LAST

黒い白クマ

LAST

そうして人類は永遠の眠りについた。わずかな希望を、ともすれば犠牲を、ロケットに詰めて。(サナバル・アレイ『アダム-最期の博打-』Bl.102.63)


 人類。つまり第153惑星に生息した生命体の中で、最後に覇権を握っていた生命体。

「やっぱこの星で覇権を握ると隕石で滅亡するんだねぇ」

「恐竜と人類の二ケースで語るな、ラトウェ。どっちも隕石説があるだけだろ」

 ラトウェと呼ばれた青髪の呑気な声に、緑髪が苛立ったように応えた。テーブルには歴史書や学術書から第153惑星を舞台にした小説までを表示したタブレットが並べてある。資料室のタブレットだけでも同期しろよ、と緑髪が悪態をつきながらタブレットを持ち替えた。テーブルに座っているのは四人だが、真面目に文書を読んでいるのは緑髪一人だ。

「教科書的な知識はいいんだよ。最近の発表に人類の記録がないのか探せって」

「学術書に目新しい話は無いよ。これが一番夢があるんだってば」

「フィクションだろ」

「だってもうお堅い文章読むの飽きちゃったんだもーん。ルアリが『アダム』のうちの一人かもしれないって思ったら説明もつくでしょ」

 タブレットを掲げながらラトウェがテーブルに溶けた。頬を膨らませて、緑髪を見上げる。

「人類がラストの祖先じゃないかって説は学術論文にもあるじゃないか、タキフ」

「もし楽園に飛来した人類がいたとしても、とっくに滅亡してる。小説のようにはいかねぇよ」

 緑髪、タキフが鼻を鳴らした。残りの二人が顔を見合わせて、そのうちの茶髪の方が声を上げる。

「いいよタキフさん、そんな頑張んなくても。俺今困ってねーし」

「そーだよキョウダイ、ルアリがここにいること自体は何調べても変わんないしさ」

 隣の黄色髪も首を数回縦に振った。タキフが眉を寄せる。

「それはルアリが今健康優良児だから言えること!病気でもしたらどうすんだ、ナクル」

「うぇ、その時はその時だよ」

「無責任なことを言うな」

 タキフがぺしりと黄色髪を叩いた。タキフをキョウダイと呼んだ黄色髪、ナクルが不満げにタキフを見る。その横で茶髪が面倒くさ、と顔に貼り付けて背もたれに沈んだ。

 この茶髪がルアリ、どうやら話題の中心にいる者らしい。

 ルアリはちょっと変わった見目をしていた。肌に色があるし、髪色も暗いし、背が小さくて体つきががっしりしている。一般体型の三人に比べれば違いは明白だ。それに何より、耳が小さくて丸い。三人と違って、髪にほとんど隠れている。

 ルアリは背もたれの反発で遊ぶように上半身をバウンドさせながら、脱力しきった声で抗議した。

「いいだろ、今元気なんだから」

「君が一般のラストじゃない事はもう分かっているんだ。普通の医療が通用しなくたって驚きはしない」

「普通の病院で困ってない」

「結果論だろ?」

 そう言われてしまえば言い返すことも出来ず、ルアリは口を横に結んだ。それを見てラトウェがご機嫌を取るようにルアリを撫で回す。

「ま、検査しなくてもこんなに手足短くて耳のちっちゃいキャラクターみたいな可愛さを持った子がいるなんて信じられないから、自明のことではあったけどね」

「ラトウェさんはいつもそう言うな」

「だってホントにキュートなんだもん!どこから見ても可愛い!」

「お褒めいただきどうも。見てくれはともかく、手足が長い方が便利だと思うけどね」

 耳も小さいから音も拾いにくいし、とルアリは不満げに言う。ラトウェが首を横に振った。

「確かに手足長いと便利だけどさぁ。僕なんか長すぎてちょっと気持ち悪いって言われるんだからね!どうせ可愛くないよーだ」

「大丈夫大丈夫、ラトウェさんは中身が可愛い」

「スタイルいい上に良い子ときた!」

 ラトウェがルアリの髪の毛をわっしゃわしゃ撫でるのを横目に、タキフが溜息をつく。

「ルアリが人類かどうかってことも気になるけど、そもそもルアリはもっと自分のことを調べた方がいい。君の為にもな」

 タキフの小言にナクルが片眉を上げた。

「キョウダイが自分の研究進めたいだけじゃな、痛っ!叩くことないだろぉ」

 もう一発食らったナクルを見て笑ってから、ルアリはひらひらと手を振る。

「分かってるよ。だから大人しく検査に付き合ってるだろ」

「本当はここに住んで欲しいんだけどな。ここからの方が学校も近い」

「やだよ、卒業までキュマロさん達と住みてぇもん。呼ばれりゃちゃんと来るよ。確かにタキフさんの言う通り、病気でもしたらキュマロさん達に迷惑かかるしさ」

 ピーッ、と高い音が聞こえた。あぁもうこんな時間か、とタキフが立ち上がる。

「じゃあラトウェ、二人を途中まで送ってきてくれ。俺面倒みなきゃいけない後輩の論文があるんだ」

「キョウダイ、また泊まり?」

「しゃーねぇだろ」

 皆資料を充電器に返し、荷物を掴む。ルアリは耳あての付いた薄手の帽子をすっぽり被った。揃って部屋を出てタキフと別れ、三人は建物の出口に向かって歩き出す。ラトウェとナクルの一歩はルアリの二歩。響く足音のリズムはバラバラだ。

「キョウダイ最近泊まりばっかだなー」

 ナクルが何気なく呟いた言葉に、ラトウェがごめんねぇと返した。

「学会が近いのもあって忙しくて。僕らもう中堅だから、後輩の面倒も見なきゃだし」

「二人が忙しいのって俺と会ったせい?」

 ルアリの疑問にナクルが首を捻る。先を歩くラトウェがちょっと眉を寄せた。

「どうだろ?まぁ、ルアリの話は滅多にない新しい情報だったのは確か?だよねぇ、ラトウェ」

「でもなんだかんだ学会前はいつも忙しいからなぁ」

「なんか、忙しくさせちまったなら悪ぃことしたかなって」

 ナクルがルアリの言葉を聞いて、笑いながらルアリの肩を叩いた。

「いや、君をキョウダイに紹介したのは僕だし。むしろこんなに時間取らせちゃって悪いことをしたよ」

「そうだよぉ。それに調べることがあるってのは学者的には嬉しいことなんだから」

「なら、いいけど」

 建物の外に出る。楽園外惑星研究所の看板の前を通って町の方に降りるエスカレータに乗った。学校や研究所は得てして辺鄙な場所にある。

「そういやさ、今日ラトウェが話してた小説って去年の何とか賞でしょ。面白いの、あれ」

 読んだことないや、とエスカレータの手摺に寄りかかりながら尋ねたナクルに、興味があるのかないのか、とラトウェが苦笑いを浮かべた。

「あんま小説読まないからなぁ」

「俺は興味あるよ。今まで人類なんて言葉自体知らなかったけど、ここまで聞かされると興味出てきた」

「でもあれはフィクションなんでしょ。ファンタジーって紹介されてたよ」

 エスカレータは長い。この時間に研究所に出入りする者は少ないらしい。ガラス張りのエスカレータエリアには、見える限り三人しか見当たらなかった。

「でも研究に基づいたフィクションなんだ。無茶な話じゃないよ」

「へぇ?てっきり完全なファンタジーだと思ってた。ラトウェはサナバル・アレイのファンなの?」

「学術的興味は覚えるね。学問の世界ではやや受け入れ難い飛躍的発想が許されるのはフィクションならでは。土台のしっかりした突飛ってのは面白いよ」

「実際俺みたいなのがいる訳だし?」

「そうそう。事実は小説よりも奇なり!君が本当にアダムのような存在かもしれない。検討価値は絶対にあるよ」

 ふぅんと返事をしたルアリの横でナクルがでかい欠伸をした。やっぱり興味無いんじゃないの、とラトウェが笑う。

「有り得るのかね、一人だけ何千年も時間がずれたまま宇宙を漂うなんて」

「相対性理論にはロマンがあるんだよ」

 ルアリはもう一度ふぅん、と気のない返事をした。


突然現れた飛来物に収まっていたのは、ラストによく似た、それでいて確かにラストとは異なる赤子であった。(同書、Bl.129.71)


「辛気臭ぇ顔してるな!」

「ただいまメヤバル」

 ドアを開けるなり飛んできた明るい声に、ルアリは片眉を上げて応えた。 声の主をメヤバル、と呼んで靴を脱ぐ。

「今ハミクが夕飯作ってる」

「キュマロさんは?」

「部屋。降りてくるだろ。学校はどうだった?」

「いつも通りだよ。あ、読解のテスト満点だったぞ」

「流石だな!」

「どーも」

 頭を撫でられれば、帽子の耳あてがパタパタ揺れた。笑いながらその手を払って、ルアリはエレベータを上がって自分の部屋に向かう。

 帽子と上着を取ってポールハンガーに引っ掛け、鞄の中身を机に広げる。水筒は下のキッチンに持っていくから横に除け、宿題をやるために教材用のタブレットとノートパッドは机の上に。水筒を掴んで、ルアリは部屋を出てまたエレベータに乗った。

「ハミクさん、ただいま。夕飯あと何分?」

「お帰りルアリ!あと十分くらい待ってな」

「やることある?」

「腹空かせといて!」

「りょーかい」

 キッチンに立っていたハミクが笑って手を振った。戦力外通告されたルアリはキッチンに出した頭をひっこめる。

 リビングに走るルアリを見送るハミクも、走ってきたルアリを受け止めたメヤバルも、ルアリには似ていない。先程の三人と同じように、二人ともルアリよりも長身で細身。ハミクの肩にかかった白髪も、メヤバルの長い緑髪も、やはりルアリの髪よりずっと明るい光を通す色をしていた。肌に色はなく、耳は大きい。一般的なラストの見た目だ。

 ルアリは自分の容姿が他のラストと違うことを理解していた。しかし今までそれに疑問を覚えたことはなかった。皆と違う理由を、拾われ子だからだと結論づけていたからだ。

 普通、赤子というのは施設のガラス容器でつくられるか、ごく稀に自然生殖されて施設に渡される。なんにせよ合格した希望家庭に渡されるまで、数ヶ月は皆施設にいるはずなのだ。

 ルアリは違う。

 施設にいたことなどない捨て子だ。この管理社会に捨て子というと首を傾げる者もいるだろう。そもそも施設で生まれる赤子を誰がどうすれば外に放りだすことになるのか。家庭に渡された後ならば、一年毎の確認ですぐにバレように、と。

 一般的でなくとも、ラストにも自然生殖機能が残っている者はいる。そしてその中には、生まれた赤子を施設に渡すことを嫌がる者もいた。こっそり育てるならまだしも、いやそれも充分色々と不便だが。自然生殖自体を嫌い他者の目につかぬように捨てる者も、稀にいる。

 物心ついた時からルアリは自分が施設から来たのではなく拾われたのだと知っていた。キュマロの管轄する管理林で果樹園に入り込んでいたところをお縄になったらしい。探していた謎の害獣が子供だったとはキュマロも思わなかっただろう。

 そんな出自を知っていたから、ルアリは自分の容姿の理由はてっきり赤子の時に外で暮らしていたからだと思っていた。栄養不足で小さめに、外をウロウロしていたせいで色素が強くなったのだろうと。ただ唯一丸い耳だけは説明がつかぬとは思っていたが。

「おかえりなさい」

 かかった声に、ルアリは思考を一旦脇に除けて振り返った。

「研究所の皆さんはお変わりなかったですか」

「おう」

「……何度も繰り返すようになりますが、辛く感じればお断りしていいんですからね」

「大丈夫だよキュマロさん。ちょっとめんどくせーけど、俺も気になるし。ほら、病気とかした時に自分がなんなのか分かってれば助かるかもしれねーだろ」

 タキフの受け売りを伝えれば、キュマロと呼ばれたラストは少し頬を上げた。

「そうですか。それは、大切なことですね」

「ま、無理して長生きしなくてもいいけどね。ルアリが好きな様に生きてくれれば俺は嬉しいよ」

 キッチンから聞こえたハミクの言葉に、メヤバルが違いねぇやとルアリの頭を撫でた。

「協力出来ることがあれば言ってくださいね」

「つってもなぁ。詳しいことはあんま覚えちゃいねぇんだよな」

 もしもルアリの出生についてのヒントが存在したとすれば、それを見たのは赤子を拾った若かりし頃のこの三人だけだ。ルアリは言葉こそ喋らなかったとはいえ、拾われた時にはもう自分の足でよたよたと歩いていたと言う。近くに何が落ちていたとか、そういうことは一切なかったと昔から聞いていた。

「例えば着てた服とかさ。そういうのなかったのか、とはタキフさんに聞かれた」

「あ、じゃあアレもう見せていいんじゃない?服のポッケにあったメッセージカード」

「あぁ!ありましたねぇ、それ」

 取ってくるとメヤバルがリビングを出る。

「見たことの無い文字でしたが、きっと貴方への手紙だろうと取っておいたんです。貴方が大きくなったら渡そうと話していたのですが、タイミングを逃していました」

「へぇ、初めて聞いたな」

 戻ってきたメヤバルから小さな封筒を渡され、ルアリは瞬いた。封はされておらず、開ければ中からしっかりしたカードが出てくる。

「紙?」

「しかも直書き!珍しいよね」

 見知らぬ記号で、短く何かが書き付けられている。自分が持っていたカードとなれば、例えルアリが人類と証明することにはならずとも自分を捨てた誰かのメッセージは分かるのかもしれない。

「ありがと。明日タキフさん達に渡してくる」

 壊れ物のようにそれをそっと持って、ルアリは三人に頷いた。


確かに人類が継続などを望まなければ、アダムの苦労は生まれなかった。一方でもし数多の『アダム』達がいなければ、このラスト達の世界は有り得なかったのだ。(同書、Bl.321.354)


 人類。かつて第153惑星に生息した生命体で、一説にはここ楽園で覇権を握る生命体ラストの祖先の一つ。

「楽園に飛来した人類がいたとするには、150番台の惑星は遠過ぎるってのが主流な説だね。他の祖先候補はもっと近くの惑星だし」

 ルアリの机に溶けたナクルが言う。ルアリの前に座るナクルの椅子は、完全にルアリの方に向いていた。目の前にある黄色髪を弄りながら、ルアリが感心したように目を細める。

「詳しいな」

「家に惑星学の本が山ほどあるからねぇ」

 カードをタキフとラトウェに渡した日から、暫くは研究所に行ってない。二人は今までに取ったデータとメッセージカードの解読に忙しいそうだ。だから二人は至っていつも通りの学校生活を送っていた。

 いつも通り。つまりナクルとルアリが同じクラスになったばかりの頃と同じ過ごし方。学校に行き、勉強して、好きに遊んで、帰る。

「ラストが150番台の惑星に飛行出来た時の技術と、第153惑星に残ってた文明痕と差がありすぎるとか。でも第153惑星ってほぼ焼け野原だったから、遺跡自体の解釈も分かれるみたい」

「頭痛くなってきた。やっぱ分かんねーわ、惑星学」

「そんなことより次の数学のテストの方が問題じゃない?」

「それはそんな怖くねーけど」

 今回の範囲、そんな難しくねぇよとルアリがタブレットを指で弾いた。ナクルが顔を顰める。

「数学好きなんだけどさ、成績は出ないんだよ」

「俺は別に好きではないな。得意だけど」

「僕好きだよ、答え明白で」

「お前読解と論述の成績ビビるほど悪ぃもんな」

「うるさぁい」

 ナクルが腕を伸ばしてルアリの頬をつまんだ。ルアリが笑う。

「答えがない方が面白いぜ。数学にしろ、新しい解き方を探すとか、何かつくる方が面白い」

「柔軟思考ってやつが僕は苦手なんだ。キョウダイにも言われた。歴史とかほんっと嫌い、昔のことなのに何か発見されるたび覆るんだもん」

「タキフさん達の研究も歴史学みてぇなもんだろ。惑星学の中の生物学だっけ」

 ルアリは話しながらナクルの頭の上でタブレットをスワイプする。

「生物学ていうか、楽園外生命体学」

「それも苦手なのか?本は読むのに」

「読むから嫌いなの、憶測が多くて。切れ切れの文書や惑星の探査機から送られる画質の悪い焼け野原と向き合う学問でしょ」

「それ惑星学者と考古学者と歴史学者に聞かせるなよ。殴られるぞ」

「キョウダイに言って殴られたことあるよ」

「遅かったか」

 ルアリはちょっと考え込むように視線を泳がした。

「まぁ、余白があることも込みで面白いんじゃねぇの。例のサナバル・アレイの小説だって、その余白から生まれたんだろうし」

「あー、ラトウェがそんなこと言ってたね」

 会話は一度切れる。鳴ったチャイムに教室が騒がしくなって、皆がバタバタと着席した。ルアリがひとつ大きく伸びをする。

「今日のテストって結果すぐ出んだっけ?」

「数学はすぐでしょ、記述ないと思うよ」

「じゃ負けた方の奢りで駅前のヤシムでパフェ食おうぜ」

「うっわ、僕が苦手だって言ってる教科でだけそういうこと言う」

 眉をひそめたナクルに、ルアリが片眉を上げて笑う。

「自信ねぇの?」

「はーっ!?ありますが!?ナクル君にかかれば君なんてひと捻りですが!?」

 ルアリのやっすい挑発に乗ってナクルが叫ぶ。ケラケラ笑いながら、ほら前向けよとルアリは腕を振った。


隕石が衝突する。それは、決定事項であった。軌道を逸らす試みは尽く失敗した。だからじっと隕石を見つめてその日を待つよりも、多くの人類は見て見ぬふりを選ぶことにしたのだ。(同書、Bl.38.12)


「何読んでんの?」

「あのー、何とか賞取ったやつ。ラトウェさんが言ってた」

 放課後。ナクル奢りのパフェを頬張りながら、ルアリはタブレットをスワイプする。ナクルは数学のテストの直しを開いたタブレットをつつき回しながら、ルアリの顔を見た。

「おもろい?」

「んー、まぁ。思ったより普通に小説だった」

 サナバル・アレイの三作目の長編小説、『アダム-最期の博打-』。アダム書簡と呼ばれる実在の文書を元に書かれた物語だ。

 第153惑星に隕石が衝突する直前に一人の人類が赤子同然の子供を含んだ数人を宇宙へ送り出す一章。その一部が楽園に辿りつきラストへと進化した後、操作用知能の設定ミスで遠回りをして現代の楽園に墜落した人類の子供アダムが成長するまでを描いた二章と三章。この三つの章からなる作品である。

 帽子の耳あてを弄りながら、二章の途中に目を滑らせる。何気ない様子でルアリは口を開いた。

「なぁナクル。もし俺がマジで『アダム』だったら、俺どうなんの?」

「え?どう……どうなるって?」

「だってあれでしょ。人類とか、ザイラッフ保護区のバニラみてぇなもんでしょ」

「珍獣?」

「そう」

 少し前に人気を博した保護区のアイドルを思い返しながらルアリが問う。ナクルはしばし黙ってパフェをつついた。

「まー……バニラは……動物でしょ」

「うーん」

「ルアリは……ラスト……でーはないのかもしれないけどぉ……」

 ナクルと同じようにパフェをつつきながら、ルアリはボソッと呟いた。

「今、困ってねーからさ。今がマズいとしても、なんか……」

 続く言葉はない。再びの沈黙。破ったのは通知音だった。

「あ、キョウダイから」

「ん?」

「明日研究所来られるかって」

 ルアリはひとつ頷いた。行けると言える気持ちではなかったが、行けないと言う正当な理由も思いつかなかった。


アダム書簡は、人類の滅亡を避けるために子供を含む数名の若者「アダム」を自動操縦宇宙船に乗せ、居住可能と推測された星に向けて送り出すことを提案したとされるメールデータである。この計画が実行されたか否かについては学説ごとに見解が異なる。使用された言語2が解読途中であること、データ欠損により復元不可能な箇所が多いことから書簡そのものの解釈も分かれている。なおアダムとは、第153惑星で広く信仰されていた宗教が教典で人類の祖としている人類である。新天地で人類の祖先となることを願い、飛行者をアダムと呼んだと推測される。 (モユ・サミ「アダム書簡解読の現状と解釈について」『惑星学会論文誌』Bl.56.6)


「凄いことだぜ、ラトウェ!本当にルアリは人類なのかもしれない!」

「う、ん。そう、そうだね。凄いや、こんなこと……あるんだ……」

 ルアリに渡された手書きのメッセージカードに書かれた文字が解析途中の第153惑星言語2と殆ど一致することが分かった、と解析チームからのメールがタキフの元に届いた。それを嬉しそうなタキフに告げられて、ラトウェは呆然とそのメールを眺める。

「今ならまだ間に合う。学会に発表するのはこっちにしよう。勿論、これが本当に第153惑星の物だってのは成分鑑定に……」

「待ってタキフ!」

 はしゃぐ研究仲間の肩を掴んで、ラトウェが叫んだ。タキフが驚いて、目を瞬かせる。

「は、発表は、やめた方が、いいんじゃない」

「どうしてだよ?発表すればルアリの研究に他の学者の知恵も借りられるかもしれない。あの子も自分のことを知るチャンスが、」

「タキフ、君、分かってないよ」

 ラトウェは震える声で続けた。ずっと引っかかっていた、けれどまだ問題になるのは先のことと決めつけて、見て見ぬふりをしてきたこと。突然目の前に突き出されたそれを、ラトウェは必死にタキフにも見えるように光の元に差し出す。

「今この研究所がどれほど注目されているか分かっているのかい?あの小説が賞を取ったことで、第153惑星は学者だけのものじゃなくなったんだ。注目がある中でルアリを『人類』と発表したら……ルアリはどうなるの?」

 ラトウェの言葉に、タキフは言葉を返せなかった。

 ナクルがルアリを研究所に連れてきたあの時から、タキフはルアリの為にも必要なことをしていると信じて疑っていなかった。

 まだ分からない。ただ、カードの言語が、メッセージが、明らかになっただけだ。ルアリ本人が人類かなんて。だから他に助けを求める意味でも、発表の必要があると。本当に?

「黙って調べを進めることも出来るんだ。まだ君の話を知っている者は限られているから……勿論、時間は余分にかかるかもしれないけれど……」

 翌日。メッセージを受けて研究所に来たルアリは、耳あてを手慰みながら、歯切れの悪いタキフの言葉を黙って聞いていた。一通り説明を聞いてから、ルアリは口を開く。

「あのカード、さ。なんて書いてあったの」

 タキフが手元のタブレットに目線を落とした。何千年も前の誰かからのメッセージを読み上げる声が、二人だけの研究室に響く。

「最後の希望を貴方に託します。願わくは良い船旅を」

「最後の、希望」


「でも人類の暮らした星は遠い。ルートが違えば、宇宙船によって何千年の時差が出来るかもしれない」

誰もその言葉を本気にはしなかった。それでも、もしかしたら何かの祖になるかもしれない、と願掛けも兼ねてその赤子は「アダム」と名付けられた。(サナバル・アレイ『アダム-最期の博打-』Bl.132.45)


「良かったの?」

「何が?」

 ラトウェの問いかけに、ルアリが白々しく首を傾げる。何がって、とラトウェは手元の資料に目を落とす。学会の為に用意されたそれには、ルアリの検査データとメッセージカードについての記述がある。

「読んだよ。サナバル・アレイ」

「え?」

 突然の言葉の意図を飲み込めず、ラトウェは瞬いた。ルアリが歌うように続けた。

「ブロック366の26文字目から」

 ラトウェは慌てて手元のタブレットを叩いた。作者欄にサナバル、資料名にアダム。入れれば『アダム-最期の博打-』が検索結果のトップに表示される。

 ブロックジャンプの欄に数字を打ち込む。ブロックが366、開始字は26。目的の文字がハイライトされてラトウェの目の前に示される。

 示されたのは、最後の一文の一文字目。

「俺も同じだよ。もしかしたら大変かもしれないけど、もしかしたら今よりなんか、良くなるかもしれねぇだろ」

 ラトウェがタブレットとルアリを見比べるのに、ルアリはただニィと笑って立ち上がる。何も言わずに荷物を全部持って、ルアリは資料室の入口で待つナクルの方へ走っていく。


停滞より博打を選びたかったのだ。(同書、Bl.366.26)


※当作品には一部、楽園共通言語を翻訳した箇所が含まれます。引用箇所の翻訳は作者によるものです。一部固有名詞などは該当単語がない為、近しい言葉に置き換えています。

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