第29話 夏バカンス スイス
※この小説は「レーサー」「レーサー2 女性ライダーMoto3挑戦」のつづきです。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、また新しいページで再開した次第です。前段を読んでいない方は「カクヨム 飛鳥竜二」で検索していただき、読んでいただければと思います。
ドイツGPを終えて、ザルツブルグにもどってくると翌日から監督の特訓が始まった。1週間はショートコースでモタードの特訓だった。足をだしてコーナリングをしたり、ドリフトしたりする練習だった。こうすることによって、マシンの挙動がおかしくなった時のコントロールを体に覚えこませるのだ。
7日目、監督のジュン川口が昔のバイクに乗ってきた。H社のCB750だ。20年以上前のバイクだ。
「いいんですか? ライバル社のマシンなんかに乗って?」
と聞くと、
「コレクションのひとつだよ。わが家にはBM社やY社のクラシックバイクもあるよ。ハインツだって、BM社のクラシックバイクに乗っているよ。乗ってみるかい?」
「えー、私がですか? 大型免許もってないですよ」
「サーキットで走るのに免許はいらないよ」
「いいんですか? コケるかもしれませんよ」
「その時は給料から引いとくよ」
「エー、それはいやだな」
と言いながらも、またいでみた。私は監督より足が長いので、足つきは悪くない。ドドドッと昔のバイクらしいいい音がする。そこでショートコースを走らせてみる。だんだんスピードをあげてみる。ドリフトまではいかないが、マシンの倒し込みは結構できる。低速コーナーでも思ったより小回りができる。加速はそこそこだが、大型バイクもおもしろいと思った。もどってくると
「俺よりうまいじゃないか。センスいいな」
「結構おもしろいですね。いつも回転をあげて走っているので、低速トルクを感じるバイクもいいですね」
「インジェクション使ってないからね。キャブ車に乗るのは初めてか?」
「これキャブレターなんですか? どおりで加速感が違うと思いました」
「だろ、旧車好きにはたまらんぞ」
ということで、特訓終了。明日から10日間のバカンスとなった。
「桃佳はどこでバカンスを過ごすんだ?」
「澄江さんとスイスに行きます」
「スイスか、いいな。オレの思い出の場所だ。それでグリンデルワルド、ツェルマットどっちに行くの?」
「澄江さんはチナールって言ってました」
「チナールか、マッターホルンの裏側だな。それじゃ、新田次郎の「アルプスの谷・アルプスの村」を読んでから行くといいよ。チナールに滞在した時のエッセイだから」
と言われたが、その時は聞き流してしまった。チナールというところがどんなところかイメージできなかったからだ。
翌日、澄江さんのマイカーで出発。30年前のBM車だ。
「大丈夫ですか? このクルマ」
「大丈夫よ。BM車は頑丈だし、スイスはアウトバーンないからね」
という話だったが、澄江さんは150kmほどのスピードでふっとばす。バイクには乗らないが結構飛ばし屋だ。MotoGP好きだが、バイクは好きじゃないという変な人だ。
スイスに入ると、道の両側に背の高い樹木が並んでいる。以前、何かの映画でみた風景だ。
「これ何の木ですか?」
と聞くと、
「モミジよ」
とそっけない答えが返ってきた。加えて
「日本のモミジとは種類が違うかな。いわばスイスモミジね。秋になると色づいてきれいだけど、そんな暇はないね。MotoGPのカレンダーからスイスGPがなくなって寂しくなったからね」
「スイスGPって、高速コースなんでしょ」
「公道利用のサーキットだからね。直線が2kmもあったのよ。事故が相次いで閉鎖されたのは残念ね。監督の初優勝の地がスイスGPだったんだよ」
「それで思い出の地と言っていたのね」
「優勝だけじゃないと思うよ」
「それ、どういうことですか?」
「結婚前に奥さんと仲良くなったのが、マッターホルンの見えるホテルだったらしいよ」
「そうなんですか?」
「奥さんに聞いたんだけど、マッターホルンのモルゲンロートを見た日に人生が変わったって言っていたから、きっとその日だと思うよ」
「うわー、GP優勝とラブラブが同じスイスとは・・監督もやるもんだね」
「それまで付き合いは4年ぐらい続いていたみたい。もっぱら奥さんの方がおっかけをしていたみたいだけどね」
「それじゃ、奥さんの勝ちだ」
「桃佳さんもそういう人見つけられたらいいね」
「澄江さんの方が先でしょ」
「エイミーは決まった人がいるみたいね」
「やはりそう思いますか。相手はジムさんだと思います」
「TR社のジム・フランク?」
「前はいっしょのチームだったんです」
「それでか・・・私たちと付き合いが悪くなったのは・・私にプライベートのことを頼むことがほとんどなくなったしね」
と、女同士の話をしながら目的地のチナールに近づいてきた。モナコのラリーコースみたいなワインディングロードを抜ける。片側が崖、反対側は石の壁という道である。そういう道を澄江さんは時速50kmぐらいで走っていく。そこを地元車が追い抜いていった。ショートストレートで加速して一気に抜いていった。
「わぉ! 危ないな」
と、さすがの澄江さんも驚いている。
ザルツブルグからおよそ500kmでチナールへ着いた。山に囲まれた谷合いの村にお城みたいなホテルが建っている。
「このホテルに泊まるわよ」
「ずいぶん、クラシックなホテルですね」
「まぁね。かの新田次郎も泊まったホテルよ」
「小説家の? するとアルプスの谷・アルプスの村が書かれたホテルですか?」
「そうよ。その本を読んで、来たくなったの。ここに本当のスイスがあると思ったから。少なくとも日本人はめったに来ないわよ。来るのはヨーロッパ在住の日本人ぐらいかな」
ホテルの中に入ると、少しカビくさい感じがした。天井が低くて、年代を感じる造りだ。でも、部屋の中はリフォームされていて快適だ。エアコンはない。窓を開けると涼しい風が入ってくる。周りが山だらけなので、どの部屋からもマウンテンビューだ。
「あれがチナールロートホルン。標高4221m。あそこを越えるとマッターホルンよ」
「富士山より高いんですね。ところで、この1週間何をして過ごすんですか?」
「今さら、それを聞くわけ? まいったな。桃佳さんはバカンスの意味がわかっていないからな。バカンスはのんびりすることなんだけど・・」
「のんびり昼寝だけですか?」
「そういうわけにもいかないか? でも、その日の朝に決めるでいいと思うよ。できるのは水泳、ハイキング、乗馬、サイクリング、それに射撃というのもあるらしいよ。一度はエーデルワイスを見にハイキングに行きたいわね」
「自然のエーデルワイスが見られるんですか?」
「それは厳しいみたい。でも、山小屋でエーデルワイスを育てているところがあるみたいだよ」
「エーデルワイスか、見てみたいですね」
「山小屋まで1時間は歩くよ。大丈夫?」
「大丈夫ですよ。この前のザクセンリンクでも1時間歩きましたから」
「サーキットとはまるで違うと思うけど・・・」
夕方の散歩をして、7時からディナータイム。食事込みの料金なので、選ぶのはワインだけ。アルコールは別料金だ。今日のメニューはラザニア。麺料理かと思ったが、肉がたっぷりで肉料理かと思う量だった。スイスの白ワインはすっきりした味でおいしかった。
2日目、いつもの時間に目を覚ます。天気は晴れ。朝食時に澄江さんが
「今日は何をする?」
と聞いてきたので、
「やはりエーデルワイスを見たいわね」
「そうくると思った。じゃ、8時に出発ね。ハイキングのチェックをしてね」
クルマで、ふもとの駐車場まで移動する。そこからハイキング開始だ。実際は登山と同じだ。樹木の間の道をゆっくり登る。30分ほどで見晴らしがよくなり、山小屋が見えてきた。でも、見えてからが長い。そこから1時間かかった。
山小屋で休憩。やたらと高いコーヒーを注文する。澄江さんがオーナーにエーデルワイスのことを聞くと、山小屋のすぐ上に咲いているらしい。でも、見るだけという条件つき。防犯カメラで監視しているらしい。
荷物を置いて、そこまで行くと可憐なエーデルワイスが2輪咲いていた。綿毛のようなフワッとした花が微笑んでいるかのように咲き誇っている。なぜか父を思い出してしまった。昨年の夏、ザルツブルグの音楽堂でエーデルワイスを唄った光景を思い出してしまった。父がここに来たら、また歌い出してしまうだろうと思ったら、おかしくなった。
帰り道、山小屋でエーデルワイスの種を購入した。環境が違うと育つとは思わないが、ザルツブルグで育ててみようと思う。
駐車場にもどると、バイクの音がした。駐車場の隅にオフロードのコースがある。ラリークロスで2台で並走したり、クロスしたりするミニコースだ。レンタルのバギーカーやバイクがある。バイクのエンジン音を聞くと、じっとしていられない。
「澄江さん、やろうよ」
と渋る澄江さんをたきつけてレンタルバイクにまたがった。100ccの子ども用のマシンだ。変速ギアがないATのマシンだ。ヘルメットやプロテクターをつけて、いざ出陣。澄江さんも同様だ。
「澄江さん、さまになっていますよ」
と言うと、澄江さんもその気になってきた。
「ハンディは?」
と澄江さんが聞いてきたので、
「いくらでも」
と応えると、
「じゃあ、1分ちょうだい」
1周2分程度のコースで1分はないと思うが、勝負ではないので
「いいわよ」
ということで、レーススタート。スタートしてしばらく並走だが、澄江さんはスタートで手こずっている。私の独走だ。右コーナーを抜けて、クロスラインで澄江さんを見ると、やっとコーナーに入ったところだった。スタート位置までもどり、コースをクロスして相手のコースに入る。砂利をとばしながらコーナーリングをするのは結構おもしろい。車体が小さいから足をだしてバランスをとる。ギアチェンジがないし、スピードはせいぜい40km程度。子どもにかえった感じでおもしろかった。
フィニッシュすると、30秒後に澄江さんもゴール。
「私の勝ちね」
と澄江さんは勝ち誇っていた。これで彼女のバイク嫌いが少し減るかもしれない。
1週間、プールサイドでカクテルを飲んだり、スタッフに手綱を引かれた馬に乗ったりして、まさにのんびりしたバカンスを過ごした。おもしろかったのは、金曜日に射撃のマッチ(選手権)があり、澄江さんが女性チャンピオンになったことである。夜の表彰式で澄江さんが呼ばれ、メダルをかけられた時に、頬にチュをされた。その時の澄江さんのびっくりした顔がおかしくて思わず笑ってしまった。澄江さんは初めての経験ではないと言っていたが、まさかの場面だったらしい。
チナールでのバカンスを終えて、帰り道テッシュという町に寄った。そこにクルマを停め、電車に乗り換える。目的地はツェルマット。電気自動車でないと入れない。ツェルマットに着くと、ゴルナーグラートへ行く登山電車に乗り換える。そこからマッターホルンが見えた。スクッとそびえたつ山が見事だ。
「これが監督の見た景色なのね」
「モルゲンロートだから朝陽をあびたマッターホルンよね」
「赤いマッターホルン、さぞかしきれいでしょうね」
「でしょうね。新婚旅行で来たら最高だね」
「澄江さん、結婚する気あるんだ」
「いい人がいれば、すぐにでも結婚したいですよ。一人でいるのは寂しいよね」
「そうかな? 変な男の人といるよりは一人の方がいいと思うけどな」
「あら、桃佳さんは独身主義なの?」
「独身主義というわけではないけど、今はバイクが恋人かな」
「桃佳さんは結婚するとしたら、好きな人としたい。それとも好きだと言ってくれる人といっしょになりたい。どっち?」
「それは両想いが一番でしょ」
「そうだけど、きっかけはどっちかということよ。監督は奥さんが積極的で、今は幸せな家庭を築いているでしょ」
「そうね。やはり自分が好きな人といっしょになりたいわね」
「それは不幸の確率が高いわよ。浮気される確率が高くなるからね」
「監督も?」
「あの人は別格。奥さんのジュリアさんにべたぼれだから。ああいう夫婦が理想だよね」
「好きになった人が、私も好きになってくれればいいわけね」
「そのためには男を見る目を養わないとね」
「澄江さんもその途中なんですね」
「いつまで続くかな。二人ともがんばろうね」
と言い合い、いつの日か彼氏といっしょにマッターホルンを見にくることを夢見て帰路についた。
帰ったら後半戦に向けての練習が始まる。彼氏さがしより、今はそっちの方が大事だ。
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