第17話 山頭火、ところてんを食べる

・山からあふれる水の底にはところてん


ところてんは古くは「こころふと」と称した。

海藻のテングサをよくさらし、干して、煮こごらせたもの。

黒蜜をかける人もあるそうだが、私は辛子酢でしか食べない。

これは江戸時代の人もそうであったし、室町時代の人もそうであった。

何を根拠にそう言うかといえば、室町時代後期の「七十一番職人歌合」の最後の巻に辛子酢でところてんを食べた和歌があるからである。

室町時代に完成した食べ方が、21世紀の今も尚生き残っている事からして「夏の味覚のシーラカンス」と私は呼びたい。

今年の夏、私は一度もシーラカンスを食べなかった。


昔は子供たちのパラダイスであった駄菓子屋でところてんを売っていた。

あの水鉄砲式のところてんを突き出す道具は「突き棒」と言うそうだ。

山頭火の上記の句も勿論、突き棒で押し出されたところてんに違いない。

現在スーパーで売っているにプラスチックの容器に入ったところてんは、突き棒のそれと違って長さが半分もなく、隔靴掻痒の思いでそれを食べるたび、貧しくも満ち足りていた昭和の子供時代が懐かしく思い出される。

懐かしいのはところてんの「突き棒」だけではない。昔、身の回りに当たり前のようにあった道具がいつのまにか姿を消してしまった。

この突き棒しかり、たらいや洗濯板、ちゃぶ台しかり。

豆腐好きの山頭火の耳を楽しませていた豆腐ラッパの音もここ何年か聞いていない。


さて冒頭の句は昭和8年7月15日のもの。この日の日記にはこうある。

『午後は東御嶽観音様へ詣でる、青葉、水音、蝉がなき鶯がなく、とてもしづかな山村だった、そこから赤郷へ河鹿聴きに出かけたが、暑くはあるし、興味もうすらいだので途中から引き返す、往復三里の散歩だ。山の茶屋には筧の水があふれて、ところてんが澄んでいた』


山から引いた水でキリッと冷えた山の茶屋のところてん。

山頭火の喉も鳴ったに違いないが、日記には食べた形跡がない。

ところてんを横目で見ながらむなしく歩き去った山頭火の後姿を、茶店の誰かが見送ったろうか。

このところてんを冷やしていた山から引いた水だが、山頭火は大酒飲みであると同時に大量の水を飲む人であり、とりわけ山の水、井戸からくみ上げた水を好んだ。

この翌日昭和8年7月16日の日記には、水についてこんな記述がある。

「今日の道はよい、といふよりも好きな道だつた、山村の景趣を満喫した、青葉もうつくしいし、水音はむろんよかつた、虫の声もうれしいし、時々啼いてくれるほとゝぎすはありがたかつた。(略)けふぐらゐ水をたくさん飲んだことはあまりない、まことにうまい水だつた、山の水は尊し」

さらに昭和14年8月7日の日記ではこう書いてもいる。

「何よりもうまいのは水であると思ふ、けつきよく味のない味がほんたうの味ではあるまいかと思ふ。」


それにしても、夏の盛りに往復3里、つまり12キロの散歩とは、彼の尋常ならぬ体力、脚力を偲ばせるに十分なエピソードである。しかし12キロというのは山頭火にとってはむしろ短距離で、しばしばこの2,3倍の距離の歩く旅を彼はしている。

山頭火は歩く旅人、歩く紀行作家でもある過剰な体力の持ち主であった


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