中編

 うたが聞こえる。


 木々がざわめく音に混じって、高く低く旋律が鳴る。耳慣れない言葉だ。私は茂みを掻き分け森の更に奥へと進んだ。せせらぎが近づき、梢の間からちらちらと瞬く水面が見える。沢の岩棚に腰掛けた一組の人影。


妖精の騎士は丘に立ち

角笛を鳴らす 風よ吹け

どどう どどうと 高らかに

私の肩掛けを吹き飛ばす


私の胸にも鳴り響いたのか

誰よりもあなたを愛せると

どどう どどうと 高らかに

私の肩掛けを吹き飛ばす


 一人はインク職人だ。黒く煤けた無骨な指先が、そこから染み出したような黒髪をく。うたっているのは、痩せた背に長い黒髪を垂らし、リュートを抱える男だ。貝色の薄い唇、白い鎖骨が言葉を紡ぐ度にひらひらと上下する。私は木陰で呆然と立ちつくした。裏切られた気持ちだった。一方で暗く興奮してもいた。黄昏の光の中でおぼろに重なり合う輪郭を、美しいとも思ったが、同時にという憎悪が湧いた。あのうたを捧げられるのが? あの髪を梳くのが?


 恥も忘れて修道院に引き返し、悶々と写本などしているうちに、噂が伝わってきた。海峡向こうから流れてきた盲目の吟遊詩人ジョングルールに貴族の奥方か娘かが入れ上げて一悶着有り、追われてこの森に隠れ住むようになったらしい。そもそも男はあの島国で、農民から取り立てられ王の愛妾に躾けられた寵童だったが、関係を煩わしく思うようになった王に戦場へ送られ、目を負傷したのだという。


 私は二人の様子を盗み見るようになった。詩人は潰れた目で、森の中を自在に歩くことができた。インク職人が仕事の手を休めればうたい、自らは近年宮廷での流行りものらしい、花や樹液を使った香油などをつくっているようだった。私の胸の内はより無残にいぶられていったが、世間から追放された男たちの、慎ましやかな交歓のただ一人の証言者であることは、呪わしい優越感となって私に巣喰った。


 それなのに私は森へ引き出された。東の帝国が攻勢を強めており、父の後を継いだが落ちぶれた兄と従兄のバーデン=バーデン伯に、還俗し仕官するよう迫られたのだ。母を同じくする兄は同じ穴の狢だが、従兄のルイは凶暴だった。既にロレーヌ公の下で指揮を任されていた若き伯爵は、才気に満ち人を支配することに長けていた。甲冑も刀剣も無用だ、お前は頭と火薬を使え、と私を森へ連れ出して、射撃や爆破について叩き込まれた。ウィジェーヌ、お前の賢明さは執着の裏返しだ。まるでタールのようにどす黒い生への粘着。我が片腕に相応しい。


 私は銃が苦手だ、今でもそうだが。重い銃身を引きずって森をうろうろとしていたところ、遂に詩人と鉢合わせた。銃声のせいで耳がバカになっていたこともあるだろう。薮を分けて見えない目がこちらを見、緑の指先がこちらをまさぐってくる。火薬の臭いがしたのかもしれない。私は咄嗟に駆け出した。長い黒髪がこぼれ、麗らかな陽光を弾いて揺れる。うたうような声が追いかけてきた。


騎士さま、どうか私をあなたのもとへ

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