メガネくんはバレンタインが苦手らしい

遠藤と山崎がつるむようになって、それなりの時間が経った。


残念ながら山崎の体質は、特に変わりなし。ただ、放課後の遠藤の匂いが「保健室の匂い」から「保健室の匂いと選んだ香水の匂い」にチェンジしているおかげで、彼とは当初より困らずに会話出来ている。マスクは必須だけど。


そもそも教室に怪我人がいることは珍しくないから、遠藤がどうであれマスクは手放せないのだ。香りは全てシャットダウンしておきたい。


しかし今日という日は、さすがに教室に広がっている別の匂いが、マスクを通り越して彼の脳にも届いた。例えるなら、そうだな。「お菓子売り場の匂い」とでも言おうか。


「メガネくん手作り食える派?」

「……積極的には食わない派。なのでここにいる」

「成程」


山崎にとってサボりスポットである校舎裏は、冬に本を読むには少し寒かった。半ば意地で片手にパン、片手に文庫本を持って昼休みを潰していた山崎のところに、当たり前のような顔で遠藤がやって来て隣にしゃがみこむ。突然始まる会話にも、流石に慣れてきた。


パンをひと口かじってから、山崎は先程の回答に少しつけ加える。


「なんか別に……食えないわけじゃないけど、昔自分で作って失敗したからさ」

「ん?どゆこと?」

「ホットケーキミックスって使ったことあるか?あれ、冷めると不味くなるんだよな。出来たて美味いんだけど」


冷たい風が吹き付けてきたので、一度言葉を切る。流石にここまでは風も甘い匂いを運ばないらしい。


一メートルくらい離れたところにいる彼の匂いも、届かずに済んでいるようだ。今は放課後じゃないから、彼は香水の匂いじゃないはずである。遠藤はどんなに馴れ馴れしくしてきても、匂いを消していない時は絶対にこの距離感を守る。山崎を構う癖に、荒療治する気は無いようだ。変な奴で、良い奴だった。


「あー、冷めたホットケーキって異様にまずいよね。店のはそうでもねーけど」

「小麦粉使えば冷めてもうまいんだよ……ホットケーキミックスを使ってホワイトデーのお返し作った事があるんだけどな。出来たては美味かったから人にあげたんだけど、あとから自分で食ったらまずかったんだよ。何人に激マズ菓子を振舞ってしまったのやら」


ちょっと恥ずかしい思い出に山崎は眉を寄せた。なんでも器用にこなしそうなのにね、と遠藤がケラケラ笑う。


「あれ以来、やっぱお互いに既製品が平和的解決だなって思ってさ。手作りは出来たてじゃないと味のコントロールがつかない」

「あー、基本レシピもその時食うと思って作られてるもんね」

「そうなんだよ。断るのも悪いけど、まずいと思ったもの美味いっていうのも気まずいしさ。ま、今日昼休み教室に居なきゃ貰わないだろ」

「登下校中は?」

「イヤホンガード」

「あは。賢い」

「まぁどうせ義理しかこないから、昼休みと放課後に居なかったらわざわざ渡しにこないだろ」


そうかなぁ、と遠藤は首を傾げた。メガネくんモテそうだけど。言っても否定されることは目に見えているので、ふぅんと返しておく。


「遠藤は?いつものサボりか?」

「まぁそれもあるんだけど、今日はオレも似たよーなもん。アレルギーあるから手作り貰えないんだよねー」


あと普通に受け取るの気まずいし、と付け足せば山崎が本から目を離して遠藤を見た。


「どうせみんなオレに渡す気ないじゃん?クラスみんな、ってなった時にハブるわけにもいかないからくれるだけだもん。こういう日はオレが教室にいない方が平和的解決ってわけ」

「そうかぁ?お前良い奴なのに」

「だって猛獣遠藤だもん。毎年みんなさ、『遠藤くんも、はい』つって机に置くだけ置いて逃げちゃうんだよ。アレルギーの説明する暇もなし」


遠藤に関わりたがらない人は多い。気分屋で喧嘩っ早く、その小柄な体格からは考えられない位手癖足癖が悪く喧嘩に強い遠藤は、かなり遠巻きにされていた。停学騒ぎは数知れず、全学年から厄介児として認識されている。


遠藤にしてみれば、売られた喧嘩を全部買っただけなのに。すぐカッとなって手が出ることは認めるけど、煽られてもいないのに手を出したことは無い。小柄故にちょっかいをかけてくるやつが多かっただけなのだ……まぁその見た目の愛らしさ具合も相まってクラスメイトからチョコを貰い続けている可能性も否定できないが。


「わざわざ『わぁビビられてる』って実感するために教室にいたくなんてねーもん」


山崎は遠藤に助けられたこともあり彼の人柄を知っている。そもそもクラスの人物相関図みたいなものに疎い男であったことも手伝って、山崎は遠藤の立ち位置を始めから気にしていなかった。ただ気にしていなくとも理解はしているので、山崎はパンの最後のひときれを口に放り込んでからまた本に目線を戻した。


「そんなもんか」

「うん。でもチョコは食べたいなー!クラス中甘い匂いするんだもん、食べたくなる!」

「はは、確かにな。甘いもんならあるけど食う?」

「何それ」

「一応のお返し用」


山崎はブレザーのポケットに入れていた市販品のクッキーを遠藤の方に差し出した。彼がちょっと首を伸ばして覗き込む。


「ただのクッキーだよ」

「んー、平気だと思うけど成分表ないなら一応やめとく」

「そうか。何アレルギー?」

「胡桃。お菓子によくいるんだよね一」


確かに、と頷いてから山崎は封を開けて自分の口にクッキーを放り込んだ。遠藤がわざとらしく眉を寄せる。


「ちょっとメガネくん、匂いするじゃん。お腹空くからやめて」

「飯食わなかったのか?」

「食べたよ、けど気分的に」

「なんだそりゃ」

「甘いもん食いたいー!」


ビャアと喚く遠藤に山崎は肩を震わせた。幼子のようにグズる姿は"猛獣遠藤"からは程遠いが、山崎にとってはもう慣れた光景だった。


「帰りに何か買って帰るか?今日の午後なら安くなってるんじゃないか」

「え、いーの?メガネくんにしては珍しーじゃん、寄り道の提案なんて」


香水買った時以来じゃない、と遠藤が目を輝かせる。なんとなく照れくさくて、山崎は目をそらした。


「ただ、匂い消せよ」

「わーってるよ。流石に学校でいい香り撒き散らす訳には行かないでしょ」

「いいんじゃないか、イメージ変わって」

「また適当言う……じゃ、オレ午後サボるから」

「はは、結局サボるんじゃないか」


遠藤は大抵、保健室で時間を潰している。よく喧嘩して、怪我をするから。保健室でサボるから。だから、遠藤はいつも「保健室の匂い」がする。山崎の嫌いな匂い。


一メートルくらい離れたまま、山崎がクッキーを投げた。


「保健室行くんだろ?それ、神堂先生に。いつもお世話になってます、すみませんって」


養護教諭への伝言に遠藤は黙って頷いた。「メガネくんが自分でカミチャンのところ行けばいいじゃん」なんて、絶対に言えないセリフだ。


***


放課後。二人で並んで、駅に向かって歩く。時折他の生徒が遠藤のことを目で追うのを、二人とも見ないふりをする。遠藤はこの手の視線に慣れっこだし、山崎も彼と行動することが増えてから慣れた。「遠藤が怖くねーの?」なんて、もう両手では足りないくらい聞かれたことだ。


「チョコ、クッキー、ケーキもいいな。在庫一掃セールとかしてたらいいんだけど!」

「クリスマス当日の夕方とか結構飾りケーキ安かったから、バレンタイン用はワンチャンありそうだな」


山崎は背がでかいから一歩が大きくて、遠藤は落ち着きがないから歩数が多い。どっちともなく相手に合わせて、前を見たまま並んでくだらない話を続ける。


駅前の洋菓子屋の前で立ち止まって、二人揃ってガラスのドアを覗き込む。店員と目が合って、引くに引けなくてドアを開けた。


「いらっしゃいませ!」


ニッと笑った青年は自分たちより少しだけ年上のようだ。何と決めていた訳では無いので、それぞれショーケースに目線を滑らせた。


「あ、ホントに安くなってる」


ハートのチョコケーキの値段表示に、手書きの値下げの吹き出しが張り付いていた。思わず呟いた遠藤に、店員が笑って身を乗り出した。


「残りちょっとなんですけど、今日中に売らないとなんでさっき下げたんですよ。可愛いでしょ?甘すぎなくて美味しいですよ。このチョコもこのラッピングは今日までなんです」


レジ横のチョコレート、こちらも吹き出し付き。解凍しないでおけばケーキも持つとはいえ、露骨にバレンタイン向けの商品では明日に持ち越せないのだろう。狙い通り、と二人は思わず顔を見合わせて笑った。


「胡桃入ってないすか?」

「確か入ってないですよ。成分表いります?」


ちょっと待って、といって店員が奥に引っ込んだ。どれも美味しそー、と言いながら遠藤がショーケースの前を行ったり来たりするのに、山崎が笑いを堪える。こうして見ると本当に年下みたいだ。


「やーでもチョコケーキかな。平気そうだったらオレこれ買お。メガネくんなんか買う?」

「そーだな。それ一個、俺が買う。で、遠藤にやるよ」

「え、なんで!?」

「友チョコ?」

「……なんで疑問形?」

「や、こういうイベントにかこつけて普段かけてる迷惑精算しておこうかなと思ってな」

「だとしたらそれ言っちゃダメだろ」

「はは、確かに」


戻ってきた店員から成分表を受け取る。これなら食える、と遠藤が頷けば、山崎はさっさと会計を済ませてしまった。


「待って待って待ってオレもメガネくんになんか買う」

「それじゃ意味無くないか?」

「オレもメガネくんに日頃の感謝してるからかこつけるよ」

「うーん、遠藤と違って俺はそんな感謝されるようなことしてないと思うけどな」

「それを決めるのはオレでしょ!」


メガネくんやっぱ分かってないよねー、と遠藤が大袈裟に頭を振る。真剣に分からなくて山崎は首を捻った。ショーケースの奥で店員が二人のやり取りに笑いを堪えている。


「いい?メガネくんの行動に感謝するのはオレ、オレ主体の話。メガネくんはオレが感謝するかしないかを決めるんじゃなくて、オレの感謝が迷惑かありがたいかを決めればいーの!」

「そりゃ勿論、迷惑じゃないが」

「よし言ったね!?メガネくんどれ食べたい!?」

「えぇ?」


微妙に納得しないまま、山崎は素直に美味しそうに見えたチーズケーキを差した。直後チーズケーキは値下げされていないことに気がついた山崎が何か言いかけたが、彼が異議を唱える前に遠藤もさっさと会計を通す。


「はい、いつもありがとう!」

「……こちらこそ」


震えた声の「ありがと、ふふ、ございま、ふ、」に見送られて二人は店を出る。うん、そりゃ笑うわなと山崎は遠い目になった。店の中で大騒ぎしてしまったな。交換は外でやれば良かった。いや、まぁ遠藤が始めちゃったんだけど。


「メガネくん今日暇?とぉちゃんいるけどうちきて一緒食わない?」

「いいのか?あ、でも手土産とかないが……」

「メガネくんなら平気っしょ、とぉちゃんメガネくんお気に入りだし」


電話してみんね、と遠藤がスマホを取り出すのを見ながら山崎は思わず小さく笑い声を上げた。遠藤がこちらを見て首を傾げるのに、なんでもないと手を振る。


香水の匂いとケーキの匂い、それに混ざって少しだけ嫌いな匂い。


でも、楽しい記憶にそれがある事に慣れてきた自分がいる。嫌いな匂い、だけど。本当に彼が言うように、そのうち嫌な思い出から切り離されて友達の匂いとして気にならなくなるのかも。


遠藤と仲良くなれて良かったなぁとマスクの奥で頬を上げた山崎は、順調に外堀が埋められている事にも、手の中の紙袋が所謂「本命」な事にもまだ気がついていない。

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