第九話 『後日譚』


 乙津と三木は都内の居酒屋で飲んでいた。事件が終わって後処理も終えたあとの始めての飲み会だ。


「すんません、もう一杯」

「それ五杯目すよね……」


 乾杯してから数十分と経たぬ勢いで酒をおかわりしていく乙津。と、それをバケモノでも見るみたいに眺める三木。

 捜査本部が解散したあと、元の機捜に戻された三木は、事件の顛末をぼんやりとしか聞いていなかった。だけれどあの女の子がどうなったのかは、せめて知っておきたい──ということで、それの報告会も兼ねているのだ。

 乙津は怪我していない方の手で枝豆を一粒口の中に放り込んで、いったん水でそれを流し、ぷはっと一息つく。


「ハナちゃんは、まあ、結局院に行くことになった。ただどちらの件も情状酌量が認められるってんで、まあ、本来よりもだいぶ軽い。二件目に関しては過剰防衛と判断されてるしな」

「……やり直せるんでしょうか」


 いつも快活に上がっている眉がしょんぼりと下がりぎみだ。乙津はそんな様子の三木をちらりと横目で見て、バシン、とその肩を叩く。ちょうどお酒を飲もうとしていた三木は「ごほっ! うえっ、ゲホ、えふっ、」と盛大にむせる。


「……同期が少年課にいんだ」乙津はは静かに言った。「子どもでもゴミみたいな奴はいるってさ。未成年であることを笠に着て何度も院に戻ってくるやつはいる。でも、あいつに言わせれば、そのほとんどは防げたはずのものなんだってさ。親が、先生が、周りの大人がどうにかしてやれば」


 ──それで助かるはずの子どもが何人もいるのにな。

 三木は目の前のジョッキをじっと見つめた。そうだ。あとから聞けば、彼女の家が児童相談所に通報されたことは何度かあったらしい。それでも確信的な証拠がなく児相は動けずに、ハナは自分の父親を殺すことにまでなってしまった。殺人は、殺すほうも、殺されるほうも、どちらもひどく苦しむ行いだ。もしハナをあの家から救い出せていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。──警察はいつも、なにか大事なことが起きてからしか動けない。

 暗くなってしまった空気を払拭するように、乙津は「辛気臭い顔するなよ。せっかく飲んでんだ」と笑った。こんな事件は飽きるほど見た、とまでは言えない。でもたった一つの事件をずっと引きずるわけにもいかないのが、今の刑事の現状だ。

 事情があるやつも、ないやつもいる。本当に悪いやつも、環境さえ違えば良いやつだったのもいる。──忘れる、とまではいえない。だけど忘れないことが大事だと、そう言えるほど善人なわけではない。


「餃子でも食うか。ここ、美味いんだよ」


 乙津なりに三木のことを励まそうとしているのが、そのわざとらしい口調でわかった。三木はちら、と隣の乙津を見る。乙津は「ん?」と片眉をあげて、三木の視線に応えた。それだけでなんだかすこし気が抜けて、口許が緩む。


「……おれの胃袋、なめないでくださいよ」

「オ! いいな。その意気だ。おごってやろうか?」

「おれ今からどんぶり三杯でもいけますけど」

「前言撤回。バカかおまえ。最初に言えそういうことは!」

「いやちょ、いたっ、理不尽!」



 ──二人はもうバディではない。

 乙津はまた捜査一課の刑事として、凶悪事件の犯罪者を捕まえるために奔走する。三木は第一機動捜査隊として、被害が大きくなるまえに、誰よりもはやく事件を解決するために突き進む。ふたりとも、そうやってそれぞれの道を歩んでいく。

 佐川もまた、たった一ヶ月のあいだ、一緒に暮らしたちいさな女の子の人生を引きずっていく。自分の人生をその子に重ねたことを、守るはずのその子を守れなかったことを、一生胸に抱えていく。

 ハナは殺人という罪を背負う。どんなに彼女が悪くなかったとしても、どんなに彼女がこれからの人生をよくしようと努力しても、一度暗闇に沈んだ影は生涯彼女についていく。


 誰かが死んでも、雨は昨日と同じように降るし、地球は同じように公転している。


 ──それでも誰かが生きるのなら、三木はその人の背中を押してやりたい。

 ──それでも誰かが生きるのなら、乙津はその人の涙を拭ってやりたい。



 たったそれだけが難しくて、でもそれだけはしてやりたくて、ふたりはずっと警察をやっているのだ。

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