは生成りの布に包まれた荷物だろうかと思っていたが、その布の端から痩せ細った白い手が馬の鬣を確りと握りしめているのが見えたのだ。


「おい!」


 驚きのあまり思わず声が強くなる。マルコに少しだけ心を許していた黒馬は再びブルルル、と嘶き蹄で土をかいて緊張感を漂わせた。マルコはしまったと思う。今にも馬は走って逃げ出しそうだ。


「いや、すまない! お前はその人を守っていたのか?」


 慌てて謝罪すると、黒馬は人間の言葉を理解しているかのように大きな瞳でマルコを見つめる。マルコはこの馬はとても賢いのだと思った。それに体躯もとても立派だ。鞍や馬銜はみは使い込まれて壊れる寸前のボロだったが、元は良い物のように見えた。どこかの大貴族が所有していた馬だと言われても不思議ではないのに、こんな荒野にたった一頭でいるなど明らかにおかしい。何か事情があるのだろうと察した。マルコは自分の馬から降りる。


「大丈夫。俺はお前もその人も傷つけない。助けてやるから大人しくしていてくれ」


 黒馬の目を真っ直ぐ見つめながら本心から言うと馬は首を下げた。


「よし、イイ子だ」


 彼は黒馬の首を撫でてやり、馬上で伏せていた人間の姿を確認する。それはガリガリに痩せた青白い顔の少女だった。鬣を固く握りしめたまま気を失っている。骨ばった指に触れるととても冷たかったが、一本また一本とゆっくりと緩めて手をほどき、手首の脈を見ればまだ微かに生命の証を刻んでいた。

 マルコはホッと安堵の息を吐き、彼女を乗せたまま、自分も黒馬の鞍に相乗りしようとあぶみに足をかけるが、


「ブルッ、ヒーン!」

「おわっ」


 突然黒馬は暴れ出し、マルコを拒否する。だが彼も慣れたもので鐙から足を離し、ひらりと地面に降り立った。


「……まさかお前、女のケツしか乗せたくないとか言うんじゃねえだろうな?」

「ブルルルッ」

「なんて女好きの馬だよ。気が合いそうじゃねえか。……だけどさ、今だけ我慢してくんねえか。このお嬢ちゃんは気を失ってる。早く安全なところに行かないとお前もお嬢ちゃんも魔物に襲われるかもしれねえぞ」

「……」


 黒馬は再び大人しくなった。


「よしよーし、お前賢いな。そうだ、ロアって名前をつけてやろうか」

「?」

「俺たちの神が女を口説く時の名前だぜ。いいだろう?」

「ヒヒーン」


 マルコはロアに跨り、右手で少女を抱きかかえた。その軽さにまたも驚く。


(おいおい、まるで枯れ枝だ。ちゃんと食ってんのか? ……にしてはまあまあ良い物着てるしな。どこぞのお嬢様がワケアリで亡命でもして、食料が尽きたのかもな)


 マルコは乗ってきた栗毛馬の手綱を左手で握ったまま、ロアの腹を蹴る。二頭は並走して辺境の村へ戻って行った。少しだけ色づいた西日を浴びながら。




 ------【後書き】------


 ロアが女の子好きなのは理由があるのをちゃんと書かないとただのネタキャラになってしまう!と、投稿してから気づきました。

 そもそも根っからの暴れ馬なら王家に献上されることはありません。ロアは馬産地では男の人も背中に乗せていました。世話をしてくれる女の子の厩務員が一番優しくて好きでしたが。


 性格は素直ではないけれど特別賢くて身体も大きく強い馬なので、産地でいたように信頼関係こそ築ければ王が乗るのにもふさわしい馬になれる素質があると思われ、ロアは献上されました。

 ……が、王宮の自称「腕利きの馬丁」とは反りが合わなかったのです。馬丁はロアに自分のいうことをきかせようとビシビシしごき、彼はすっかり「男嫌い」(王宮の厩務員には女性は居ない)になってしまったという裏設定でした。


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