第14話 山頭火、梅干を食べる
昭和11年10月11日の山頭火の日記には梅干についてこんな記述がある。
『梅干の味 私は梅干の味を知っている。孤独が、貧乏が、病苦が梅干を味はせる。梅干がどんなにうまいものであるか、ありがたいものであるか。病苦に悩んで、貧乏に苦しんで、そして孤独に徹する時、梅干を全身全心で十分に味うことが出来る』
山頭火には梅干を詠んだ作品が六句あるが、その中の代表句は彼が自選した句集「草木塔」に収められた、やはり病気との関連で詠んだ次の句。
・病めば梅ぼしのあかさ
この句がよみがえらせた私の遠い昔の思い出。
子供の時分、風邪をひいたりなどした時の病み上がり、決まって食べさせられたのが梅干のお粥だった。
日の丸弁当と言う言葉があるが、あれは日の丸お粥とでも呼ぶべきものだった。子供が喜んで食べたくなるものでは決してなく、病気になる度にあの日の丸お粥を食べさせられては、子供としては二度と病気になんぞなってたまるかと思う。そのかいあってか、子供の時分虚弱な体質であった私は、今では病気知らずの体になった。
梅干しに関しては、これも子供時代の記憶だが、頭痛か歯痛かを鎮めるというので、梅干しの皮を両方のこめかみに貼りつけているおばあさんがいた。
約60年前、中国山地の山間の村にあった祖父の家で毎年の夏を過ごした頃、村で時々見かけた光景だ。
子供心にも実に奇怪な光景で、それで記憶に残っているのだが、あれは本当に効果があったのだろうか。
山頭火は梅干をいつ、どのように食べたのだろうか?
昭和14年5月8日、山頭火はこの頃、木曽路を旅しているが、日記にこう書き残している。
「朝のお茶受はどこでも梅干、たいへんよろしい、日本人は梅干のありがたさを味解しなければウソだ」
山頭火は次のような言葉も残している。
『それ(梅干の味)は飯の味、水の味につぐものだ、日本人としてはそれが味へなければ、日本人の情緒は解らない』(昭和8年6月25日の山頭火の日記)
梅干し製造会社の人がこの言葉を知れば、自分の仕事対する誇りもさらに増そうというものだろう。
会社のコマーシャルにも拝借できる言葉ではなかろうか。
「孤独が、貧乏が、病苦が梅干を味はせる」と山頭火は言うが、彼の梅干を詠んだすべての句が「孤独、貧乏、病苦」ばかりではない。
梅干の人気向上のために、朝の食卓に梅干しの一粒を添えたくなる、彼のこんな句を最後に紹介しておこう。
・梅干あざやかな飯粒ひかる(昭和14年の句)
・朝風すずしい梅ぼしを一つ(昭和15年の句)
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