お参りするヤングマン

 季節が変わったり不安がある時、海野家は誰からともなく言い出して伊勢神宮にお参りをする。


 いつもは家族バラバラ行動だが、この時ばかりは一致団結だ。

 特に神道に傾倒しているわけではないが、なんなく皆が用事がない日にすんなり決まってお参りする。

 ちなみに遊びの予定は全く合わない。誰も合わせる気がないからだろう。


 朝の6時に家を出て途中のSAのうどんで朝食を済まし、8時半頃に伊勢神宮に到着してお参りをする。その際のポイントはどこにもお店に寄らずに一直線に神宮を目指すことだ。

 なんだか神様に見られているような気がして、寄り道ができない気が小さい海野家の面々。


 お参りの後、「何をお祈りしたん?」と毎回家族に聞く私。


 いつもなら「そんなんナイショにきまっとる」と言うのだが、今年のムスコは違った。


「神様なんておらんし何もしてくれやんでお祈りなんてしやん」とちょっと反抗的に答えたのだ。


 私はちょっと戸惑った。

 そりゃあ、私だってリアル神様が空にいるとは思っていないが、ソレ的な物質がここいらにある前提でお参りしている。

 なんていうのだろうか、今までお参りしてきた人間のパワーの一部がここに残って次の人に受け継がれて循環するというイメージだ。心のお守り的なものを頂いてくる。


(え…?それならなんでここ来たん?)


 そう聞きそうになってやめた。素直じゃなくなったとかそういう問題じゃない気がする。彼は嫌ならわざわざ予定を空けてお参りに付いてきたりしない。

 神について少しでも考えたことがないと、そのような言葉がムスコの口から出てこないだろう。今の彼はそう結論付けた考える機会があったということだ。


 受検が迫って来たのも今の彼には重荷だろう。なんせ競争に価値を置かない家庭に育ってきて『勉強しろ』なんて言われたことがないのだから、先生方がかけて下さる言葉に戸惑うことが多いだろう。そこは申し訳ないなと素直に思っている。

 今のムスコや若者には辛い事なんてないから、そういうことを考えないと思って見くびっていた私自身に反省だ。


「そうやな、最終的に自分を助けるのは自分やしな」

「……当たり前やん」


 貴方は周りにずっと助けられて生きている、という気持ちを言外に込めたつもりだが、いつか伝わるといいなと思う。

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