第16話 山頭火、湯豆腐を食べる

山頭火に豆腐の句は多いが、そのうち湯豆腐を詠んだものが2句ある。

一つは昭和10年2月18日の日記にある次の句。

・かうして生きてゐる湯豆腐ふいた

この時期、山頭火はほとんど外出しないで読書三昧の日々を送っている。

この頃読んだ本は谷崎潤一郎の「春琴抄」、岡倉天心の「茶の本」。

とくに後者については「夜中に眼覚めて、茶の本を一年ぶりに読みなほす、よい本はいつ読んでもいくど読んでもおもしろい」と日記に書き残している。

今一つの句は

・ひとりで食べる湯豆腐うごく

昭和10年4月9日の日記にある句だ。


「老遍路さんと別離の酒を酌む、彼も孤独で酒好き、私も御同様だ、下物は嬉野温泉独特の湯豆腐(温泉の湯で煮るのである、汁が牛乳のようになる、あっさりしていてうまい)、これがホントウのユドウフだ!」

下物とは山頭火独特の表現で酒の肴のことだ。

これは昭和7年3月20日(山頭火50歳)の日記の一節である。


この日、彼は佐賀県嬉野温泉は筑後屋に滞在している。

もしこの宿が現存するなら山頭火のエピソードが何か残っているかもしれないと思い、嬉野温泉旅館組合に私は電話で問い合わせた。

担当の女性は、親切にも昔の地図まで添えて返事を下さった

見ると昭和2年の地図に筑後屋はあるが、昭和27年の地図からは消えている。その場所は今では民家となっているらしい。

昭和2年の地図によると、嬉野温泉には小さな宿が軒を並べ、この温泉地が賑やかだった事がしのばれる。山頭火がうまいとほめた酒「虎の児」は今も営業しているそうな。

嬉野は江戸時代にシーボルトも訪れた名湯で、山頭火はこの地が気に入り、友人への手紙に、こんなところに落ち着きたいと書き、日記にはこんなざれ歌を書き残している。


うれしのうれしやあつい湯の中で

またの逢瀬をまつわいな 

わたしやうれしの湯の町そだち 

あついなさけぢやまけはせぬ 

たぎる湯の中わたしの胸で 

主も菜ッ葉もとけてゆく


上記の昭和7年3月20日の日に出てくる「嬉野温泉独特の湯豆腐」は今も変わらず嬉野温泉の名物である。ここの温泉水の成分が豆腐のたんぱく質を分解し、独特のとろりとした湯豆腐をしあげる。醤油だれも良いが、胡麻だれで食べるとこたえられないそうな。

それを知った私はさっそくインターネットで注文した。

待つ身のうれしさ6日間、その間、豆腐断ちして豆腐ひでりを最高レベルにまで高めた私のもとへ、藤川豆腐店から嬉野温泉湯豆腐「ごまだれバージョンセット」が送られてきた。

山頭火が身元保証人となっている由緒正しい湯豆腐が今夜のメインディッシュであることを私は家族に告げた。

私のお告げに対し、妻、娘、息子の三人は

「ええ、湯豆腐だけ!」

という失望の色を隠そうともしない落胆の声を上げた。


ヒグラシの鳴きしきる夏の夕暮れ、私は佐賀県から遠路はるばる広島の私の家までやって来た温泉水と2丁の豆腐を鍋に入れた。そのままでは格別変わったところの無い、鍋の中の風景である。

しかし、火にかけて10分ほどしたろうか、鍋の中は白さを増し、20分もする頃には豆腐はトロッとして汁はポタージュスープのように白濁した。

添付のこってりした胡麻だれで食べた豆腐はとろけるような舌ざわりでありながら、深いこくがあった。


私の酒の相手は老遍路でも、山頭火でもなく、女房という過酷な条件ではあったが、明日は残った汁で味噌汁にしようか、鍋にしようか、或は雑炊にしようかと話しているうちに、いも焼酎は体を駆けめぐり、私は、嬉野の温泉湯豆腐もろともトロトロになった。



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種田山頭火のおいしい日記 @evans3

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