第20話 山頭火、豆腐を食べる その1

豆腐好きだった山頭火は豆腐を主題とした句を私の数えたところでは27句残している。

その中で彼が自選句集「草木塔」に残した作品が二句あるが、その一つが次の句だ。


・草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ


この句は昭和9年7月20日の山頭火の日記に登場する。

興味深いことに豆腐の27句のうち7句が昭和9年の7月に詠まれている。

昭和5,6,7,8年の7月の日記には全く豆腐の句はない。

昭和10年には7月20日に

・豆腐やの笛がきこえる御飯にしよう

があるのみ。

昭和11,12,13,14,15年の日記にも、7月に豆腐の句は見当たらない。

つまりこの昭和9年の7月は山頭火にとって豆腐の句の当たり年、豆腐の黄金時代であったといえるだろう。

その黄金の日々を順に見てみよう。


まず昭和9年7月8日の日記より。

「晴、とても暑い日だった、百度近くだったらう。朝蝉が鳴く、朝酒がほしいな、昨夜の酒はだらしなかったけれど、わるい酒ではなかった、ざっくばらんな酒だった(略) 帰途、酒と豆腐とを買って(三人で買へるだけ、金九十五銭!)、ゆっくり飲んだ、それは「豆腐をたべる会」第一回でもあった」

「百度近くだったらう」とあるのは華氏100度であって、摂氏にすると37.8度。今でいう真夏日であったということだ。

また、ここにある三人とは俳句の友の樹明と黎々火である。

この日の日記にある豆腐の句は以下の四句。

・いつもの豆腐でみんなはだかで

・蝉なくやヤツコよう冷えてゐる

・したしさははだかでたべるヤツコ

・風はうらからさかなはヤツコで

この日が記念すべき第一回目の「豆腐をたべる会」であったことが、四つもの句を山頭火に詠ませたのだろう。


次に昭和9年7月10日の日記より。

「晴、曇、夕立がきさうだったが、バラバラと落ちたゞけ。昨日も今日も終日読書。

一杯やりたいが、それどころぢやない、一椀があやしくなった!

周囲が(私自身も)コセコセしてゐるのが嫌になる、もつとユツタリとしたいものだ。

生きてをれば生きてをるがために、いひたくない事をいひ、したくない事をしなければならない、……生きてゐたくないと思ふ」

この日の日記にあるのは次の二句。

・酒と豆腐とたそがれてきて月がある

・青田風ふく、さげてもどるは豆腐と酒

青田風とは稲の苗が育って青々としている田を渡っていく風のことで、夏の季語。


そして最後に昭和9年7月20日の日記より。

「垣根から白い花が咲いてゐた、私はぢっと眺めてゐたが、たまらなくなって、一枝下さいといったら、若い妻君が、さあどうぞといってナイフまで持ってきてくれた、彼女はおなじく白い花だった。(白木槿の花)彼のハズは幸福だらう、幸福でなくちやならない。(略)

△うまい句とよい句、――これが解らなければダメだ、私としてはうまい句を望まない、よい句を作りたい、それは真実の句だ。 どうにもやりきれなくなって、あの店この店とヤケで二三杯飲み歩いた(略)」

そしてこの日の日記にあるのが、山頭火自ら自身の豆腐の句の代表作の一つとしている、冒頭にもあげた次の句。

・草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ

彼にとってはこの句が「うまい句」ではなく「よい句」、すなわち「真実の句」の一つということなのだろう。

ちなみにこの句の「豆腐も冷えた」について一言。

山口県小郡にあった山頭火の住まい「其中庵」には小さな浅い井戸があった。山頭火は買ってきた豆腐をこの井戸の水で冷やし、頃合いを見ていそいそと晩酌の準備に取り掛かったのだろう。


以上、昭和9年7月の豆腐の俳句を見てきたが、7月とあってその食べ方は勿論ヤッコ。

ヤッコについて山頭火はこんな言葉を残している。

「豆腐は昔風なのがよい、絹漉は嫌ひだ、ことにヤツコでたべるときには」

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