第8話 山頭火、イワシを食べる

昭和8年1月28日の山頭火の日記より。

「夕方、樹明来、鰯で一杯やる、今夜こそは私が奢ったのだ、のうのうした気持ちだ。(略)鰯、鰯、鰯ほどやすくてうまい魚はない、感謝する」


安いがゆえに鯛やまぐろと比べてとかく低く見られがちで、場合によっては下魚などという気の毒な呼ばれ方をすることさえあるが、鰯はうまい。



(ちょっと一言)


1:九州で鰯を食べる

昭和5,6,7年、九州を盛んに旅していた山頭火は、度々鰯を食べている。

彼の日記にその食べっぷりを見てみよう。


・昭和5年9月16日、熊本県人吉町にて

「鰯の新しいのを宿のおかみさんに酢漬にして貰って一本いただく、鰯が五銭、酢醤油が二銭、焼酎が十三銭」

・昭和5年9月24日、宮崎県都城にて

「今晩は特別の下好物として鰯と茗荷とを買った、焼鰯五尾で弐銭、茗荷三つで一銭、そして醤油代が一銭、合計四銭の御馳走也」

・昭和6年1月28日、熊本市にて

「鰯三百目十銭、十四尾あったから一尾が七厘、何と安い、そして何と肥えた鰯だろう」

・昭和7年1月24日、佐賀県呼子にて

「宿に帰って、また洗濯、また一杯、宿のおかみさんが好意を持ってくれて鰯の刺身一皿喜捨してくれた」

・昭和7年1月25日、佐賀県佐志にて

「鰯、鰯、鰯、見るも鰯、嗅ぐも鰯、食べるも、もちろん、鰯である」

・昭和7年2月1日、長崎県千綿にて

「新しい鰯を買って来て、料理して貰って飲んだ、うまかった、うますぎだった。前後不覚、過現未を越えて寝た」

以上のようなイワシ賛歌が綴られている。

いつも懐のさびしい山頭火にとって、安くてうまいイワシはこの上ない酒の肴だった。


2:山口で鰯を食べる


昭和7年(1932年)11月27日には、山口県小郡にある彼の住まいである其中庵に近い茶店で鰯の卯の花鮨を食べている。

日記にはこうある。

「途中、茶店で食べた鰯の卯の花鮨はうまかった」

鰯の卯の花鮨は彼の生まれ故郷山口県の郷土料理で、酢飯のシャリの代わりにおから(うの花)を使うのが特徴。

ネタには酢で締めたイワシを使う。

日本海側の萩市ではイワシの代わりにヒメジやアジなどを使うこともあるそうな。

私も毎年一度は山口に行くので、この鰯の卯の花鮨、次は必ず食べてみなくては。


3:イワシの俳句


これだけ鰯好きな山頭火だが、生涯にイワシを詠んだのはたった四句に過ぎない。

・茄子を鰯に代へてみんなでうまがつている

・鰯さいても誕生日

・そこらあるけば大根煮えるにほひ鰯焼くにほひ

・雪ふりつもる鰯を焼く


鰯さいても誕生日

これは福岡県田川市で迎えた昭和5年(1930年)12月3日、自分の48歳の誕生日に詠んだ句だ。

その日の日記にはこう書いている。

「今日は第四十八回目の誕生日だった、去年は別府付近で自祝したが、今年は次郎さんが鰯を買って酒を出して下さった」

その時は句友の次郎さんのお宅に四泊もさせてもらい、連日酒をふるまわれ、例によって随分と厄介をかけた。

次郎さん宅には猫が一匹いて、山頭火はこう書いている。

「猫が一匹飼うてある、きいという、駆け込み猫で、おとなしい猫だ、あまりおとなしいので低脳かと思ったら、鼠を捕ることはなかなかうまいそうな、能ある猫は爪をかくす、なるほどそうかも知れない」


これで思い出したが、昭和の時代、国会答弁で

「能ある猫はヘソを隠す」

と言って議場の失笑をかった、その人柄が多くの人から愛された総理大臣がいた。



4:広島のイワシ


種田山頭火の生まれは山口県だが、隣の広島県ではこいわしを刺身で食べるのをとりわけ喜ぶ。

カタクチイワシのことを広島では「こいわし」と呼ぶ。

包丁を使わず手だけで頭と腸をとり、真水で洗う。徹底的に洗ってイワシの鱗と臭みを取るのだ。

「七たび洗えば鯛の味」と広島の人は言い慣わす。

七回も洗う手間をかけてやっと鯛の味になるのなら最初から鯛を食べたほうが効率がよかろうにと言う人もいるが、いずれにしろ十分に洗ったそれを生姜を薬味にして食べるのである。

包丁を使わなくてもよいので、男子は厨房に入るべしと決意したばかりのお父さんにだって、失敗なく出来る料理だ。

目にも涼しげな一皿で、広島人の夏の食卓には欠かせないものである。

ちなみに、こいわしは天ぷらにしてもうまい。

広島は西条の酒で、しかも願わくば亀齢で、山頭火をあの世から呼び戻して一杯やりたくなること請け合いの一皿である。


ところで、何故、酒ならば亀齢かというと、

昭和9年12月3日の山頭火の日記にこうあるからだ。

「樹明君招待、酒は亀齢、下物は茹葱と小鰕、ほうれん草のおひたし、鰯の甘漬」

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