第21話 山頭火、ライスカレーを食べる

・これが別れのライスカレーです


これは山頭火の俳句の師である荻原井泉水主催の俳誌「層雲」に昭和5年に掲載された句であり、山頭火がライスカレーを詠った唯一の句である。

歌謡曲で「別れ」とくれば、その傷心をいやすのは酒が定番。

酒とくれば山頭火とつながるのだが、意外や山頭火の別れはライスカレーであった。

カレーライスではない。

ライスカレーという言葉は最近あまり耳にしなくなったが、夏目漱石の「三四郎」では大学に入学して間もない三四郎が初対面の同級生からおごってもらったのがライスカレー。

作家の向田邦子にはカレーライスとライスカレーの違いをテーマにした軽妙なエッセイがあった。


別れのライスカレー? 

山頭火にライスカレーを食べて別れを告げた女がいたのか?

別れというと男女のそれしか頭に浮かばない私は、これは捨ててはおけないと山頭火全集に収録されている昭和5年の日記を本棚から取り出した。

山頭火の日記は彼が48歳になる昭和5年(1930年)9月9日から始まっている。それ以前からも日記は書いていたが、昭和5年9月14日の日記に彼はこう記している。

「熊本を出発するとき、これまでの日記や手記はすべて焼き捨ててしまった」

よって私は昭和5年の9月9日から12月31日までの日記を読み直してみたが、上掲の句もライスカレーという言葉も見出すことはできなかった。

彼の日記は食べ物日記とでも言うべきで、その日に食べた全てのものを山頭火はこまめに日記に書き残している。

そこにライスカレーの文字がないということは昭和5年「層雲」掲載句の謎の女は、山頭火が「焼き捨ててしまった」日記の中で山頭火と別れたのだ。

でも、別れたのは本当に私の思うように女だったのだろうか?


山頭火は11年間にわたる日記で、私の調べた限り二度ライスカレーに言及している。

一度は昭和11年5月21日、彼は草津温泉に泊まっている。

「熱い湯にはいつて二三杯ひっかけて、ライスカレーを食べて(これが宿の夕食だ、変な宿だ)ぐっすり寝た」

当時の草津温泉について山頭火の評価は草津に気の毒になるほど低い。

「草津といふところは何となくうるさい、街も湯もきたならしい、よいとこでもなさそうだ、お湯の中にはどんな花が咲くか解つたものぢゃない」

と手厳しい。

今一度は昭和15年3月24日、この頃彼は四国松山に住んでおり道後の温泉をしばしば楽しんでいる。

「高商で高橋さんとしばらく歓談、ライスカレーを御馳走になる、それから二人は電車で道後に出かけて入浴、おでんやでパイ一、パイ二、それから大街道は電車でのしてTさんといっしょになり、三人でまた飲む、それからまたMさんも参加しててんぷらやそばやでたべるたべる、(略)―さしみ、てんぷら、そば、どれもみなおいしかった、酒もわるくなかった、近来にない牛飲馬食だった―感謝感謝」

昭和15年3月24日とは山頭火が亡くなる約7か月前の事。鋼鉄の胃袋を持つ山頭火の面目躍如の食べっぷりではないか。


私も幼い頃から70歳を過ぎた今日まで飽きることなく食べてきたカレーライスだが、カレーについてとりわけ忘れられない記憶が二つある。

一つは学生時代の事。

陸上部の合宿ではカレーが頻繁に出た。

ソースをかける者がいたが、これは私も時々やっていたこと。生卵を落とす者がいたがこれも自分ではやらないものの、そうする人を身近に見たことはあった。しかしカレーに醤油をかける人はその時初めて見た。

大いに驚いたのはソースをかけただけでは気がすまず、薬味の福神漬けとラッキョウを大量にカレーにのせ、さらにそれをごちゃまぜにして正体不明の気味の悪いものに仕立て上げ、それを嬉々としてさもうまそうに食べる先輩がいたことだ。彼の舌を疑わざるを得ないあれは、もはやカレーライスとは言えない奇怪極まる混ぜ飯だった。


今一つはメキシコ人の知り合いとの40年ほど前の思い出。

彼は時々私や知人を自宅に招いて手作りのメキシコ料理をふるまってくれた。その中にとてつもなく辛いソース(サルサというのだろうか)があった。聞けば世界で一番辛いと言われる唐辛子を使って作るソースだとの事。

そのころ住んでいた街にうまいと評判のカレー屋があった。そこは辛さが10段階かに指定できることになっており、ある時、私はかのメキシコ人をその店に誘った。辛いもの好きでは人後に落ちない私は一番辛いカレーを、メキシコ人は勿論私と同じものを注文した。

「人間が食べるもんじゃありませんよ、大丈夫ですか」との店の人の忠告に、私は本場のメキシコ料理の辛さを知っている者としての余裕の笑顔を返したものだ。

運ばれてきたそれは見たところごく普通のカレーだったが、二口食べて「人間が食べるもんじゃありませんよ」の意味が全身で納得できた。意地で最後まで食べ終えたが、噴き出る汗と鼻水で顔面はぐちゃぐちゃになり、余りの辛さに脳みそは蒸発し、溶鉱炉と化した口はもはや自分の物とは思えなかった。

しかるにそのメキシコ人は汗ひとつかかず、水も飲まず、涼しい顔で何事もなく静かに食べ終え「とてもおいしい」と言った。

辛いものに対する自信を根底からくつがえされ、上には上がいることを私は思い知らされた。


さて、「別れのライスカレー」に戻ろう。

旅に生きた山頭火は多くの出会いや別れの中で、人に食べ物をおごったエピソードを一つ昭和11年5月13日の日記に残している。

「高崎市の安宿に寄ると、ふしぎや、また例のルンペン君に出会つた、人生万事如是々々、そして人生はまた一期一会だ(但会一処でもあるが)、幸にして持合があるので、ビールとビフテキとをおごってあげた、彼のよろこび、彼のかなしみ、それは私にもよく解る、君よ幸福であれ」

驚くなかれ、いつも懐のさびしい山頭火が豪勢にも「、ビールとビフテキ」をルンペン君におごってあげたのだ。

旅先の宿で山頭火が出会ったのは彼が「世間師」と呼ぶ人たちである。旅芸人、行商人、按摩、旅絵師、尺八老人、テキヤ、猿回しなどで、流浪する者同士の共感が彼らの間にはあった。

冒頭の句はその世間師の一人とライスカレーを奢るか奢られるかして別れた情景を詠ったものだろう。

残念ながら私の期待したような女との別れでは無かったと思う。

山頭火は彼が九歳の時に自宅の井戸に身を投げて亡くなった母親以外の女には、精神的な意味ではいっさい興味を持たなかったように私には思われる。



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