第32話 成金とハーレム

 いや、大事件と言うよりも、大事故と言った方がイイだろう。


 胃もたれ気味のティグリスにドアマンをさせるのは忍びない───と思った俺は、やや急いでドアへと向かっていた。そしてティグリスに先駆けてドアノブを握ったのだが、些か勢いが良すぎたようだ。ドアノブを押すと、これまでなんとか踏ん張っていた下側の蝶番ちょうつがいが壊れてしまったのだ。


 そうして俺の左手には、一枚の大きな板が残されることとなった。


「あ・・・」


 ティグリスの小さな声が、俺の耳の中を駆け巡る。


「すす、すみません!!」


 慌てて老人たちに謝罪をする俺。左手にドアを持ったまま、ペコペコと頭を下げた。


「とうとう壊れてしもうたか」


「よう頑張ってくれたのぅ」


「形ある物は、いつかは壊れる。そのときが来ただけじゃわい」


「気にせんでもエエよ」


 俺を責めることなく、優しく接してくれたお婆さんたち。そして、黒一点のお爺さんが言う。


「扉はその辺に立てかけといておくれ。それじゃあのぅ」


 笑顔で手を振ってくれているお爺さん。その姿に、俺はたまらなくなった。


「弁償します!」


 俺のその言葉に、お婆さんたちが返答する。


「エエ、エエ。気にするでない」


「そうじゃ。ほぼ壊れとったんじゃから」


 尚も笑顔で許してくれたお婆さんたちに、俺は言う。


「カネなら、あります!」


 ・・・なんだか、いやらしい言い方になってしまったが、たしかにカネならある。つい先日、ガラの悪い連中から撒き上げたのだから。・・・いや、この言い方は違うな。勝利の報酬として受け取ったのだ。その額、金貨三枚分。それは結構な大金に思える。今や俺は、ちょっとした成金なのだ。


 このドアの修理代がいくらになるのかは分からないが、金貨三枚もは掛からないだろう。この世界の相場を完全に把握できているワケではないが、それは間違いない。


「俺が壊したんだから弁償します! いや、弁償させて下さい!」


 未だ左手にドアを持っている俺は、深々と頭を下げた。その様子に、老人たちも根負こんまけする。






 俺はその店にティグリスを残し、とある店へと一目散に向かっていた。


 やがて目的地に到着。そこは修理屋。ティグリスがカバンの紐を取り替えたあの店だ。店内に入るなり、俺は言う。


「ドアの修理をお願いします」


「・・・ドア、ですか?」


 俺の目には、以前にもいたあの男性の姿が映っている。おそらくは、ここの店主。彼は俺の依頼に対して、キョトンとした顔を見せた。


「ウチは小物や道具を修理する店なので、建物の修理は出来ませんよ?」


 その宣告に、俺は膝から崩れ落ちた。




 建物修理のイイ店を聞くが、店主は「分かりません」と言った。以前頼りにしていた店は潰れたらしい。それを聞き、俺は街の東門の辺りに向けて、走る。






「よぉ、今日も働いてくれるのか?」


 俺の前には、あの現場監督。ある意味では、建物の修理をしている人物だ。だから俺は、彼を頼った。


「俺は石工いしくだからなぁ。木のことは分からねぇなぁ」


 現場監督の言葉に、俺は再び膝から崩れ落ちた。


 しかしそこで、最重要の人物を思い出す。






 俺がやって来たのは、ティグリスが泊まっている宿屋。そう。あの女将さんなら、俺の助けになってくれる筈だ。


「ドアの修理? それなら・・・」


 さすがは女将さん。アッサリと腕利きの職人を擁する店を教えてくれた。俺は急いで、その店へと向かう。






 建物修理の店の受付には、若めのお姉さん。その後ろの部屋では複数の職人がなにやら作業をしている。


「扉の蝶番ちょうつがいの修理ですね? はい、ウチで出来ますよ」


「今すぐお願いします!」


 俺が頼むと、お姉さんは奥の部屋を覗き込む。


「ダグさ~ん。今、手、空いてる? 空いてるなら、ちょっと来て」


「おう!」


 野太い声が聞こえた少しあと、小柄ながらにガッチリとした体格のオジサンが現れた。その姿を見るに、ドワーフのようにも思える。彼に依頼の詳細を話すと、快く引き受けてくれた。


「じゃあ道具を揃えるから、ちょっと待っててくれ」


 その後、俺はその職人を背負い、左手には彼の道具箱を持って、あの酒場へと走って戻った。






蝶番ちょうつがいが二つと作業代で・・・、銅貨百五十枚だな」


 ドアが外れ、大きな隙間としている場所の前で、職人から料金を聞いた俺。思っていたよりも安かったので、彼に問い掛ける。


「壁の穴を塞ぐのは、いくら掛かりますか?」


「あ~・・・。結構な数、あいてるなぁ」


 職人が複数の穴を見る中、酒場の老人たちが俺に声を掛けてくる。


「アンタ、そこまでせんでもエエよ」


「なにを考えとるんだい?」


「扉だけでも有り難いのに、壁の修理までなんて」


 一同の言葉を制し、俺は更に職人に尋ねる。


「あの窓も追加だと、いくらですか?」


 俺が指差したのは、派手に割れている窓ガラス。


「ん、あ~・・・。ちょっと待ってくれ・・・」


 職人は割れている窓ガラスを一瞥いちべつし、再び壁の穴を見つつ、自身の指を使って寸法を計っている。


 その後、窓枠の寸法も同じ要領で計った職人は、暗算をするような仕草をしてから、言う。


蝶番ちょうつがい二つ、壁の穴七ヶ所、窓ガラス一枚だと、銅貨六百二十枚だな。壁の穴は木の板で塞ぐだけだが、それでイイか?」


「イイですか?」


 俺は職人からの質問を、老人たちへと受け渡した。


「エエ、エエ。そんなことまで、せんでエエんよ」


「そうそう、六百二十枚なんて。アンタ、本当になにを考えとんじゃ?」


 相変わらず修理を拒否する老人たち。それらの口から有用な答えは返ってきそうにない。老人たちに聞いてもキリがないので、ここは強引に進めよう。


「それでお願いします」


 俺は、職人に依頼した。


「そしたら、板と窓ガラスを持って来ないとな」


「種類とか、あるんですか? 教えてもらえれば俺が取って来ますけど?」


「それはダメだ。部外者が行っても渡してくれねぇよ」


 なるほど、それはそうか。


 俺は再び職人を背負い、修理屋へ。そして右手に窓ガラスと数枚の木の板を追加して、酒場に戻ってきた。


 そこからは、ただひたすらに修理の完了を待つ。結構な時間が掛かるかと思ったが、職人の作業は迅速で、覚悟していた程の待ち時間は必要としなかった。




「待たせたな。どうだ?」


 手早く修理を終えたその職人は、まさに職人だった。仕上がりは完璧。ドアはキッチリと嵌まっており、窓は新品、壁の穴は全て塞がっている。しかも穴を塞いでいる木の板は、あまり目立っていない。


「スゴいですね、さすがは職人さんだ」


「まぁ、これが仕事だからな」


 そうして職人は颯爽と去っていった。気のせいか、その背中には威厳が満ちているようにも見えた。


 去りゆく職人の背中を見つめる俺。すると、老人たちが握手を求めてきた。


「こんなキレイにしてもろうて」


「すまんのぅ」


「ありがたや、ありがたや」


 俺を拝むお婆さんまでもが現れた。なんだか気恥ずかしい。それにしてもこの老人たちは、どういう集まりなのだろうか。


 ・・・まさか、お爺さんのハーレムか?


 六人の老人たちは、皆が仲良しに見える。だからハーレムの可能性はなくはない。ハーレムの行く末とは、こんな感じなのか。


 そんなことを思いつつ、俺はティグリスと共に店をあとにした。






「あの、リュート殿! 午後からも、手合わせをお願いしても宜しいでしょうか?」


「え? 俺はイイですけど・・・。ティグリスさんは大丈夫なんですか?」


 熊の脂にやられていたティグリス。その様子を思い出すと、彼女が激しい運動はするのは、まだ無理そうに思えた。しかし酒場の修理中に回復したのか、ティグリスは元気一杯に答える。


「はい! 大丈夫です!」


 そうしてまた、俺とティグリスは手合わせをするために、街の外へと向かうことに。



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