遠藤は可愛いものが好みらしい

一日で熱が下がったので、月曜には山崎はいつもと変わらず一人で登校してきた。教室のドアを開けると、何故かやけに静かである。皆の目線を追いかけてその理由を見つけて、山崎は苦笑いを浮かべた。


自分の席に歩いていけば、教室の空気が少し揺れる。気にせずに、山崎は机にリュックを下ろした。そのまま席に座らずに、隣の机を叩く。


「おはよ、遠藤」

「んぁ……」


机の揺れに、突っ伏していた遠藤が顔を上げる。山崎と目が合うなり、彼が眠そうにしていた目をぱっと見開いた。


「メガネくん!やっと来たぁ」

「俺を待ってたのか?」

「うん。連絡先、知らねぇなと思って」


遠藤は左手でスマートフォンを引っ張り出して、ハッとした顔でそれを右手に持ち替えた。包帯を巻いた左手を背の後ろに隠すのを見て、山崎は思わず笑った。


「マスクしてるから」

「でもぉ……」

「ありがとな。ほら、俺の連絡先」


アカウントのQRコードを開いて、遠藤の机にそれを置く。右手でわたわたと画面を操作して、遠藤は嬉しそうな顔で頷いた。


「出来た!」

「そりゃよかった」

「じゃ、オレ保健室行く。またね、メガネくん」

「ん。好きに連絡してくれ」


教室を飛び出した遠藤の背中を目で追ってから、タツオミ、と表示された画面に目線を落とした。可愛らしい兎の絵のアイコンに、思わず口許が緩んだ。


「ザッキー、ど、え?遠藤と知り合い?いや知り合いではあるんだけど、」


遠藤がいなくなるなり飛んできた牧原に山崎はただ肩を竦めた。


「あぁ、色々あってな。ちょっとこう……恩を売り合ったんだ」

「売り合う……?」


変なことを言っている自覚はあるが、これ以上言いようもない。水筒で人を殴ったとか救護されたとか説明するのは面倒だ。


「苦手克服したわけじゃなさそうじゃん」


野田の声に、山崎はそちらに顔を向ける。


「まぁ、な。それは個人的な問題で、アイツ自身が苦手ってわけじゃないから」

「ふぅん?」

「いやでもすげぇな、なかなか話すのに勇気いるぞ。いつも教室いないし……」

「や、案外可愛いやつだぞ」

「顔はね?」

「顔……は分からないが。その基準は人それぞれだろ」


牧原に適当に相槌を打っていると、手に持っていたスマートフォンがメッセージを表示する。通知音に、牧原と野田の目線も山崎のスマートフォンに集まった。


タツオミ:メガネくん、山崎龍平って言うんだ

山崎龍平:おぉ、今更だな

タツオミ:お揃いだね

山崎龍平:ん?何が?

タツオミ:名前の字

タツオミ:龍


タツオミ、のタツ、が龍の字なのだろう。下の名前は知らなかったな、と思いながら「そうだな」と返事を打ち、山崎は顔を上げた。二人が画面を見ていたのに気がついて、苦笑しながら音を切りポケットにスマートフォンを仕舞う。


「ほら、可愛くないか?子どもっぽくて」

「おぉ……んん……」

「確かに可愛いね……さっきのメッセは……」


実際話したことがなければ、遠藤のイメージはかなり乱暴な人間になる。噂ってのはそういうものだし、防衛手段として接触を避けるようになるのも不思議ではない。山崎みたいに頓着しないのは珍しいのだ。山崎自身、その自覚はある。


だから一度も遠藤と話したことのない二人が狐に化かされたような顔をしていることに、山崎は何も言わずにただ眉を下げて苦笑した。ホームルームそろそろだぞ、と二人を席の周りから追い払って席に着く。


クラス中と言っても過言では無い視線が山崎に向けられていることくらい、流石に気がついた。


山崎は遠藤に助けられたこともあり彼の人柄を知っている。そもそもクラスの人物相関図みたいなものに疎い男であったことも手伝って、山崎は遠藤の立ち位置を始めから気にしていなかった。だからこそ遠藤ほどではなくとも金髪に多めのピアスという見てくれでヤンキー認定されている野田ともつるんでいるわけだし。


ただ、気にしていなくとも理解はしている。難しいもんだな、と山崎は頭をかいた。何気なくもう一度取り出したスマートフォンに、通知が一件表示される。


タツオミ:家近いし途中まで一緒帰ってもいい?


今日は最後までいるつもりらしい。山崎としては、別に構わない。遠藤となるべく多く接触して「保健室の匂い」に慣れようという話をしたばかりだ。ばかり、なのだが。


一瞬、好奇の視線と己の気持ちが天秤にかけられる。


いや、言わせておけばいい。遠藤は殴られなければ殴らないのだ、何を迷うことがある。了承の返事を送って、山崎はスマートフォンをポケットに戻した。


***


場所の匂い、といえば分かるだろうか。人の家の匂い、とか、図書館の匂い、とか。無意識のうちにそれは大抵記憶と結びついて仕舞われている。意識することはそうないだろう。


余程良い記憶か、嫌な記憶がなければ。


山崎にとっては「保健室の匂い」がソレだ。湿布の匂いとか、絆創膏やテーピング用テープの糊の匂い。意識すればソレは存外身の回りに溢れていて、山崎の封印したい記憶を引っ掻いた。


だから、それを意識せずに済むようにいつもマスクをして、香りの強いもので誤魔化しているのだが。


「メガネくん!」


ついさっきまで保健室にいた遠藤と一緒に帰るとなると少し不安だな、と思いながら山崎は正門で待っていた遠藤に手を挙げた。こちらに気がついてぶんぶんと大きく手を振る様に、一瞬ぶん回されている尻尾の幻覚が見えて山崎はかぶりを振る。


「悪い、ホームルームが長引いた」

「いいよぉ、オレもさっき来た」

「そ、っか?ん?」


真横に立って、遠藤から昨日と同じ随分とフローラルな匂いがすることに気がつく。山崎が眉を上げたのを見て、遠藤はムッとした顔をした。


「めっっっちゃ匂いするよね。カミチャンに香水貸してって言ったら頭からぶっかけられたの」

「っふ、だから、ふふ、教室には来たくないって、言ってたのか……」

「カミチャン、加減ってもんを知らねーんだよ!」


全身フローラルな匂いのまま遠藤がギャンと吼えた。遠藤のうさぎのアイコンとメルヘンな香りがやけにしっくりきて、山崎は笑いを必死にこらえる。


「っふふ、マジでいい匂いするなお前、ふは、まぁ別に香水臭くもないからいいと思、ふふ、」

「カミチャンも同じこと言うんだよなー!いいよもう、今度メガネくんに香水選んでもらうから。なんかもっと丁度いいやつ、丁度いい量かけられるように覚えるもんね」


べぇと舌を出して遠藤が言えば、山崎は驚いたように少し目を見開いた。


「何?」

「あぁいや」


何か、こう。遠藤は山崎に気を使って色々と考えてくれている、ということは分かっているのだけれど。


「でも、似合うぞ。その香水も」

「え、まじ?昨日とぉちゃんもそれ言ってた。オレこんなお花畑みてぇなイメージ持たれてんの?」

「ま、鉄臭いのが一番しっくり来るけどな」

「んふふ、それはそうかも」


ふらっと教室に現れる遠藤から血の匂いがすることは珍しくなかった。それが喧嘩っ早いというイメージに拍車をかけていることは間違いない。山崎も隣の席になる前から、彼とすれ違う時には保健室の匂いか鉄の匂いがすると認識していた。


それが今やフローラルなんだから、ちょっと笑える。こちらのためにわざわざそうしてくれているのが少しくすぐったいからだろうか。


「まぁ毎回カミチャンから香水貰うのも悪いし、なんか買お。メガネくんどんなのが好き?」

「俺か?」

「だってメガネくんに会う用だし、メガネくんが好きなのがいーじゃん。多分メガネくんにも移っちゃうだろーし」


遠藤が山崎に気を使ってくれている、ということは分かっているのだけれど。分かっているのに、何だか。


「……選びに行くか、今から」

「いいよぉ」


嬉しそうな遠藤の顔から山崎は思わず目を逸らした。この新しい友人はトラウマの克服に手を貸してくれているだけだと分かっているのに。


なんでこうも、落ち着かない気持ちになるんだろう。

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