第5話 山頭火、イカを食べる
昭和7年4月12日の山頭火の日記より
「久しぶりに朝酒を味う、(略)しとしとと降る、まったく春雨だ、その音に聴き入りながらちびりちびりと飲む、水烏賊一尾五銭、生卵弐個五銭、酒二合十五銭の散財だ、うれしかった」
(ちょっと一言)
1: この日、山頭火は現在の福岡県糸島市深江の久保屋という木賃宿に前日に続いて泊まっている。
水イカ、生卵、酒を山頭火が早朝から買いに行ったとは考えにくいので、これは宿で出してもらったものだろう。
水烏賊はアオリイカの別称。九州は水イカの産地である。
2: 水イカは刺身か天ぷらにして食べる場合が多いようだ。一夜干しもうまい。この日、山頭火は水イカの刺身をつまみにして、朝酒を「ちびりちびり」と飲んだのだろうと私は想像する。
二個五銭の生卵はどうしたのだろう?
行乞で1日10里(約40キロ)を歩くこともある体力自慢の山頭火だが、映画のロッキーではないので、割った卵をそのまま飲むことはないだろう。
酒のつまみにはなりにくいので、朝酒をたまごかけ飯でしめたのだろうか。
日本で初めてたまごかけ飯を食べたといわれているのが、美作国久米北条郡垪和村(現岡山県久米郡美咲町)出身で、日本初の従軍記者であり、実業家、教育家としても知られる岸田吟香(1833年 - 1905年)。
吟香を紹介した1927年発行の雑誌『彗星江戸生活研究』に「温飯を盛らせて鶏卵3、4個を割り、焼き塩とトウガラシを振りかけて食べた」との記述が日本で卵かけ飯が広まるきっかけと言われている。
1927年とは昭和でいえば2年の事。
山頭火が朝酒をちびりちびりと飲んだこの日から五年前だ。
私はしょうゆのたまごかけ飯しか食べたことはないが、元祖は焼き塩のそれだったのだ。
焼き塩とトウガラシを振りかけたたまごかけ飯に、この日山頭火は舌鼓を打ったと私は勝手に想像している。
3: 山頭火にはイカを詠んだ句がある。
昭和7年7月2日の山頭火の日記に書かれている次の句。
朝の烏賊のうつくしくならべられ(魚売)
このころ、山頭火は山口県下関市の川棚温泉の木下旅館に長期滞在している。
句の末尾に(魚売)とあるので、朝方やって来た移動販売の魚屋の屋台の情景を詠んだ句だろうか。
下関は私が中学高校時代を過ごした懐かしい街だ。
4: 前日の4月11日の日記に、彼は酒についてこう述懐している
「今夜はずいぶん飲んだ(緑平兄の供養で)、しかし寝られないので、いろいろの事を考える(略)。酒は嗜好品である、それが必需品となっては助からない、酒が生活内容の主となっては呪はれてあれ」
そして一夜明けた4月12日、山頭火は前夜の反省を忘れて朝酒をやったわけだが、彼は朝酒について、昭和8年8月6日の日記にこう書いている。
「ああ朝酒のうまさ、このうまさが解らなければ、酒好きは徹していない」
山頭火にそう言われてその気になって、「ああ朝酒のうまさ、このうまさ」が解ってしまうとどのような未来が待っているのか、それは山頭火の人生を見ればおよその見当はつく。
朝酒は「そのうまさ」が解るとやばい、禁断の果実であろうと私には思われる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます