第15話 山頭火、アンパンを食べる

・秋の日かたむき餡パンたべてもう一ト山


これは昭和8年の秋、山頭火がアンパンを詠んだ唯一の句である。

昭和8年9月15日、彼は山口県小郡の其中庵から広島に向けて旅に出ている。山頭火がアンパンを食べながら越えて行った山は私の住む広島県内の山であったかもしれない。


アンパンは山頭火が生まれる7年前の明治8年に、東京銀座の木村屋によって考案されたとされる。

さて、この句のアンパン、山頭火はどのようにして手に入れたのだろうか。

昭和8年当時、コンビニはもちろんなかった。

墨染めの僧衣の山頭火は行乞の旅の際、家々の門口に立ってはお経を唱え喜捨を受けた。そこで与えられた金を宿賃としながら旅を続けた。

金の代わりに米を与えられることもあった。

ここからは私の想像だがこのアンパンはそのようにして彼に与えられたものだったのではなかろうか。

ある家の前で彼がお経を唱えていると、たまたま一人で留守番をしていた男の子が、自分のおやつであったアンパンを彼に恵んでくれたのだ。

やさしい男の子のくれたパンに力を得て、山頭火は(もう一山)と山に分け入って行ったのだと想像してみたくなる。


パンときたら飲み物はお茶ではなくコーヒーだろう。

山頭火とコーヒーの組み合わせはミスマッチの極みとも思えるが、明治15年生まれの山頭火はコーヒーを飲むことがあったのだろうか?

実は飲んだのだ。

昭和13年8月23日の日記にはこうある。

「朝はコーヒーだけ、昼は御飯、晩はまたコーヒー」

翌日の8月24日にも

「けふ(今日)もコーヒーだけ」

貧乏ゆえに食べるに事欠き、この日はコーヒーだけでしのいでいたのだ

さらに、彼のコーヒーの好みはブラックか、それとも砂糖を入れたのか?

これも8月29日の日記に答えがある。

「午後、Nさん久しぶりに来庵、そこはかとなく話す、コーヒーを御馳走したいが砂糖がない、そこらまで送る」


私の子供時代(昭和30年代)、菓子パンの三大スターと言えば、アンパン、クリームパン、ジャムパンだった。メロンパンも無視は出来ないがこれは中身系(?)ではないのでここでは取り上げない。

アンパン、クリームパンはあれから半世紀以上を経た今日もなおパン屋の店頭で確固たる地位を占めている名門だが、ジャムパンはすっかり影が薄くなってしまい、私が見かけることはまずない。もはや絶滅危惧種と言っても的外れではないだろう。

しかし、ジャムをトーストに塗って食べる作法は家庭やホテルの朝食のテーブルで格別珍しくない光景だ。


この三大スターの運命の分かれ道は、ジャムには向日性があり、すなわち、明るく風通しの良い環境を好むのに対して、餡は日陰を好む性質にあったと思われる。

餡が使われている回転饅頭、たい焼き、温泉饅頭、大福に共通して見られるのは、いずれも外皮にくるまれ、かじられるまではかたくなにその姿を見せようとはしない、いじらしくも控えめな餡の性格だ。

ジャムには朝食のテーブルを照らす朝陽が良く似合い、一方、アンパンには裸電球の光が似合うことを考えれば両者の性格はさらにはっきりする。

陽性のジャムに陰性の餡と同じ役割を求めたことに無理があり、それがジャムパンの今日の衰退の原因だと思う。


自分の個性を十全に発揮できるジャム・オン・トーストが正道となった今日、ジャムはまさに所を得たといえる。

逆に、朝食に餡をトーストに塗るアン・オン・トーストを想像してみると、食べることで何か得になることがある場合以外、私ならすすんで食べたい気持ちにはならないし、山頭火が句に詠むこともなかっただろう。

しかし、名古屋ではこれが小倉トーストと呼ばれ、喫茶店のモーニングサービスの堂々たる主役として広く親しまれていると聞く。


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