第6話 山頭火、ウニを食べる
昭和9年5月13日の山頭火の日記より。
「十時の汽車で黎々火が来てくれた、お土産は鮹壺雲丹、巻鮨(お手製だからひとしおうれしい)。その雲丹を蛙堂老と青蓋人君とに贈った、こういうはがきといっしょに、―下関名産の鮹壺雲丹をおくります、名物にうまいものなしといいますが、これはなかなかうまくて、初夏の食卓に磯の香が、いや玄海の波音が聞えるかも知れません」
下関の長府在住の若い俳人、近木黎々火がお土産にくれた鮹壺雲丹がよほど気に入ったのか昭和10年5月4日、その近木黎々火宛ての書簡にこう書き送っている。
「御来庵の節、蛸壺雲丹二瓶御持参を願います、代金は一時お立換を願います」
(ちょっと一言)
1:下関名産の鮹壺雲丹?
(鮹壺雲丹なるものがあるならどうしても食べてみなくては)
そう思った私は、随分と昔のことになるが、山口県雲丹製造工業協同組合に電話をかけて尋ねてみた。
ご年配の方と思われる親切な男性が私の蒙を啓いて下さった。
お話はこうであった。
「鮹壺雲丹という名は聞いた事はあるが、見たことはない。今はその名の商品はない。おそらく蛸壺の形をした瓶に入った粒塩雲丹ではなかったろうか。
昭和9年という時代からして焼酎漬けの雲丹であった可能性もある。
練り雲丹ではなかったろう」
鮹壺雲丹を口にする夢は破れたが、せめて粒塩雲丹を温飯にのせて、山頭火の言う「玄海の波音」を聴いてみるとしよう。
2:一句だけだが山頭火にウニを詠んだ句がある。
「ぬくめしに雲丹をぬり向きあつてゐる」
昭和8年7月5日の日記にある句である。
この日、彼は前年の秋、山口の小郡に結んだ其中庵にいる。
その3日前の7月2日、山頭火は焼酎と油揚餅と梅酢との中毒で七転八倒し、3日間寝込んだ。腐ったものを食べても平気だと豪語する山頭火にしては異例の事だ。
しかしそこは俳人山頭火。転んでもタダでは起きない。
こんな句を日記に残している。
「腹がいたいみんみん蝉」
この句に、ミンミンゼミが登場する理由は、腹痛で床に臥せっていた山頭火が7月4日の日記に書いた次の文章が種明かしをしてくれる。
「からりと晴れた夕空、はじめてみんみん蝉が鳴いた」
その翌日の7月5日、すっかり本来の健やかな胃袋を取り戻した山頭火は、遊びに来た句友の樹明君に、到来ものの雲丹を振舞った。雲丹が大の好物である樹明君は温飯にぬってうまそうに食べた。
その情景を詠んだのが「ぬくめしに雲丹をぬり向きあつてゐる」の句である。
中学、高校時代を下関の長府で過ごした私も、当時、瓶入りの練りうにをよく食べた記憶がある。山頭火のようにぬく飯にのせて食べるのが本流だが、それに加えて私は、焼いた餅に練りうにを塗り、それを焼き海苔で巻いて食べるのを、冬の贅沢な楽しみにしている。
3:ウニには漢字で四つの書き方がある。
・海栗・・・生きてる状態のウニ
・海丹・・・生きてる状態のウニ
・海胆・・・殻から取り出した食べる部分
・雲丹・・・加工した状態(練りウニなど)のウニ
食いしん坊の山頭火が使う漢字は勿論「雲丹」だけだ。
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