契約内容

面接の際,六花リッカはなるべく店と自分にとって最良の契約条件になるように提案した。辞める時になって揉めるのだけは避けたい。


「希望時給,空欄ですが…一応希望聞いておいてもいいですか?」


マネージャーと呼ばれた男性は陣内さんと言うらしい。優しい声色と胡散臭い笑顔。何をされるかわからない。六花はここは探り探り行こうと瞬時に思った。


「うーん…相場がわからないんです。」


「んー?分からない?」


相槌を打っているだけであまり聞いていないような気がしたのでもう一度。


「相場がわからないので…。」


「…。」


(もうインカム外せばいいのに。)



「…。」



「…。」



六花はもう自分で話を進めてしまおうと自分の本心からの要求をぶつけてみることにした。


「未経験なので最低時給スタートでどうでしょうか!」


「…。」


沈黙。


30秒ほど経って,陣内が「うーん」と唸り始めた。


「六花ちゃんはお顔も良いし…もう500〜1000円くらいはあげてもいいと思ってたんだけど。」


考えていないわけではなかったようだ。2つのことが同時にできない,六花と同じ種類の人間なのかもしれない。


(もしかしてこの人意外と不器用なタイプ…?)


ここまで考えたところで「いや邪推するのはやめよう」と思い直し,陣内の言葉を待ってみることにした。


「六花さん,これでどうでしょう?」


(いやこれは困る。)


困る。ここまで期待されてしまっては困る。お顔が良いとか若いとかで高時給で採用されてしまっては売り上げを作れなかった時に真っ先に切られてしまう。


(お顔が良い?でも変わってるぞ!時給下げてくれ!)


そして六花はもう一つ,どうしても押し通したい要求があった。



「陣内さん,私,留学に行く予定なので,1年半ほどで辞めると思います。期間を延ばすようなことはしません。」


「…。なるほど。」


「…。」


30秒ほど悩んだあと,陣内は「じゃあ」と六花の方に顔を上げて言った。


「週3〜4で出てくれたら,俺が提示した金額でいきましょう。月に15日未満になってしまったら時給500円ダウン。まぁ,ガッツありそうだし達成できるっしょ!」



ニコッと胡散臭い笑みを浮かべて,陣内はさっさと契約書の日数の欄と時給の欄を埋めてしまった。


(結構良い条件かも知れない)




契約書にサインをして陣内から借りたペンを返すと,そこには胡散臭い笑顔が完全に消えた彼がいた。


なんとも形容しがたいが,少し力の抜けた表情をしている。


「六花ちゃん。」


「はい!」


「一緒に頑張ろうね。」


「よろしくお願い致します!」という六花の返事と共に陣内のインカムが反応したらしい。


右手をクイッとあげて六花に向かってポーズを決めると,すぐに胡散臭い笑みに顔を切り替えて彼はエントランスの方に消えて行った。

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