第12話 山頭火、シジミを食べる

酒について多くの言葉を残している山頭火だが、昭和8年4月26日の日記にはこんな言葉がある。

「よい酒とは昨日を忘れ、明日を思はず、今日一日をホントウに生かしきる事ができるように役立つ酒でなければなりません」

その彼の酒の肴の一つがシジミである。

シジミについて山頭火は三つの句を残している。


・ながれ掻くより澄むよりそこにしゞみ


これは昭和7年9月13日の日記にある句だ。

この日、午前3時という暗いうちに起床した山頭火は、朝酒を独り楽しんでから、うまく炊けた御飯をたらふく食べた。

午後、「昼ご飯を食べてから、海の方へ一里ばかり歩いて、5時間ほど遊んだ、(略)蜆貝をとってきて一杯やる」

山頭火が掘ってきた蜆は椹野川(ふしのがわ)の産だ。この川の河口ではいい蜆が取れるのである。

この椹野川が流れる山口県周防地方では、蜆は主に朝夕の汁の実にするが、時には茹でて身をはずし、佃煮にしたり、葱と酢味噌和えにしたりする。

「蜆貝をとってきて一杯やる」というからには、私なら葱と酢味噌和えにして酒肴にするだろう。

蜆汁で一杯やるのも捨てがたい。

山頭火の好みは「酢味噌和え」か、それとも「蜆汁」か?


その答えは昭和10年9月12日の彼の日記にあった。

この日の午後も、山頭火は蜆堀りに出かけた。1時間かけて5合ばかりの蜆を掘った。蜆をいうものはずいぶん沢山あるものだと感心している。そして

「蜆汁をこしらえつゝ、(略)思はず晩酌を過して、ほんたうに久しぶりに、夜の街を逍遥する」

蜆汁で一杯が山頭火流であったのである。

この日には次の2句も詠んでいる。

・砂掘れば水澄めばなんぼでも蜆貝

・食べやうとする蜆貝みんな口あけてゐるか


蜆汁については昭和11年8月20日の日記にも言及がある。

「午後、河尻へ出かけて蜆貝を掘る、食べるだけはすぐ与へられた、ありがたい。(略)蜆貝汁をこしらへつつ、私は心で叫んだ、―蜆貝よ、私は今、鬼になっているのだ!)


それにしても昭和7年が9月13日、昭和10年が9月12日、昭和11年が8月20日と、山頭火はもっぱら夏に蜆を掘りに出かけた。

あたかも夏の年中行事のようだが、季節の流れとともに生きていた山頭火の生活がここにもうかがわれる。

山頭火は暑い盛りの8月、9月にシジミを食べたが、実はシジミが本当にうまいのは、冬を越すために栄養を蓄え、うまみを増した「寒シジミ」であるそうな。


私の住む広島のスーパーに並んでいる蜆は、宍道湖のものが多い。黒々として、ミネラル分の豊かなこの蜆の味噌汁は我家の朝の定番である。

宿酔の朝など、これさえあれば、今日も一日働こうという元気が出てくる。

広島を流れている太田川でも蜆が取れる。

これは宍道湖のものと比べて粒が大きく、生息地が砂地であるせいで殻が茶色をしているのが特徴である。

山頭火も「砂掘れば水澄めばなんぼでも蜆貝」と句に残しているように、私の子供時代でさえ、広島を流れる川でシジミはいくらでも採れた記憶がある。私が家に持ち帰ったシジミで母は朝の味噌汁をこしらえたものだった。

しかし高度成長期に川は汚れ、漁獲量は激減。今では認可を得た川漁師だけがシジミ漁を許されている。

従って私が山頭火をまねて、シジミを川で掘ってきて、シジミ汁をこしらえて一杯やることは今では夢物語になった。



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